徒 然 雑 記 2004
「新型パソコン」 20041226
実は先月の9日に、憧れの新型パソコン(以下PCと略称)が到着した。
先々週あたりから拙サイトの更新も、新しいマシンで行っていたりする。
年々厳しくなる一方であった懐具合のせいで、かれこれ5年ほど、ノート型もデスク型も一切、買っていなかった。いまで遠い昔、OSが変わるたびに1台は新調していた頃が懐かしい。
ちなみに自分は、ハード面にあまり凝らないタイプであって、PCを自作したり、家庭用にファイル・サーバーを構築したりする、パワー・ユーザーではない。しかし、10種類ほどのソフトを駆使し、平日なら仕事も含め毎日約10時間もPCの前へ座る、ヘビー・ユーザーではある。
こうしたソフトを使う際に、そろそろ古い愛機では不都合が出てきたので、やむなくこの財政難の折、ボーナス目当てにデスク型PCを1台購入した。
数ヶ月前からWebを巡回して、どの機種にするか調べ上げていた。
DELLかIBMかと考えていたら、なんと3年ほど前に撤退したGatewayも、日本へ再上陸しているではないか。しかしご存知のように、あのIBMがとうとうPC業界から撤退した。DELLは、かつての悪いイメージがどうしても払拭できない。Gatewayにも、以前裏切られたつらい思い出がある。
結局、なぜか本命外だった、旧機種と同じEPSONに決まった。
まあいいタイミングでスリムな新製品を投入してきたのと、旧機種が地味でありながら使いやすかったのと、HPのBTOでちまちまと欲しいスペックを選ぶのが好きだったこと、等々が決め手だった。
【基本スペック】
本体 Endeavor AT200
OS Microsoft□ Windows□ XP Home Edition Service Pack 2
CPU HTテクノロジ インテル(R) Pentium(R) 4 プロセッサ 3E GHz
チップセット インテル(R) 865GVチップセット
ビデオ インテル(R) 865GVチップセット内蔵3Dグラフィックス
メモリ 512MB (256MB×2) PC3200 DDR SDRAM
ハードディスクドライブ 80GB Ultra ATA/100対応E-IDE 7200rpm
CD/DVDドライブ スリムスーパーマルチドライブ
(CD-R/RW&DVD±R/±RW&DVD-RAM)
フロッピーディスクドライブ 3.5型 内蔵FDD (2モード)
サウンド機能 インテル(R) 865GVチップセット内蔵 AC'97
ネットワーク機能 100Base-TX/10Base-T対応ネットワーク機能
USB機能 USB2.0対応 (前面×2、背面×2)
キーボード&マウス 109 USB K/B&ホイール付USBオプティカルマウス
ディスプレイ 17型液晶:三菱 RDT179M
合計金額 約壱拾五萬円
しかし、その後ほぼ一月は、泥沼のように果てしなく続く、新しいPCの設定に追われ、寝不足がひどかった。カゼが長引いたのも、そのせいでなかったかと疑っている。
【設定スケジュール】
◆11月9日(火)
製品到着、受注日2004年11月4日。
◆11月10日(水)
梱包開封、検品、マニュアル精読。
◆11月11日(木)
本体・キーボード・マウス・ディスプレイ接続。
ディスプレイをデジタル信号用ケーブルで接続したが、どうやっても映らなかった。
アナログ信号用ケーブルに変えると、問題なく作動した。
◆11月12日(金)
BUFFALOのUSB2.0無線LANアダプタ「Air Station」を使い、インターネット接続。
◆11月13日(土)
無線LANのセキュリティ対策として、懸案の暗号化をPC3台分に行う(WEP)。
「今昔文字鏡 単漢字10万字版」(CD-ROM)をインストールする。
◆11月14日(日)
Eメール設定、LAN接続。
Eメールの接続は難なく終ったのに、LAN接続がてこずる。
考えあぐねた結果、「ウィルスバスター」の「パーソナル・ファイアウォール」が
LANを遮断していたと判明する。
◆11月15日(月)
IME設定、「Office2003」インストール。
「ダウンロードNinja2」インストール。
◆11月16日(火)
画像ファイルのパックアップと移動。
「My Pictures」をCD−ROMに焼き、ファイルを消去する。
◆11月18日(木)
「デジカメの達人 POWER+」インストール。
【泥沼の設定地獄風景】◆11月19日(金)
「ホームページ・ビルダー V9」
インストール(HP転送設定も完了)。
◆11月20日(土)
「EPSON PM2000C」のセットアップ。
PCと同じ会社のプリンタなので
ドライバをインストールせずに、
パラレル接続できた。
◆11月21日(日)
ファイル移動、PCセットアップ完了
