雨読










魂のこと 《2017》






   【目次】

 「からだに貞(き)くヨーガ」  「重力に目覚める」  「心身の振動

 「五食 ―正しい食べ方」  「五歩 ―正しい歩き方

 「五行 ―正しい行住坐臥と食」  「今ここで体に心を」  「苦痛と向合う

 「エラスティック elastic」  「丹田呼吸」  「生きるコツ」 

 「止滅・信順 -考えず思わず・聞いて任せる」  「なりたかった自分

 「考えない・食べないこと -幸福の原因」  「自分に習うヨーガ

 「アファメーション affirmation







  「アファメーション affirmation」 20171212   ⇒【目次】

 アファメーション(affirmation)ということばがある。
 肯定的な断言をして、個人的な「誓約」をすることで、
 目標達成や潜在能力開発に、強力な効果があるらしい。
 これを実践するとき、いくつか注意すべきコツがある。
成功するためのアファーメーション実践のコツ
 実現したい思いを短い文章で唱える
 意図が明瞭であること
 肯定的な表現を使う
 「~になる」という表現をしない
 一人称で書く
 潜在意識を変えるには、何度も何度も繰り返すことが有効
NAVER まとめ「幸せと成功を引き寄せる言葉の力、アファーメーション」参照。
  
 「~になる」と言わないわけは、次のとおり。
 アファーメーションの文章を作る時のポイントは、次の3点です。
 1.肯定的な表現を使う
 2.「~になる」という表現はしない
 3.主語は「私」
  ―(中略)―
 次に、「~になる」という表現をしないということを説明します。
 例えば「お金持ちになるぞ」や「お金持ちになりたい」という言葉を聞いた潜在意識は、「今はお金持ちではない自分」をイメージします。
 そして、イメージしたとおりの自分(お金持ちではない自分)を維持しようとします。
 潜在意識は、すべて現在のこととして受け取るのです。
 「未来には健康になるぞ」と宣言すれば、「今は不健康なんだな」と受け取るのです。
 試しに「健康になりたい」と10回言ってみてください。
 自分が不健康な感じがしてくるはずです。
野口嘉則 公式ブログ:潜在意識のパワーを最大限に引き出す「アファーメーション」!参照。
  
 気功家の望月勇さんも、同様に言われている。
 自分の幸せを念じると、その思いは実現する。
 今もし、あなたが問題をかかえて困っていたら、次のようにやってみてください。
(1)まず、悩んだり、心配したりすることをやめること。
(2)静かになって、問題を自分の心に問いかけること。
(3)「この問題は、すべてうまく解決しました」と言って、先に、「ありがとうございました」とお礼を言うこと。
(4)そして、ふだんの生活の中で、気付きをもって、その答えが出てくるのを待つこと。
 本当の幸せを手に入れたかったら、まずあなたの心に、幸せな想念を作らなければなりません。本当の幸せは、あなたの心の中にしかないからです。
 −(中略)−
 今、あなたが、どんなに最悪な状態にあってもかまいません。ひとり静かになって、自分の心の中に、「私は、今、平和に満ちて、幸せです」と言ってください。そして、それを、毎日続けることです。すると、あなたの心の中は、平和で幸せな想念に満ちてきます。そうして、そのあなたの想念の波動が、やがて宇宙に働きかけて、あなたを物心ともに幸せにしてくれます。
※望月勇『いのちの力 気とヨーガの教え』平凡社 2004 134p
 数年前、正しい祈りについて考えてみた。
 その要点をまとめると次のようになった。

 1.自分の欲望を満たすため、ある特定のものが得られるようには祈らない。
 2.ただ漠然とあいまいなことを祈っても、あいまいな結果しか得られない。
 3.自分がいま生きて、祈れることに感謝できないようなら願いは叶わない。
 4.人から否定的な意見を聞くと、祈る気持ちが萎えて、継続できなくなる。
 5.どれだけ立派な祈りでも、継続しなければ、潜在能力まで引き出せない。
 6.何を祈るときでも、無責任に「未来のいつか」を当てにしてはならない。
 7.今ここでまったく実行できないことを祈っても、叶えられるはずがない。
 ※「正しい祈り」20151212参照。

