雨読










魂のこと 《2017》






   【目次】

 「からだに貞(き)くヨーガ」  「重力に目覚める」  「心身の振動

 「五食 ―正しい食べ方」  「五歩 ―正しい歩き方

 「五行 ―正しい行住坐臥と食」  「今ここで体に心を」  「苦痛と向合う







  「苦痛と向合う」 20170603   ⇒【目次】

 心に苦しいことがあると、誰でも逃げたくなる。
 体に痛いところがあると、そこに触れたくない。
 けれども放って置いたらいつまでも解決しない。

 嫌でも苦痛と向合い、その様子をよくうかがう。
 そしてなんとか、お付合いできる方法をさがす。
 そうすれば心が鍛錬され体も健康になっていく。
 苦痛は心身の欠点を教える、先生と言っていい。

 また、禍福は糾える縄の如し(『史記』南越伝)、
 人間万事塞翁が馬(『淮南子』人間訓)という。
 善いことがあった後で、すぐ悪いことが起こる。
 苦しいことに遭ったら、すぐ楽しいこともある。

 ちょっと良いことがあった後、つらい目に遭う。
 でもまた数日後に、嬉しい出来事が巡ってくる。
 このように善悪・苦楽は日々交替して止まない。

 さらに詳しく観ると、善の中に悪の要素がある。
 苦しい中にも、楽しい部分がないわけではない。
 両者は入れ子のようになっていて分割できない。

 ささやかな自分の経験でも、確かにそういえる。
 善悪・苦楽は、ほぼ半々の確率で発生している。
 人生は苦しいけれど、決して悪いだけではない。
 ※「苦痛は好機」20160606参照。







  「今ここで体に心を」 20170505   ⇒【目次】

 この頃、さまざまな瞑想法が流行するようになった。
 坐禅、阿字観、ヴィパッサナー、マインドフルネス。
 仏教以外でもヨーガ、気功、体操、歩行、呼吸等々。
 これらには、いくつかの共通したテクニックがある。
 思考を止め、体の動きを感じ、呼吸を意識すること。
 とりわけ、「今ここ」に気づくことが重んじられる。

 ただし「今」に気づくことは、比較的分かりやすい。
 済んだことをくよくよせず、先のことも心配しない。
 眼前の行動と、直接関係がある事柄にだけ集中する。
 過去や未来は、しょせん自我の妄想にすぎないのだ。

 しかし、「ここ」とはどこなのか、ちょっと迷う。
 これはやはり、自分の体と考えたら気づきやすい。
 五体のすみずみまでを、つぶさに実感するとよい。
 頭、首、肩、肘、手、胸、腹、腰、膝、足、等々。
 これを適宜くり返した後、全身をそのまま感じる。
 何かしている最中であれば、その動作に集中する。

 そうすると、自然にむだな思考が停止してしまう。
 心と体が調和し、穏やかで安らかな気持になれる。
 瞑想中だけでなく、日常生活でも同様に心がける。
 今ここで、この体に心を合わせると、幸せになる。







  「五行 ―正しい行住坐臥と食」 20170401   ⇒【目次】

 これまでは日々身体を、なにげなく動かしてた。
 とくに意識せず、身についた動きに任せていた。
 けれども歳をとって、ある時ひどい怪我をした。
 自分の動きを、根本的に見なおす必要があった。

 ヨーガや気功、体操などを本格的に始めてみた。
 呼吸やいろいろな動きに注意するようになった。
 日常生活でも立ち居振る舞いに気をつけていた。
 そうしてようやく、正しい動作が分かってきた。

 (一)行:歩行
  経行 歩く瞑想(Walking Meditation)
  足の動きに気づきながら、一歩一歩、ていねいに歩く。
 (二)住:直立
  立禅 ターダアーサナ
  足の裏をしっかり地面に付け、体をまっすぐに伸ばす。
 (三)坐:安坐
  坐禅 パドマ・バジュラアーサナ
  足を組み、腰を起し、背骨を正し、呼吸を調えて坐る。
 (四)臥:横臥
  臥禅 シャバアーサナ
  仰向けに寝て手足を少し開き、全身リラックスさせる。
 (五)食:飲食
  少食 微食
  なるべく食事の量を減らして、懺悔し感謝して食べる。