◆12月中頃まで
OSや各種ソフトのカスタマイズ。
今ようやく泥沼の設定地獄を抜けて、全ソフトのインストールも完了し、日々愛機は快調に走っている。めでたし、めでたし。
※ 今回煩瑣になるので、PC用語に注は付けませんでした。
悪しからずご了承ねがいます。
「カゼものの当り歳」 20041207
今年は、異常に台風が多かった。観測史上最高の上陸数だったそうで、12月になっても、まだ台風関係のニュースが報道されている。
ちなみにわが家でもカゼが大流行し、早くもこの季節、まんべんなく3回づつくらい、家族みんなが寝込んでいた。先週は幼い息子から、ウィルス性とおぼしきカゼをもらい、急に吐き気をもよおして、その後3日はろくに食べ物がのどを通らなかった。
大事な仕事もいくつか重なり、ゆっくり休みを取ることもできず、ダイエットになるわ、などと冗談言っている場合ではないほど、ホントしんどかった。
自分で勝手に決めたお約束で、週に一度は拙サイトを更新することにしていたが、今週は危なかった。仕事が終わって家にいる間中、布団にくるまっていたような気がする。
今もまだ本調子ではなく、また鰤の逆襲(ブリカエシ)に遭うといけないので、申しわけないけれど、このような情けない内容でご勘弁ねがいたい。
皆様、くれぐれもカゼなどお召しにならないよう、お祈りいたしております。
「続 天神様ツアー」 20041128
先月の25日(月)に、南砺市の井波で予約して来た木彫の天神様が、いよいよ完成したという連絡が入った。そこで23日(火)の「勤労感謝の日」に、行楽がてらゆっくり日程を組み、「いなみ 木彫の里」までお迎えに行ってきた。
当日はまたとない秋晴の一日であり、お昼は途中で食べるとして、例のごとく親子三人で朝から出かけた。わが息子は親父と違って、乗り物に慣れているらしく、いつもスヤスヤと気持ちよく寝ている。旅行好きの母親孝行な奴で、温泉もまるでOKだったし、これからはたびたび出歩けるだろう。
昼食は早めに某所のショッピング・センターで済ませ、ちょっと買い物して再び井波へ向かった。
ちなみに気になるお値段の方は、付属品を一切付けないということで、作品の出来に比べ、かなり安かった(金額は秘密です)。
1時過ぎに「木彫の里」へ、着く。
さすがに祝日とあって駐車場がいっぱいであり、大型バスも横付けされておりにぎやかだった。すぐ「匠工房」へ行くと、なにやらこの時期、同じ目的のお客をちらほら見かけ、ニコニコしながら大きな木箱を担いでいた。
我々の目的は、古川さんという仕事が丁寧で話し好きのひょうきんな木彫師が、桜材で最初に手掛けた、記念碑的な(?)天神様だった。いろいろ話を聞くと、予約後仕上作業をしている時、何人もこれが欲しいと言ってきたらしい。ことほど左様に、小ぶりであってもなかなか男前の天神様で、お迎えする側も鼻が高い。
まあ愛想のいい人で、いくらかリップ・サービスは入っているだろうけれど。
【凛々しい天神様の図】
帰りはどこも寄らず家まで直行し、計画通り冷蔵庫に寝かしてあるボンジョレ・ヌーボーを空けて、お祝いをした。恐らく天神様は日本酒がお好みであろうが、それは本番の正月に、たっぷり味わってもらうこととしよう。
しかし口当たりのいいワインを、ついつい一本空けてしまった翌日は、久しぶりに二日酔い気味で、朝起きるのがかなり辛かった。
「天神様ツアー」 20041107
先月末の25日(月)と26日(火)、わが息子の天神様を買いに、木彫の町として有名な井波方面へ行ってきた(ちなみに井波町は市町村合併され、11月1日付で南砺市となっている)。
通常、氷見地方では長男が産まれた場合、奥様の実家から天神様が贈られる。わが家の場合は、這般の事情により、実家から資金をいただき、われら夫婦で好きなものを選んで良い、ということになった。
当然、家には掛軸の天神様が代々おられ、毎年の正月に狭い床の間を占領している。ここに新しい軸を掛けるより、木彫でもおけばということで、井波行が計画された。
それならついでにどこかで一泊して骨休めしようという話になり、庄川温泉でも行こうかとインターネットでお宿を検索した。しかし半月前になってようやくこんなことを言っているようでは、ふつう温泉宿など取れない。あちこち調べて結局、温泉施設もある「砺波ロイヤルホテル」に予約をした。
その詳細は、「温泉めぐり」にでも書くことにしよう。
ていねいに彫られており、ひょうきんな作者の人柄も感じよかったので、やや小柄な桜の天神様を、息子へ贈ることにした。 なかなか良い買い物だった。
【「いなみ 木彫の里」内「匠工房」の一角】25日の2時に出発し、近道を抜けて3時過ぎ「いなみ 木彫の里」へ着く。
ここには木彫の工房がいくつも入っており、この時期どこでも天神様が制作されている。直接作者と話しながら買えるので、百貨店などより融通がきく。5軒ほど覗いたところ、気さくなおじさんがいて、なかなか凛々しい天神様を彫っていた。