 この主旨に則り、日々祈る言葉を決めた。
 しかし今ふり返ると、やや問題があった。

 日々の祈り文句【誤】
 「いま念仏して 心浄まり ここで皆 幸せになる」

 末尾に「~になる」という表現がみえる。
 これでは今現在不幸であると見なされる。
 それを訂正し、これから次のように祈る。

 日々の祈り文句【正】
 「いま念仏して 心浄まり ここでもう 皆幸せ」

 どんな効果が現れるか、楽しみにしている。






  「自分に習うヨーガ」 20171111   ⇒【目次】

 ほんとうのヨーガとは、自分自身に習うことをいう。
 自分に関するあらゆることを、自分に教えてもらう。
 体へ尋ねるために体操し、心へ伺うために瞑想する。
 他人の意見や書物の知識は、参照する程度に止める。
 最後は自分の直観に従って、物事を判断し行動する。
 こうした生き方の基礎にヨーガの様々な技術がある。

 日常の種々雑多な問題については、言うまでもない。
 ふっと気づいたとき、落ちついてよく自身を省みる。
 呼吸を調え、姿勢を正し、じっくり心中を観察する。
 気持ちが整理され、それだけでだいたいは解決する。

 人生の大きな課題にも、ほとんど同様に対処できる。
 折にふれて瞑想し、自分自身をじっくりと観察する。
 また日々体操しつつ、個々の部分の働きに注意する。

 自分というものは、実体として存在しないと分かる。
 自分と世界がどのように繋がっているか自覚できる。
 機が熟すとき、重要な真理が自ずから明らかになる。







  「考えない・食べないこと -幸福の原因」 20171010   ⇒【目次】

 不幸になるもとは、まず考えすぎることだろう。
 あれこれと考えすぎるから、心がおかしくなる。
 また食べすぎると、あらゆる病気が生じてくる。
 いわゆる生活習慣病はたいてい食べすぎで起る。
 心身の不幸は、考えすぎ食べすぎが原因らしい。

 考えるとは、思いを明確にして固定化すること。
 それは精神を限定し束縛する妄想に他ならない。
 必要なとき必要なだけ考え、すぐ止めてしまう。
 そうすればむだに心を苦しめ悩ますこともない。

 食べるとは、他の生物を消化して吸収すること。
 それは肉体を維持するための殺生に他ならない。
 まず懺悔して頂き、感謝しつつ少しだけ食べる。
 それで貪る気持も治まり、体がすこやかになる。

 考えずに心へ深く伺うと、直観力が鍛えられる。
 食べずに飢えをしのぐと、生命力が満ちてくる。
 できるだけ考えないで、食べないで生きること。
 それが幸福をもたらす直接の原因になると思う。







  「なりたかった自分」 20170921   ⇒【目次】

 若い頃に、そうなりたかった自分像がある。

  結跏趺坐できる自分
  平常心が保てる自分
  己事究明できる自分
  日々念仏できる自分

 それがこの頃ちょっとできるようになった。
 毎日ヨーガを実践して体が柔らかくなった。
 折々の瞑想によりどんな時も心が落ち着く。
 心身にわだかまりなく自己を直視している。
 平生より人知れず自然に称名念仏している。

 そうして天命らしき仕事も見つかってきた。
 それは現代に広く念仏を伝えることらしい。
 神話的でも教条的でもない分りやすい念仏。
 思弁的でも観念的でもない実効のある念仏。
 盲目的でも狂信的でもない智恵のある念仏。
 今そんな念仏でなければ受け入れられない。

 瑜伽行唯識思想による念仏行はそれを満す。
 理知的で実践的な唯識思想に基づいている。
 阿弥陀仏に対する解釈はほとんど必要ない。
 ただ基本的に念仏しつつヨーガを行うのみ。
 分かりやすくて心身にはっきり効果がある。
 そんな瑜伽念仏をなるべく広汎に勧めたい。