 正しく動くとき、ほとんど坐禅や瞑想に等しい。
 心が何者にも煩わされず、透き通って気持いい。
 こうした五行(行住坐臥食)が幸せに直結する。







  「五歩 ―正しい歩き方」 20170321   ⇒【目次】

 昨年右膝を痛めてから、歩き方に注意するようになった。
 ひどい時には、膝がガクガクして痛み、歩行困難だった。
 まずリハビリ的な歩行法を、あれこれ調べて試してみた。
 足を踵から下ろし、まっすぐ移動させて、つま先で蹴る。
 確かにこうすると膝の負担が減少して、サッサと歩ける。
 でもこんな今風のウオーキング法には、違和感があった。

 その頃、なにげなく「なんば歩き」の本を手にした。
 同側の手足が前に出る、日本古来の歩行法だという。
 ただ「なんば歩き」はいくつも説があり、混乱する。
 これをより発展させ「常歩(なみあし)」が生れた。
 着地足側の体幹を、前方へ押し出すようにして歩く。
 こうすることにより、体を捻じらず合理的に歩ける。
 ※「なみあし身体研究所」

 このように注意して歩くと、雑念が消え爽快になる。
 歩くことで、ほとんど瞑想に匹敵する効果が現れる。
 いま流行のマインドフルネスでも、歩く瞑想を行う。
 歩いていることに気づきつつ、ただしっかりと歩く。
 いまここに生きて、健康で平和に歩くことができる。
 楽しみながら歩く一歩一歩が、心身を癒してくれる。
 ※「ティク・ナット・ハン マインドフルネスの教え」
   →「歩く瞑想 - Walking Meditation -」
   

 これらをかんたんにまとめると、次の「五歩」になる。
 (一)パワーウォーキング
  いつもよりやや歩幅を広げ早足で歩き、体力向上をはかる。
 (二)リハビリウォーキング
  踵から地面に付き、つま先で地面を蹴り、腕を大きく振る。
 (三)なんば歩き
  右足が前に出るとき右肩が出る、左足のときも同様にする。
 (四)常歩(なみあし)
  着地足側の股関節を十分に機能させ、同側の体幹を前方へ出す。
 (五)歩く瞑想 - Walking Meditation -
  いつでも歩いていることに気づきながら、ただ歩くために歩く。
  あせらず、とらわれず、しっかりと、一歩一歩いまここに戻る。

 この内(四)がお薦めで、(五)が理想だろうか。
 要するに、ただまっすぐ、ていねいに歩けば良い。






  「五食 ―正しい食べ方」 20170303   ⇒【目次】

 食事の方法として、おおむね次の五食がある。

 (一)過食:一日三食。または暴飲暴食。
  できるだけ避けるべきで、行事や付合いなど止むをえない場合のみ。
 (二)節食:通常の食材による一日二食。
  過渡期の食事法であり、一食へ移行するように努め、間食も控える。
 (三)少食:通常の食材による一日一食。
  好きなものを食べ、飢餓感があれば、おやつ程度に間食してもよい。
 (四)微食:野菜を中心とした一日一食。
  玄米採食が中心で、肉食はなるべく避け、徐々に食事の量も減らす。
 (五)不食:飲み物だけで食事はしない。
  「氣」を食べる理想的な食事法で、誰にでもできるとはかぎらない。

 現代においていま先進国で、成人病の大半は、食べ過ぎに原因がある。
 とにかく食事を減らすだけで、多くの病気を予防できる。
 また、ほとんどの食べものは、生きものに由来している。
 これを食べないようにすれば、無益な殺生を避けられる。
 日々慈悲行に勤しみ、幸運に恵まれ、生活しやすくなる。
 ※「少食知足 -ミニマル・ライフ Minimal Life」20160505参照。

 健康を維持できる程度に食べ、懺悔と感謝の心を捧げる。
 日々なるべく(三)を実践し、さらに(四)を追及する。
 もし天賦の才があるようなら、(五)に挑戦してもよい。







  「心身の振動」 20170205   ⇒【目次】

 この世のあらゆるものは、常に振動している。
 一瞬たりとも完全に静止していることはない。
 大小様々にゆれ動きながら変化して止まない。

 自分の体もよく観察するといつも動いている。
 まったく同じ位置に止まっていることはない。
 振動が小さい時、静止と誤解するだけだろう。
 心は意馬心猿と言われ、さらに動きが激しい。
 思考や感情・欲求で、いつもゆれ動いている。