奥様が一目見るなり、その表情が好きになったらしく、詳しい話を聞くことにした。そのうち桜材で初めて彫ったという、天神様を見せてくれ、またこれが通常の欅では出ない色艶をしていた。
すぐに4時を回ったので、まだ陽が落ちないうちに、隣街のホテルへと向う。
ちなみに正確に言えば、この時点では庄川町が存在しており、隣の隣の街だった。それが11月1日付で市町村合併され、新・砺波市が誕生し、南砺市と隣接することになった。いやはや、ややこしいことではある。
わが子と若葉マークの両親にとり、初めてのホテル体験で、いささか不安な点もあったが、客あしらいの上手なお宿で、無事ゆっくり一夜を過ごすことができた。翌日は屋敷林に台風23号の爪あとが残る砺波方面をドライブし、息子に高級な木製のおもちゃを買って帰ってきた。
ただし帰宅後、病み上がりのカゼが急にぶり返し、なかなか長びいて治らない。
一進一退を繰り返しつつ、本日もゴホゴホと咳き込みながら、律儀にサイトの更新をしているのだった。ああ情けない…。
「もう台風で地震で」 20041025
9月11日に「もう台風で台風で」 と題し、「しかし台風シーズンはむしろこれからなので、今年はいったいどうなるかと、この先が思いやられて仕方ない」と歎息していた。
案の定、10月20日夜、また大型の台風23号が富山県内を襲い、今度は各地に深刻な被害をもたらした。9月7日の台風18号(中心気圧は960ヘクトパスカル、最大風速は陸上20メートル、海上25メートル)も、最大瞬間風速が観測史上最も強い42.7メートルを記録し、平成3年9月の台風19号以来の大きさだった。
しかし今年の23号は、それをさらに上まわるものとなった。
通常、富山県では台風が来ると、南西の風が強まり、フェーン現象が起こって気温も高くなる。この場合は、立山連峰がある程度、風を遮ってくれるので、それほど被害は多くない。しかし23号は中部地方を直撃するコースで、風向きも北東だった。氷見の年寄りが恐れる「あいの風」の台風となり、冷たい風雨が激しく降り注ぎ、通り過ぎるのにも丸一夜かかった。
朝、近所を歩くと、看板が落ちるわ、屋根瓦は散乱するわ、並木が倒れるわで、街中方々で被災していた。今回の台風情報をまとめると、次のようになる。
【台風23号】
大型で強い台風23号は、中心付近の気圧980ヘクトパスカル中心付近の最大風速35メートルで、10月20日午後11時頃、富山県にもっとも近づいた。台風接近にともない、県内では午後6時頃暴風域に入り、午後7時から8時にかけ高岡市伏木で40.6メートルの最大瞬間風速を観測した。
この影響で県内は、1人が行方不明40人が重軽傷を負い、庄川と神通川が警戒水位を上回り、氷見市で土砂崩れが発生した。
また20日夜、富山港沖で避難停泊していた航海訓練所の練習船「海王丸」は、強風でいかりが流され、防波堤に衝突した。乗組員・実習生など167人が乗船しており、船体の半分以上が沈み、波をかぶった。
ところが台風だけならまだしも、10月23日午後6時頃、震度3ほどの地震が2回あった。新潟県の震源では、震度6の強い揺れが3回も起り、余震がまだ続いているという。
今日までの状況をまとめると、次のようになる。
【新潟県中越地震】
10月23日午後5時56分以降、新潟県中越地方で、震度6強の地震を3回観測した。富山県内では、午後6時頃に震度3・午後6時半頃にも震度3を観測した。ただし県内で、地震によるけが人や火災・被害の報告はなかった。
この地震の被害は24日、新潟県警の調べで死者23人に上り、負傷者2,100人を超えた。死傷者数による被害規模は、1995年の阪神大震災以来だった。防災科学技術研究所は、小千谷市での揺れが震度7相当だったと報告し、震度5の余震が続き、避難者は夜になって85,000人に達した。全半壊など建物の被害は住宅約2,700棟、事務所や公共施設が約1,200棟、また約60カ所で山崩れが起きた。
電気は24日午後10時現在で約95,000戸が停電し、小千谷市などを中心に停止している、水道・ガス・電話の復旧見通しは立っていないという。
営業運転中の新幹線として初の脱線事故を起こした、上越新幹線の復旧には数週間かかる見通しで、北陸・関越自動車道は路面の段差やひび割れ、道路脇の斜面崩落などが見つかり、新潟県内で通行止めが続いた。国道など一般道路でも200カ所以上で損壊や陥没があり、通行止め区間が相次いだ。
ほんとうに阪神大震災以来の地震であり、新潟県で被災された方々が気の毒でしかたない。富山県は地震災害が少ないとはいえ、なにしろ隣県で、これほどの大災害が発生したのだ。
台風23号で、瓦が落ちたやら木が倒れたやらなど、まったく被害の内にも入らない。