 うかうかしていて知命の歳もかなり過ぎた。
 体力が衰えて時間もあまり残されていない。
 躊躇せずすぐ具体的に行動するべきだろう。

 しかしようやく人生の目的が明確になった。
 やっと少し自分を知ることができたようだ。

  世のなか安穏なれ
   仏法ひろまれ
  瑜伽念仏つたわれ

『親鸞聖人御消息集 二(略本)』
※『定本 親鸞聖人全集 第三巻 和文・書簡篇(ワイド版)』親鸞聖人全集刊行会編
 法藏館 2008 書簡篇128p/七(広本)
 詮じさふらふところは、御身にかぎらず、念佛まふさん人々は、わが御身の料はおぼしめさずとも、朝家の御ため國民のために、念佛をまふしあはせたまひさふらはゞ、めでたふさふらふべし。往生を不定におぼしめさん人は、まづわが身の往生をおぼしめして、御念佛さふらふべし。わが御身の往生を一定とおぼしめさん人は、佛の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念佛こゝろにいれてまふして、世のなか安穩なれ、佛法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼへさふらふ。よく〜御案さふらふべし。このほかは別の御はからひあるべしとはおぼへずさふらふ。






  「止滅・信順 -考えず思わない・聞いて任せる」 20170901
   ⇒【目次】

 この頃、止滅と信順に心がけ、日々生活している。
 とりわけ瞑想する際は、最初にこれを念じている。

 端的に言うなら、止とは考えないことを意味する。
 さらに滅とは、心の中で何も思わないことをさす。
 考えないで名言を止め、思わないで意言を滅する。
 それは心のはたらきを、止滅させることに等しい。
 ※名言・意言: 「名言と意言、そして離言」20160717参照。

 ヨーガを行う目的も、まさしくこれに他ならない。
ヨーガとは、心のはたらきが止むこと。
「yogaḥ citta-vṛtti-nirodhaḥ」
(ヨーガハ チッタ ブリッティ ニローダハ)
※ヨーガ・スートラ第1章第2節
 また修行の極意は何も考えず思わないことにある。
常に何もおもはぬは、仏のけいこなり(至道無難)
 「何もしない、思わない」20150205参照。
 妄想・雑念がなくなれば、自由自在に生きられる。
 ただし意馬心猿を止めるのは、この上なく難しい。

 そして信とは止滅した心中に深くお聞きすること。
 さらに順とは、そこで一切お任せすることを言う。
 心身の声をよく聞きつつ、まわりの流れに任せる。
 もし神仏を信じているなら、御心にすべて委ねる。

 南無阿弥陀仏と称える意味も、ほぼ同様であろう。
 何も考えず思わず、阿弥陀仏に聞いてお任せする。
 生死の苦しみが消え去り、満たされて幸せになる。






  「生きるコツ」 20170818   ⇒【目次】

 ヨーガを習い始めてから、足掛け5年が経過した。
 何かの折に先生から、アーサナのコツを教わった。
 ややきつく感じるくらいが、ちょうど良いらしい。

 手足や腰・背中などを、曲げたり捻じったりする。
 その時にがんばり過ぎると、関節や靭帯を痛める。
 しかしいい加減にやっても、まったく意味がない。
 ちょっと苦しいほどではじめて効果が発揮される。

 これは日々生活してゆく上でも同様かもしれない。
 仕事でも家事でも、がんばり過ぎると疲れはてる。
 しかしまったりしていては、何も片づけられない。
 ややめんどうなくらいで、ようやく成果が現れる。

 また人生の岐路でも、より困難な方を選ぶと善い。
 人間はまったく同じ場所に止まることができない。
 そこより進歩するか、後退するかしかありえない。
 安易な方向に流れて、向上など図れるはずがない。

 今よりほんの少しでも、良くなりたいと願うなら、
 前よりちょっときつめな生き方をするべきだろう。






  「丹田呼吸」 20170804   ⇒【目次】

 最近ようやく、丹田呼吸ができるようになった。
 これまでもかなり注意し、腹式呼吸をしていた。
 しかし腹部はけっこう広く、どこが丹田か迷う。
 古来「臍下三寸」にある、と伝えられてはいる。
 ただそれでは「へそ」の辺りを意識してしまう。
 どうやらほんとうの場所はまだもっと下らしい。
  「気づきの呼吸瞑想」20130115参照。

