雨読










魂のこと 《補遺》






   【目次】

 「念仏の利益(りやく)」  「なんとかたすかった

 「無為の念仏」  「自分の問題」  「悩みと苦しみ

 「苦みを味わう」  「一日一苦労」  「いま幸せ







  「いま幸せ」 20191101   ⇒【目次】

 幸せになりたいと思えば、いますぐなれる。
 とにかく後先を考えず、心を空っぽにする。

 済んだ過去のことなど、すべて気にしない。
 訪れてもいない未来を、あれこれ考えない。
 この瞬間に意識を研ぎ澄まし、全身を感じる。
 生きているだけで、体は喜びにあふれている。

 妄想さえしなければ、心たのしく安らかになる。
 悩み苦しむのは、自分のごく一部分にすぎない。
 ちょっと気もちを切り換えて、心をすっきりさせる。
 そうすれば何はなくても、もうここで幸せになれる。
 ※「一息の幸せ」20160310参照。






  「一日一苦労」 20190901   ⇒【目次】

 一日一善ということばがある。
 それにちなんで一日に一回は、
 なにかを選びあえて苦労する。

 そうすれば精神が鍛錬され、
 とりあえず問題も解決する。






  「苦みを味わう」 20190731   ⇒【目次】

 苦みは本来まずいものにちがいない。
 それがお茶や野菜などうまく感じる。
 「良薬は口に苦し」という諺もある。

 日々の出来事でも同じかもしれない。
 つらいことが起き避けられないとき、
 まずただ受けとめて苦しむしかない。

 それでもよく味わえば、慣れてくる。
 そのうちにうまみも、感じるだろう。
 これが自分を向上させる良薬になる。






  「悩みと苦しみ」 20190515   ⇒【目次】

 「苦悩」という言葉がある。
 漢字をひらくなら、悩み苦しみとなる。
 辞書的には、苦しみなやむことをいう。

 しかしこれではなんの説明にもなっていない。
 つらい出来事に頭を悩ませ、心を苦しませる。
 よくよく考えると悩みと苦しみはやや異なる。

 悩むときにはおもに言葉を使う。
 苦しみはそれに感情がまつわる。
 これをあえて唯識思想でいうなら、
 悩みは名言、苦しみは意言となる。

 名言なら気づけばすぐに止められる。
 しかし意言は意識的に止められない。
 ただ見つめてそのままにしておけば、
 やがて跡かたもなく消え去っていく。
 くれぐれも手だしをしてはいけない。
 苦悩するときは、意言に注意したい。
 ※「名言と意言、そして離言」20160717参照。






  「自分の問題」 20190418   ⇒【目次】

 つらいことが身に起こって、
 苦しい思いに苛まれるとき。
 何のためかと原因をさぐり、
 誰のせいかと犯人をさがす。

 しかしあちこちさがし求めても、
 ほんとうに解決することはない。
 ほとんどは、自分の問題なのだ。

 事故や災害などの物理的な脅威、
 攻撃や病気による肉体的な損傷。
 他人のせいにできる範囲は、
 客観的にはかれるものだけ。

 あとは受けとり方しだいで、
 どのようにでも変化する、
 自分の心に原因がある。

 なにか苦痛を感じたときは、
 すぐ自身をよく観察したい。






  「無為の念仏」 20190321   ⇒【目次】

 なにもしない、
 なにも考えない、
 なにも思わないで、
 ただ呼吸にあわせて、
 南無阿弥陀仏と念じる。
 いつでも心が正気になる。
「無為の瞑想 -強為から云為、そして無為へ」20180921参照。






  「なんとかたすかった」 20190205   ⇒【目次】

 もの心ついてから、とにかく生きづらく、
 これまでにあれこれと、道を求めてきた。
 しかしなにをやっても、ほとんど失敗し、
 かろうじて念仏だけ、すこし身についた。

 右往左往しつつ、数十年もやってきて、
 このごろやっと、心が落ちついてきた。
 どうやらなんとか、たすかったらしい。






  「念仏の利益(りやく)」 20190130   ⇒【目次】

 念仏すれば、浄土があらわれる。
 浄土の功徳が、身体にあふれる。
 悩みがことごとく、消えさって、
 苦しみもいえて、安らかになる。
 これが念仏による、究極の利益。