 時々変化に、付いていけなくなるときがある。
 どこか一箇所に止まって、休息したいと思う。
 しかしそうした発想は根本的に間違っている。

 意外にも静止しようとすると、力を浪費する。
 自然な動きに逆らうことで、疲労してしまう。
 むしろ振動のままゆらゆらしている方がいい。

 心身の振動を、いつも感知するよう心がける。
 決して一箇所に、止まろうとしてはならない。
 そして自然の動きに逆らわず生きて行きたい。
 坂村真民「つねに前進」
 すべて/とどまると/くさる
 このおそろしさを/知ろう
 ※『念に生きる』致知出版社 2004 15p






  「重力に目覚める」 20170130   ⇒【目次】

 野口体操では、重さが力であるという。
 筋肉には頼らず、重力を駆使して動く。
 その重さにより地球とも繋がっている。

 重さを感じながら、全身の力を抜く。
 重さで沈む方向に、動きを合わせる。
 筋肉で力を出さず、感覚器とみなす。
 筋力でなく、主に骨格で体を支える。
 体の動きに合わせ、深い呼吸をする。
 なるべく脱力して、リラックスする。

 行住坐臥で、自分の重さをしっかり感じる。
 とくに意識しなくとも、動作が自然になる。
 自ずから地球と調和した、生き方ができる。





  「からだに貞(き)くヨーガ」 20170103   ⇒【目次】

 「野口体操」を創始した、野口三千三という人がいた。
 ※(1914〜1998)東京芸術大学名誉教授
 生涯を体育の発展に捧げて、数多くの名言を遺している。
 その代表的なものとして、体操に関する次の言葉がある。
「体操とは占である」「体操とはからだに貞くことである」
 真の体操とは、運動の速度や難度を競うようなものではない。
 自然そのものである自分の体に、神の声を貞くことだと言う。
 あらゆる知識による先入観を捨て去った所で(このことは極めて難しいことだが)、自分自身のからだの中身の事実としてのあり方を「からだの中身の神の声を貞く」という、敬虔・謙虚なあり方で、そして素朴・素直な感覚で、常に新しく「問いかけ」を繰り返すことが、何よりも大切であるとつくづく思う。
「もともと自然そのものであった自分のからだが、今も本来の自然そのものであることを、動くことのからだの実感によって、再体験・再確認する営みを体操という」ということも、「自然の力に任せ切ることのできるような状態になり得る能力が力と呼ばれるものであることを、動きの実感によって納得する営みを体操という」ということも、「体操とは占である」という人間のあり方・生き方をいうのである。
※野口三千三『野口体操 からだに貞(き)く』春秋社 2002 248p
 ヨーガでも謙虚な心で、自分の体にきく態度が重要とされる。
 佐保田鶴治先生は、ヨーガを毎日必ず行うべきだと言われる。
 その際、体との対話が必要であり、次のように教示している。
 自分の体がちゃんと自分の体のことを教えてくれる。これは学問もなにもいらんのです。また技術もいらんのです。自然に体が体のことを教えてくれる。手取り早い例をあげると、ヨーガの体操を毎日、いろいろとやっておりますと、その時の状態に応じて非常にやりづらい体操があります。これは体が教えてくれているんです。この体操をやればお前の欠陥はだんだんとれていくんだからこれをやりなさいということだと思ったらいいですね。……それぞれ一人々々の体の悪い状況ってのはどんな偉いお医者さんでも分からない。ところが、今言ったように、ヨーガをやっていますとヨーガがちゃんと教えてくれる。直接これだと口では教えてくれないし、言葉では教えてはくれない。痛いところ苦しいところがあることで、ここだってことを教えてくれるんですね。これがつまり体のことは体にきくっていうことです。
※佐保田鶴治『ヨーガ禅道話』人文書院 1982 47p
 日々の体操によって、苦痛がある部位を特定できる。
 そこがまさに自分の欠陥で、改善が求められている。
 痛いところ苦しいところによく注意しつつ体操する。
 しばらくすると自然に治癒して、より健康になれる。
 「からだに貞く」とは、ヨーガの極意と言ってよい。