 自分の感覚では、ほとんど恥骨の周辺だろうか。
 あえて「おちんちん」にあると極言してもいい。
 それくらい下腹部に、丹田の存在を感じている。
 そして、肚がストッと落ちるように、息を吸い、
 締め上げた肛門へ、押し込むように、息を吐く。
 大地に気づきつつ、踵から大気を吸うようにし、
 体内に注意して、わだかまっている邪気を吐く。
 いわゆる「氣」が、自分と天地の間で交流する。
  「氣に気づく」20140505参照。

 こうした丹田呼吸は腹式呼吸とまったく異なる。
 まず心がすっと落ち着き、物事に動じなくなる。
 怒りが湧いても、ただちに気づいて捉われない。
 雑念が鎮まり、意識が澄みわたり、直観が働く。
 思いのほか体が軽くなり、運動しても疲れない。
 さらに内臓の働きが改善し、お通じも良くなる。

 丹田の位置を覚って、ひと月しか経っていない。
 それなのにこうした驚くべき効果が数々あった。
 腹式呼吸と丹田呼吸の、格差にはびっくりした。
 これまでの不覚を心から恥ずかしく思っている。







  「エラスティック elastic」 20170710   ⇒【目次】

 ヨガマットを購入しようと、あれこれ調べていた。
 体に合う寸法は決まっていて、まったく問題ない。
 厚さ6mmで、幅60cm、長さ180cm程度。
 しかしどの素材が良いかについては、判断に迷う。
PVC(ポリ塩化ビニール)
【メリット】
・手ごろな価格
・ヨガマットでは主流の素材
・よれたりめくたりしにくい
【デメリット】
・においが強め
・水洗い不可
・汗などで滑りやすい
TPE(熱可塑性エラストマー)
【メリット】
・リサイクル可能でエコ
・においが少なく、手入れも簡単
・軽くて持ち運びに便利
【デメリット】
・熱に弱いため保管場所に要注意
・耐久性が低い
・比較的価格が高め
天然ゴム
【メリット】
・高い安定感
・高い耐久性
・グリップが効く
【デメリット】
・重く持ち運びに不便
・ゴムアレルギーの方は使用不可
・においが強い
 https://www.yoga-gene.com/member_blog/162683.html
 「TPE」という素材のものが、良さそうだった。
「TPE」(Thermoplastic Elastomers):熱可塑性エラストマー
耐久性を持ちながら、成形が容易でリサイクルも可能な、ゴムとプラスチックの両方の特性を持つ素材。単に「エラストマー」とも呼ばれる。
 http://www.wakoseisakusyo.co.jp/index.html
 この「E」は、「elastic」に由来する。
研究社 新英和中辞典での「elastic」の意味
音節e・las・tic 発音記号/ɪlˈæstɪk, əl‐/
形容詞
(more elastic; most elastic)
1a弾力のある,伸縮自在の 《★【類語】 ⇒flexible》.
elastic string ゴムひも.
bしなやかな.
elastic motions しなやかな動き.
2〈人・感情など〉不幸があってもすぐ立ち直る,容易に屈しない; 屈託のない.
an elastic nature ものにこだわらない性質.
3〈規則・考え方など〉融通性のある.
名詞
1不可算名詞 ゴムひも,ゴム入り生地.
2可算名詞 《主に米国で用いられる》 輪ゴム.

elasticの変形一覧 名詞:elastics(複数形)
elasticの学習レベル
レベル:5 英検:2級以上の単語 学校レベル:大学以上の水準 
TOEICスコア:600点以上の単語 大学入試:難関大対策レベル
http://ejje.weblio.jp/content/elastic 
 しなやかであり、不幸があってもすぐ立ち直る。
 容易に屈しないのに、 屈託がなく融通性もある。
 英語が苦手な自分にはやや難しい単語のようだ。
 けれどもその含意が、なかなか素晴らしかった。
 これからは、「elastic」な生き方をめざしたい。