ひどい年になったものだと、背筋が寒い思いがする。
※ 各種情報は、「北日本新聞」「インターネットKNB」等によった。
「息子の近況」 20041003
最近とみに息子から、目が離せなくなっている。
生後9カ月に入る少し前、ハイハイをマスターし、行動力が格段に増した。それまで両手両足を同時に出し、バタフライのような方法でしか移動できなかったのに、もうクロールの如く、交互に手足を動かして、スムーズに前進するようになった。
おかげさまでちょっとよそ見している内に、部屋の隅から隅へ達してしまい、フォローがきかなくなる。あちらで窓を叩いていたかと思えば、もうこちらでテレビのリモコンをいじり、またそちらでコップを投げつけたりしている。
うわさにはかねがね聞いていたが、もう想像以上の事態に至っている。さらにこの先、立っちなんかしたりしたらどうなるのだろう。オムツの時でも、しばしば交換が間に合わず、お尻まる出しでハイハイしているのに…。
そうした育児にまつわる不安解消の意味でも、昨日わざわざ富山へ「子育て応援講座」に行って来た。
(財)富山県女性財団が主催で、富山県民共生センター「サンフォルテ」にて午後1時半から開催された。第2回である今度のお題は、
「タッチ・コミュニケーション(ベビー・マッサージ)の効果と安全性」
となっており、国際伝統医学センターの上馬場和夫氏が講師だった。
内容は、近年欧米で盛んに行われている「ベビー・マッサージ」について、実技も交えて紹介するというものだった。「むき出しの脳」と言われる幼児の皮膚を、暖かくていねいにマッサージすることで、親子のコミュニケーションを増進させ、情緒が安定した人間に育てようとするものだ。
講師がスライドや人形を使い、微に入り細をうがち、あまたのテクニックについて解説してくれ、それはそれでおもしろかった。しかしわが子はかんじんの時にむずかった挙句、昼寝してしまい、せっかくの実技を施すことができなかった。まあこれから家でじっくりやればいいけどね。
このようにして2時間ほど話を聞いて思ったのだが、世界的な事例としてインドや中国の育児法も紹介されていたけれど、わが国で伝統的に行われてきた育児には、自然とこの「タッチ・コミュニケーション」的な要素が盛り込まれていたようだ。「三歳までは神の内」と言い、いつも抱っこに負んぶで育てる方法は、まさしく「ベビー・マッサージ」に他ならない。欧米のように、幼児を個室で寝かせるようなお国柄なら、大上段に構えてこのような方法を説くのも分る。でも日本の場合は、ふつうにしていれば、じゅうぶん赤ん坊と「タッチ」しているのではないか。
むしろわが家のように、皆でそれぞれ赤ん坊をかわいがり、「ベビー・マッサージ」ならぬ「ヘビー・マッサージ」に陥っている可能性がある。もう抱き癖つきまくりで、大人の顔を見ては両手を広げ、「抱いて!」とばかりにやられると、もうたまらなくなってしまうのだ。これでは甘やかすあまり、息子をスポイルしてしまいそうで恐い…。
むしろそれより、お父さんお母さん向け準備運動として教えてくれた、手のツボに対する「ハンド・マッサージ」と、足で全身に施すマッサージが、なかなか効果的だった。
ここで詳細をお教えできないのが、残念である。
「もう台風で台風で」 20040911
今年はとにかく台風が多い。
富山県内に大きな被害が出たものでは、8月20日の15号、8月31日の16号、そして9月7日の18号が挙げられ、後になるほど被害も大きかった。
各々の特徴をニュースなどから拾うと、次のようになる。
[台風15号]
8月19日夜から20日朝にかけて県内に最接近。気圧975ヘクトパスカル。最大風速は海上で20メートル、陸上で15メートル。最高気温は富山37度、高岡35度。20日午後、台風通過による高潮のため、新湊市中心部を流れる内川に海水が逆流し水位が上昇、川沿いを中心に59戸が床下浸水した。
[台風16号]
8月31日未明最接近し県内全域が強風に見舞われた。中心気圧965ヘクトパスカル。最大風速陸上で20メートル、海上で25メートル。氷見、小矢部両市、城端町など県内約1600戸で一時、停電。県西部を中心に収穫前のリンゴが落ちる等、農作物にも被害があった。富山市では午前7時6分、最大瞬間風速26メートルを記録した。
[台風18号]
9月7日最接近で、中心気圧は960ヘクトパスカル。最大風速は陸上20メートル、海上25メートル。最高気温が富山で36度(平年27度)。最大瞬間風速は富山市で観測史上最も強い42.7メートル(午後6時53分)を記録。倒木の下敷きなどで少なくとも重傷3人を含む17人がけがをし、富山市内で家屋40棟以上が一部損壊するなど建物の被害も出た。台風の規模は、「小矢部大火」など被害が甚大だった平成3年9月の台風19号以来の大きさだった。
