雨読





           魂のこと 《1994》




   《目次》

   「徳を埋める」  「救いを求める心」  「我の粉砕







  「我の粉砕」 19940912   ⇒TOP


 つらつら来し方を反省すると、あちこちにはびこる悪しき我を粉砕することが、自分に課せられた最大の仕事なのかもしれない。
 まず第一は自身の内にある、自分さえ良ければという利己的な心根を粉砕する。次に回りの人々のわがままな振るまいを諌め、ひいては現代人の心に巣くう自己中心的な心性の誤謬を、根本的に究明する。そうして無私な在り方の大切さを、力の限り説いてゆく。
 ほとんどこれだけのために、自分の人生はあると言っていい。




  「救いを求める心」 19940523   ⇒TOP


 苦しみの中にいる時、誰でも救いを求めたがる。ところでこの救いを求めるという意識には、自分の「我」をたすけ、今後も生きながらえさせたいという意図が潜んでいる。
 救いを求めるという行為は、一般に宗教的な営みと解釈される。しかしそれは、結局「我」の所業であり、そのままで純粋な宗教的行為とはならない。とりわけ無我や無私の精神が重要視される宗教においては、この点を十分に注意する必要があるだろう。
 いかに苦しい状況下にあっても、盲目的に救いを求めるのは危うい。すべてを大きなはたらきにまかせる心境を、常に忘れないでいたい。人事を尽した後、不幸にして死に至ったとしても、仕方のないことだろう。それは死ぬ時節が訪れたのであり、その時はすなおに―あがきながらでも―命を委ねるしかないのだ。




  「徳を埋める」 19940124   ⇒TOP


 古来「徳」が得られる行いを日々実践することは、道を志す者たちの間でたいへん重んじられてきた。「徳」のない人間では、いかなる大事も成就させることができず、その重要さは現代でも決して変わるものではない。
 ただ「徳」は、決して見せびらかすような態度で得られるものではなく、「陰徳を積む」という言葉があるように、必ず陰でコソコソ行わなければならない。しかしそれでもまだ足らず、ほんとうは「積む」という意識すら捨て去り、「埋める」心がまえが必要なのだと思う。「徳」が得られる行いをしているという、気持すら懐かないように。






【総目次】