  「苦痛と向合う」 20170603   ⇒【目次】

 心に苦しいことがあると、誰でも逃げたくなる。
 体に痛いところがあると、そこに触れたくない。
 けれども放って置いたらいつまでも解決しない。

 嫌でも苦痛と向合い、その様子をよくうかがう。
 そしてなんとか、お付合いできる方法をさがす。
 そうすれば心が鍛錬され体も健康になっていく。
 苦痛は心身の欠点を教える、先生と言っていい。

 また、禍福は糾える縄の如し(『史記』南越伝)、
 人間万事塞翁が馬(『淮南子』人間訓)という。
 善いことがあった後で、すぐ悪いことが起こる。
 苦しいことに遭ったら、すぐ楽しいこともある。

 ちょっと良いことがあった後、つらい目に遭う。
 でもまた数日後に、嬉しい出来事が巡ってくる。
 このように善悪・苦楽は日々交替して止まない。

 さらに詳しく観ると、善の中に悪の要素がある。
 苦しい中にも、楽しい部分がないわけではない。
 両者は入れ子のようになっていて分割できない。

 ささやかな自分の経験でも、確かにそういえる。
 善悪・苦楽は、ほぼ半々の確率で発生している。
 人生は苦しいけれど、決して悪いだけではない。
 「苦痛は好機」20160606参照。







  「今ここで体に心を」 20170505   ⇒【目次】

 この頃、さまざまな瞑想法が流行するようになった。
 坐禅、阿字観、ヴィパッサナー、マインドフルネス。
 仏教以外でもヨーガ、気功、体操、歩行、呼吸等々。
 これらには、いくつかの共通したテクニックがある。
 思考を止め、体の動きを感じ、呼吸を意識すること。
 とりわけ、「今ここ」に気づくことが重んじられる。

 ただし「今」に気づくことは、比較的分かりやすい。
 済んだことをくよくよせず、先のことも心配しない。
 眼前の行動と、直接関係がある事柄にだけ集中する。
 過去や未来は、しょせん自我の妄想にすぎないのだ。

 しかし、「ここ」とはどこなのか、ちょっと迷う。
 これはやはり、自分の体と考えたら気づきやすい。
 五体のすみずみまでを、つぶさに実感するとよい。
 頭、首、肩、肘、手、胸、腹、腰、膝、足、等々。
 これを適宜くり返した後、全身をそのまま感じる。
 何かしている最中であれば、その動作に集中する。

 そうすると、自然にむだな思考が停止してしまう。
 心と体が調和し、穏やかで安らかな気持になれる。
 瞑想中だけでなく、日常生活でも同様に心がける。
 今ここで、この体に心を合わせると、幸せになる。







  「五行 ―正しい行住坐臥と食」 20170401   ⇒【目次】

 これまでは日々身体を、なにげなく動かしてた。
 とくに意識せず、身についた動きに任せていた。
 けれども歳をとって、ある時ひどい怪我をした。
 自分の動きを、根本的に見なおす必要があった。

 ヨーガや気功、体操などを本格的に始めてみた。
 呼吸やいろいろな動きに注意するようになった。
 日常生活でも立ち居振る舞いに気をつけていた。
 そうしてようやく、正しい動作が分かってきた。

 (一)行:歩行
  経行 歩く瞑想(Walking Meditation)
  足の動きに気づきながら、一歩一歩、ていねいに歩く。
 (二)住:直立
  立禅 ターダアーサナ
  足の裏をしっかり地面に付け、体をまっすぐに伸ばす。
 (三)坐:安坐
  坐禅 パドマ・バジュラアーサナ
  足を組み、腰を起し、背骨を正し、呼吸を調えて坐る。
 (四)臥:横臥
  臥禅 シャバアーサナ
  仰向けに寝て手足を少し開き、全身リラックスさせる。
 (五)食:飲食
  少食 微食
  なるべく食事の量を減らして、懺悔し感謝して食べる。