幸い氷見市では、停電以外に目立った災害がなかった。
またわが家は台風の際、いつも朝日山が屏風になってくれるので助かっており、鉢植と簾が壊れた程度で済んだようだ。しかし、なにせフェーン現象で暑苦しく、最低気温が30度近い夜もあった。おかげで睡眠不足による夏バテがひどく、ここ数日イライラしていた。
全国で災害に遭われた方々の苦労を思うとき、こんなグチなど書くのも憚られる。しかし台風シーズンはむしろこれからなので、今年はいったいどうなるかと、この先が思いやられて仕方ない。
※「北日本新聞」など参照
「花火大会」 20040809
先日(株)スケノから花火パーティのご招待があった。有名な庄川の花火大会で、高岡店のテラスから絶好の位置で観賞できるという。
昨年末にキッチンをリフォームした関係で、お得意先リストにまだ名前があり、声をかけてもらえたのだろう。来年はもうお誘いなどないはずで、これが最後のチャンスであると、奥様が力説なさるから、勤務日なのに赤ん坊を婆様へあずけ、夜遊びに出かけた。
7時から立食パーティが始まり、8時から1時間ほど花火が上がるという。
とうぜん高岡方面の道路が非常に混雑するものと思われ、なるべく早めに出発すべきであった。けれども例のごとく息子と犬の世話や、お着替え(やはり花火といえば浴衣です)等に手間どり、ようやく6時半に家を出た。
ふつうでも庄川まで30分はかかるから、こりゃ7時半に着けば良い方だ、などと言っていたら、案の定7時40分を過ぎてようやく到着した。それでもまだ尻の重いお客が多いのか、(株)スケノの皆さんは総出でお迎えしており、スムーズに駐車できた。
高岡店は構造が複雑で説明困難だが、たぶん4階ほどに設けられた会場で、40人ほど集まり、バンドも入ってどんちゃん騒いでいた。時間がないので、さっさとめぼしい食べ物をあさり、腹を満たしてテラスへ出た。
【第53回 北日本新聞納涼花火大会 in 庄川】庄川の花火は北日本新聞が主催で、千数百発打ち上げられる。富山新聞主催で、同時多発的に福野とかでもやっている「氷見まつり」の花火とは、規模からして違う。
二つを見比べた印象では、質・量ともに高岡の半分程度だろうか。まあ「氷見まつり」は毎年のことなので、会場へも行かず、家のベランダで遠目に眺めるだけだから、感動が薄いせいもある。それでも見たこともない花火が多く、また時間も20分ほど長かった。
堪能いたしました。
帰りも高岡店の皆さんが親切に誘導してくれたので、人ごみの中をすみやかに道路へ出ることができた。ただし、帰りの道も国道8号線へ出るまで渋滞し、1時間以上かかってしまった。
それでも小学生の頃、一度だけ庄川の花火へ連れて行ってもらった時に、帰りが2時間ほどかかり、乗り物酔いでひどかった思い出がある。その頃に比べると、格段に道も良くなり、なかなか快適に花火を楽しめた。
これで高岡の花火大会は、見納めかもしれない。(株)スケノさん、どうもありがとうございました。
「ケーブルネット」 20040712
わが家では、インターネット環境をケーブルネットで構築している。下り3Mbpsで4,725円ほどの、少々お高い定額料金を毎月支払っている。
こんな田舎でもいちおうADSLの波は来ており、先月とあるスーパー・マーケットの前で、かの「Yahoo! BB」勧誘キャンペーンをしていて、感動した。これまで富山県の北海道と蔑まれてきたこの氷見市で、「Yahoo! BB」が契約できる…。ちなみに現在、接続速度は最大45Mbpsで、月額3,935円(西日本) だという。
ADSLの場合、基地局からの距離で速度が激減し、導入後に実際どれくらいで接続可能かは、やってみないと分からない。HPの資料によれば、1.5km離れると半分ほどしか出ない。5kmも離れると、1Mbpsほどしか期待できず、導入のリスクが大きい。
でもまあ、わが家はいちおう市街地にあるのだし、少なくとも3Mbps以上は出るだろう。
ただ、こうしたITのインフラに関する部分は、そのうちかならず光ファイバーによるFTTH(Fiber To The Home)に統合されると思う。少しばかり速度が出るからといって、あれこれ乗り換えるのは、正直言ってめんどうだ。
いまはNTTの「Bフレッツ」ですら氷見地方では契約できないので、FTTHはあきらめざるをえず、しばらくこのまま「氷見・羽咋ケーブルネット」にがんばってもらうしかない。ちなみにCATVと同時契約するなら、セット割引があり、ADSLと比べてもそれほど高くならない。
ところで「氷見・羽咋ケーブルネット」は、元「氷見ケーブルネット」であった。平成16年3月1日から、なぜか隣県の羽咋市までサービスエリアを広げて(市長どうしが遠い親類のせい?)、めでたく社名変更となった。実はその際、インターネット関係の料金体系が大幅に改定され、なんと個人・非商用利用の場合、HPの容量が以前の5MBから一挙に20MBまで無料となった。