 正しく動くとき、ほとんど坐禅や瞑想に等しい。
 心が何者にも煩わされず、透き通って気持いい。
 こうした五行(行住坐臥食)が幸せに直結する。







  「五歩 ―正しい歩き方」 20170321   ⇒【目次】

 昨年右膝を痛めてから、歩き方に注意するようになった。
 ひどい時には、膝がガクガクして痛み、歩行困難だった。
 まずリハビリ的な歩行法を、あれこれ調べて試してみた。
 足を踵から下ろし、まっすぐ移動させて、つま先で蹴る。
 確かにこうすると膝の負担が減少して、サッサと歩ける。
 でもこんな今風のウオーキング法には、違和感があった。

 その頃、なにげなく「なんば歩き」の本を手にした。
 同側の手足が前に出る、日本古来の歩行法だという。
 ただ「なんば歩き」はいくつも説があり、混乱する。
 これをより発展させ「常歩(なみあし)」が生れた。
 着地足側の体幹を、前方へ押し出すようにして歩く。
 こうすることにより、体を捻じらず合理的に歩ける。
 「なみあし身体研究所」

 このように注意して歩くと、雑念が消え爽快になる。
 歩くことで、ほとんど瞑想に匹敵する効果が現れる。
 いま流行のマインドフルネスでも、歩く瞑想を行う。
 歩いていることに気づきつつ、ただしっかりと歩く。
 いまここに生きて、健康で平和に歩くことができる。
 楽しみながら歩く一歩一歩が、心身を癒してくれる。
 「ティク・ナット・ハン マインドフルネスの教え」
   →「歩く瞑想 - Walking Meditation -」

   

 これらをかんたんにまとめると、次の「五歩」になる。
 (一)パワーウォーキング
  いつもよりやや歩幅を広げ早足で歩き、体力向上をはかる。
 (二)リハビリウォーキング
  踵から地面に付き、つま先で地面を蹴り、腕を大きく振る。
 (三)なんば歩き
  右足が前に出るとき右肩が出る、左足のときも同様にする。
 (四)常歩(なみあし)
  着地足側の股関節を十分に機能させ、同側の体幹を前方へ出す。
 (五)歩く瞑想 - Walking Meditation -
  いつでも歩いていることに気づきながら、ただ歩くために歩く。
  あせらず、とらわれず、しっかりと、一歩一歩いまここに戻る。

 この内(四)がお薦めで、(五)が理想だろうか。
 要するに、ただまっすぐ、ていねいに歩けば良い。






  「五食 ―正しい食べ方」 20170303   ⇒【目次】

 食事の方法として、おおむね次の五食がある。

 (一)過食:一日三食。または暴飲暴食。
  できるだけ避けるべきで、行事や付合いなど止むをえない場合のみ。
 (二)節食:通常の食材による一日二食。
  過渡期の食事法であり、一食へ移行するように努め、間食も控える。
 (三)少食:通常の食材による一日一食。
  好きなものを食べ、飢餓感があれば、おやつ程度に間食してもよい。
 (四)微食:野菜を中心とした一日一食。
  玄米採食が中心で、肉食はなるべく避け、徐々に食事の量も減らす。
 (五)不食:飲み物だけで食事はしない。
  「氣」を食べる理想的な食事法で、誰にでもできるとはかぎらない。

 いま先進国で、成人病の大半は、食べ過ぎに原因がある。
 とにかく食事を減らすだけで、多くの病気を予防できる。
 また、ほとんどの食べものは、生きものに由来している。
 これを食べないようにすれば、無益な殺生を避けられる。
 日々慈悲行に勤しみ、幸運に恵まれ、生活しやすくなる。
 「少食知足 -ミニマル・ライフ Minimal Life」20160505参照。

 健康を維持できる程度に食べ、懺悔と感謝の心を捧げる。
 日々なるべく(三)を実践し、さらに(四)を追及する。
 もし天賦の才があるようなら、(五)に挑戦してもよい。







  「心身の振動」 20170205   ⇒【目次】

 この世のあらゆるものは、常に振動している。
 一瞬たりとも完全に静止していることはない。
 大小様々にゆれ動きながら変化して止まない。

 自分の体もよく観察するといつも動いている。
 まったく同じ位置に止まっていることはない。
 振動が小さい時、静止と誤解するだけだろう。
 心は意馬心猿と言われ、さらに動きが激しい。
 思考や感情・欲求で、いつもゆれ動いている。