うれしい…(涙)。
大手プロバイダー「So-net」の「U-Page+」ですら、10MBまでしか無料にならない。この「不知の森」でも「自然」などで多くの写真を掲載しており、HP容量の問題でいつも頭を悩ませていた。これでしばらくは追加料金を払わずに、バシバシ画像ファイルを掲載できるというものだ。これがADSLに乗り換えない、大きな理由のひとつでもある。
しかしレイアウト上の問題もあるし、ほどほどにしないと20MBくらい、すぐ使ってしまうけれども。
― 「氷見・羽咋ケーブルネット」HPより「ひみHinet料金表」 ―
メールアカウント追加 初期費用1.050円 月額263円 /アカウント メールアカウント変更 変更手数料1.050円/アカウント メール容量 10MBまで無料/アカウント ホームページ容量 20MBまで無料 (個人・非商用利用の場合) 追加容量(メール・HP共にそれぞれ) 5MBあたり月額525円(容量超過分に対し) ダイヤルアップ接続 初期費用1.050円。
月額735円/7時間まで。超過3分10.5円
「久しぶりの風邪 (2)」 20040612
恐れていたことがついに起り、奥様も風邪でダウンしてしまった。
正月のめでたいご出産以来、気合を入れて育児に励み、健康もじゅうぶん注意していたのに、守ってくれるはずの身内から、バイキンを感染されてしまった。
この裏切り行為ともいうべき仕打ちを受けて、どなたか体験した如くにノドを痛め、微熱も出ている。わが仕業であることは、火をみるよりも明らかで、反省することしきりなのだった。本日も、たまの休みを返上して、いそいそと朝からお粥を炊き、おさんどんと買いだしと風呂沸かしと犬のお散歩などなどに、励まなければならない。
しかし、考えてみるとこれは、いつもの週末とそれほど変わっていない。違うのは二人でしていたことを、独りでやらなければならないぐらいだろうか。
ともあれ、一日も早い奥様のご快復を、祈ってやまない。
さらに、わが幼い息子が、決して大人のずるくどい※風邪などうつされないよう、切に願っております。
※ずるくどい→20031110参照。
「久しぶりの風邪 (1)」 20040606
6月に入って早々、久しぶりの風邪に見舞われ、最悪の体調だった。
今度のヤツはとにかくのどが痛くなり、トローチなぞなめながら、数日けなげに勤務していた。しかしとうとう微熱が出だしたので、一日ゆっくり休ませてもらった。
実は、先週ちょっとまとまったお仕事が入り、睡眠を削って校正作業していたので、少々ムリがかかったらしい。三十路までは二三日くらい徹夜しても、酒さえあれば体にダメージなど来なかったものだった。でもこの頃は、深酒してストレス解消するような芸当などできず、次の日は必ず宿酔し、ひどい時は三日酔の症状に悩まされる。それで自ずと飲酒にブレーキが掛り、酔うまで飲まない習慣になってしまった。
学生時代の自分を知る人には、信じられない体たらくだろう。ほんとに、歳をとりました。
ちなみにこの「徒然雑記」は、わが家の公式日記も兼ねており(?)、前回いつ風邪ひいたかというと、去年の11月だった(「ずるくどい風邪」 20031110 参照)。なんと半年以上も寝込まずがんばっていたのだ。ちょっと仕事に嫌気がさすと、すぐ上手に熱をだし怠けてきた自分にとり、これは上出来の健康管理だ(ちょっと情けないか…)。
それもこれも正月に息子が産れて以来、乳呑児と御犬様の世話や、あまたの行事に追われ、うかうか寝込んでいられなかったからだった。ほんとに久しぶりでしみじみ丸一日、コホコホしながらお布団と、親睦を深めていた。
おかげさまで、このところひどかったドライ・アイも治まり、身心とも休養がとれました。
「お食い初め」 20040523
5月14日(金)に、赤ん坊の百日祝(実際はご生誕後百三十三日ほど経過)をかねて、「お食い初めの儀」を執り行った。
本来なら、お宮参りをしなければならないところだけれども、春先から色々あって忙殺されており、へたれ体質の我々夫婦に種々段取りする元気が残っていなかった。七五三はなんとかがんばり、格式高く勤めさせていただくとして、今回は家族だけで御膳を取り、ごくかんたんに済ますことにした。
すまんな、わが子よ。
また当日、記念写真を撮ることにしていたのに、某写真館の都合がつかず、16日(日)まで延期された。ことほど左様に今回は、万事タイミングの悪い仕儀となったが、唯一の来賓だった実家のお母様には喜んでいただけたようで、ホッと胸をなでおろしている。
30cmはゆうに超える鯛の尾頭付きを前に据え、脇を両家の祖母に支えられて、一口ほぐした焼き魚の身を食する(マネする)光景は、実に心あたたまるものだった。みんなの注目を受け本人もご機嫌であり、このまま健やかに育つことを、一同で祈ったのだった。
「今日この頃」 20040418
今年は暖かな春になり、今日など気温が25℃を超えて、汗ばむような陽気だった。とうぜん桜もおおかた散ってしまい、品種によって少々花びらが残っている程度だ。
ちなみに昨日から、氷見の奇祭である「ごんごん祭り」が行われており、街中多くの人出で賑わっている。これは江戸時代より連綿と続く雨乞い祭りで、上日寺の由緒正しい梵鐘(市指定文化財)を、米俵ほどの重さがある丸太でつき鳴らすという豪快なものだ。
しかし最近、大正時代頃に芸者衆が始めたらしい、「まるまげ祭り」の方が有名になり、昔ほどの盛り上がりはなくなってしまった。でもまあ氷見に産まれた者なら、だれでも子供の頃「ごんごん祭り」へ行き、綿あめやどんどん焼きを食べたことがあるはずだ。今でも遠くから大勢の子供が、数100mも並んだ屋台を目当てに、遊びに来ている。
その意味では今も昔もこの街で、最もなつかしい春祭りに違いない。
そうして今年は、正月に産まれた息子と、この祭りを迎えることができた。
まだ残念ながら乳呑児で、人ごみの中へ連れて行ってやることはできない。ただ今日はわが家のささやかな春祭りでもあり、赤飯を炊いて祝っている。
先週の日曜日、3月に亡くなった義父の四十九日法要も済んで、ようやく家族みんな落ち着いてきたようだ。
「忌中」 20040308
突然、義父(奥様の実父)が死去した。
3月6日(土)朝8時頃に行方不明となり、7日(日)昼過ぎに近くの溜池で亡くなっていたという。当日の夜は、雪模様で冷え込みが厳しく、凍死の可能性が強い。
家族・親戚・ご近所等々、関係者一同の衝撃と悲嘆には、計り知れないものがあった(詳細についてはプライバシーの問題もあり、ここでは掲載できない)。
しばらく拙サイトの更新が、不定期になるかもしれません。どうかご容赦ねがいます。
「育児」 20040223
昨日、出産後に実家で静養していた奥様が、赤ん坊を連れて帰ってきた。
今まで週末に妻問をしていて、それなりに育児にも参加していたが、これからは否応なしに、怒涛の如き子育て生活が始まる。ミルクにオムツ、抱っこにお風呂、その合間に洗濯し買物し、ご飯を作って等々、あれよあれよと言う内に一日が過ぎてしまう。おっと、犬の散歩も毎日欠かせないのだった。
他にはなにも手につかない。
今も息子が寝入ったタイミングを見計らい、やっとこさこの「徒然雑記」を書いている。噂にはかねがね聞いていたが、実際に体験してみなければ、そのたいへんさは分るものではない。
我が子は大きく産まれたので、扱いやすい方だというが、よほど赤ん坊がかわいくなければ、とてもできる仕事ではないと、つくづく思う今日この頃でした。
※追記
ちなみに愚息は、目鼻立ちが整っていて、たいへんかわいいと巷で評判である
(親バカだね〜)。
「豪雪」 20040125
いま北陸は、久しぶりの豪雪に見舞われている。
今回は富山県西部での降雪がひどく、高岡で60cmも積もってしまった。氷見では雪の少ないところに観測点があるので、40cm程度と報道されているが、インターネットで県の道路情報を見ると、わが家周辺は50cmを越えていた。
これほどの大雪は、いったい何年ぶりだろう。それがこんな暖冬の年に、いきなりやって来たのだ。
正月までほんとうに暖冬で、21日など道端に雪のかけらもなく、青い海に立山なぞ浮かんでいた。みな警戒心を失っていたところに、一晩で30cm以上も降ったわけで、もうほとんどワヤの状態だ。昨夜まで、なんの変哲もないいつもの街並だったのに、朝目覚めたらいきなり雪国に変わっていたのだ。
雪に慣れた富山県民といえども、ちょっとびっくりしてしまった。
それからもう降るわ降るわ、22日から24日までいっこうに止む気配もなく、今日になってようやく晴間が見えた。そこで半日、家の周りの雪かきに精を出していたが、今夜また寒波が来て雪が降るという…。嗚呼。
もともと雪は嫌いな方でないけれど、雪かきは嫌いだ。この分では、明日も、明後日も、一仕事予約されたようなものだ。もうどないでも、好きにしたらええねん。
「キッチン・リフォーム(2)」 20040105
実は昨年12月21日に、キッチンのリフォーム完成引渡しがあった。
ただこの時点では、本体と内装等の工事が完了し、台所が使用できるようになっただけで、その後も細かい部分を修正したりしていた。さらに、大量の食器類を移動させなければならず、一連の作業にめどが付いたのは、25日になってからだった。
しかし、まだ修正の必要な箇所が一部あり、食器・食料品の配置もいろいろ議論の最中で、なかなかリフォーム完了とはならない。台所工事とは、ことほどさように大事業なのであった。
ところで、気になる新しいキッチンの、使い心地はどうだろうか?