 時々変化に、付いていけなくなるときがある。
 どこか一箇所に止まって、休息したいと思う。
 しかしそうした発想は根本的に間違っている。

 意外にも静止しようとすると、力を浪費する。
 自然な動きに逆らうことで、疲労してしまう。
 むしろ振動のままゆらゆらしている方がいい。

 心身の振動を、いつも感知するよう心がける。
 決して一箇所に、止まろうとしてはならない。
 そして自然の動きに逆らわず生きて行きたい。
 坂村真民「つねに前進」
 すべて
 とどまると
 くさる

 このおそろしさを
 知ろう
 ※『念に生きる』致知出版社 2004 15p






  「重力に目覚める」 20170130   ⇒【目次】

 野口体操では、重さが力であるという。
 筋肉には頼らず、重力を駆使して動く。
 その重さにより地球とも繋がっている。

 重さを感じながら、全身の力を抜く。
 重さで沈む方向に、動きを合わせる。
 筋肉で力を出さず、感覚器とみなす。
 筋力でなく、主に骨格で体を支える。
 体の動きに合わせ、深い呼吸をする。
 なるべく脱力して、リラックスする。

 行住坐臥で、自分の重さをしっかり感じる。
 とくに意識しなくとも、動作が自然になる。
 自ずから地球と調和した、生き方ができる。





  「からだに貞(き)くヨーガ」 20170103   ⇒【目次】

 「野口体操」を創始した、野口三千三という人がいた。
 ※(1914〜1998)東京芸術大学名誉教授
 生涯を体育の発展に捧げて、数多くの名言を遺している。
 その代表的なものとして、体操に関する次の言葉がある。
「体操とは占である」「体操とはからだに貞くことである」
 真の体操とは、運動の速度や難度を競うようなものではない。
 自然そのものである自分の体に、神の声を貞くことだと言う。
 あらゆる知識による先入観を捨て去った所で(このことは極めて難しいことだが)、自分自身のからだの中身の事実としてのあり方を「からだの中身の神の声を貞く」という、敬虔・謙虚なあり方で、そして素朴・素直な感覚で、常に新しく「問いかけ」を繰り返すことが、何よりも大切であるとつくづく思う。
「もともと自然そのものであった自分のからだが、今も本来の自然そのものであることを、動くことのからだの実感によって、再体験・再確認する営みを体操という」ということも、「自然の力に任せ切ることのできるような状態になり得る能力が力と呼ばれるものであることを、動きの実感によって納得する営みを体操という」ということも、「体操とは占である」という人間のあり方・生き方をいうのである。
※野口三千三『野口体操 からだに貞(き)く』春秋社 2002 248p
 ヨーガでも謙虚な心で、自分の体にきく態度が重要とされる。
 佐保田鶴治先生は、ヨーガを毎日必ず行うべきだと言われる。
 その際、体との対話が必要であり、次のように教示している。
 自分の体がちゃんと自分の体のことを教えてくれる。これは学問もなにもいらんのです。また技術もいらんのです。自然に体が体のことを教えてくれる。手取り早い例をあげると、ヨーガの体操を毎日、いろいろとやっておりますと、その時の状態に応じて非常にやりづらい体操があります。これは体が教えてくれているんです。この体操をやればお前の欠陥はだんだんとれていくんだからこれをやりなさいということだと思ったらいいですね。……それぞれ一人々々の体の悪い状況ってのはどんな偉いお医者さんでも分からない。ところが、今言ったように、ヨーガをやっていますとヨーガがちゃんと教えてくれる。直接これだと口では教えてくれないし、言葉では教えてはくれない。痛いところ苦しいところがあることで、ここだってことを教えてくれるんですね。これがつまり体のことは体にきくっていうことです。
※佐保田鶴治『ヨーガ禅道話』人文書院 1982 47p
 日々の体操によって、苦痛がある部位を特定できる。
 そこがまさに自分の欠陥で、改善が求められている。
 痛いところ苦しいところによく注意しつつ体操する。
 しばらくすると自然に治癒して、より健康になれる。
 「からだに貞く」とは、ヨーガの極意と言ってよい。