まず、暖かいことに感動した。暖冬であることをさし引くとしても、この時期、小型ストーブ1台を焚いただけで、ながながと寝そべって寒くない。これなら湯上りなど、赤ん坊を裸にしていてもだいじょうぶだろう。
次に、ダウンライトなど照明が多く、明るく開放的な場所になった。以前の暗く寒々とした印象は、もうどこにも見当たらない。
そして、棚の配置がよく考えられ、最新型の食器洗浄機やレンジなどが装備され、格段に便利なキッチンとなった。横に畳スペースも隣接しており、食事の後ですぐ寝転がれる。ダイエットには大敵かもしれないが、居心地満点だった。
以上、今のところ目立った欠点もなく、なかなか快適に過ごしている。
計画通り、新しい家族の一員を迎えて、くつろげるリビングルームになりそうだ。
リフォーム前の有様
まことに混沌たる有様で、こんな写真は出してくれるな、と奥様から懇願されるほどだった。
しかし、これを明らかにしなければ、どれほどの大事業だったか分らないので、お叱り覚悟で公開する。
↓
リフォーム後
自画自賛で申し訳ないが、このように和風モダンの、美しいキッチンに変貌した。
(株)スケノさんのセンスには、脱帽する。
「安産なのかな?」 20040103
謹賀新年
あけましておめでとうございます。
今年も拙サイトをご高覧いただき、ありがとうございます。
さてこの大晦日から元旦にかけ、いきなり本年最大の事件が我家で起きた。
息子の誕生である。
実は、昨年のクリスマス頃が予定日で、年末中ずっと今か今かとまち望んでいたところ、30日の深夜12時過ぎから陣痛が始まり、2日の午前5時15分に例の厚生連高岡病院で、ようやく無事出産した。
31日と翌1日の丸々2日間も定期的な陣痛に襲われ、およそ50時間もかかってなんとか分娩可能となった。もちろんその間、奥様は痛みのせいでろくに眠ることすらできず、31日など吐き気がして食事も喉を通らなかった。
なんとも大変なお産で、本人のつらそうな表情を見ると、居ても立ってもおられなくなり、わずかばかりの休息を除きほとんどその50時間中、側で腰をさすっていた。
いよいよ午前5時前に、分娩室で立会い出産の準備ができたので入室すると、いきみ始めてから15分ほどでスムーズに産み終った。これだけ見れば超安産だったが、なにぶんそれまでの過程がひどかった。
1日の夜9時過ぎに運ばれてきた妊婦さんなど、初産なのに3時頃にはサッサとお産が済んでしまって、横であっけにとられるばかりだった。ただその子は3000g程度の、ごく当たりまえな赤ん坊だったのに対し、我が子はなかなかの巨大児で、なんと3900gもあった。
近日中ではこの病院でも、最大だったらしい。
しかしこれでやっと父親になれた。
まだ実感はわかないが、しみじみとした悦びに満たされている。結婚後7年目にしてようやく恵まれた愛しい子で、親戚一同、待ちに待ったかいがあり、めでたい正月がさらに喜ばしいものとなった。
キッチンのリフォームも、赤ん坊を暖かい部屋で寝かしておくため、この時期にムリして行ったのだった。受け入れ準備も、かくのごとく万端整っている。
後は我が子が健やかに育つことを、ただ祈るばかりだ。
最後に一言、万感の想いを込めて、奥様へ。
よくがんばってくれてありがとう。産後はくれぐれも体を大切にしてください。これから親子三人、末永く仲よく暮らしていきましょう。
ちょっと照れくさいけど、愚夫より。