雨読










魂のこと 《2010》






  【目次】

 「念仏という瞑想法」 「わたしの信条」 「念仏の歴史」 「鬱病

 「念仏の種類と方法」 「五種五法の読書」 「浄土教の要点

 「現代の念仏」 「浄土教の本質」 「念仏者」 「門余の釈」 「自浄其意

 「三部作」 「念仏者の理想像






  「念仏者の理想像」 20101115   ⇒【目次】

 『出曜経』巻第二十一「我品」第二十四(『大正新脩大蔵経』第4巻722c頁)
「一坐一臥に 独歩し伴無く 当に自ら降伏し 隻(ひと)り山林を楽しむべし(一坐一臥 独歩無伴 当自降伏 隻楽山林)」
 【注釈部分】
 「一坐一臥に」とは、心身の内外を降伏させ、一坐・一臥にも心を乱さないようにすること。
 「独歩し伴無く」とは、人中でも荒野でも心が一定で、歩いても坐っても乱れず、また相好や功徳を念仏し、よく忍び気が散らない者は、村で衆生を済度しても心乱れず、山林にいるのと変わらないこと。
 「当に自ら降伏し」とは、いつも自ら心を休めて散らさず、心身の内外を計り降伏できれば、諸天や人から供養され、諸仏に誉められること。
 「隻り山林を楽しむべし」とは、専心していつも閑静を楽しみ、人中でも心が空であれば、天地が震動しても錯乱せず、如来の聖典にかなうようになることをいう。
 大蔵経を読んでいて、久しぶりに感動的な一節に出会えた。
 『出曜経』は『法句経』の詩句を逐一注釈した、大部の経典となっている。ここでは元の法句に当たる部分もさることながら、注釈の部分で念仏の利益に言及しており、非常に興味深い。
 とりわけ「独歩し伴無く」の注釈が注目され、全文を挙げると次のようになる。
「復当に身相の功徳を念仏し、持意し忍辱して亦分散せざるべし。是の如き心を有する者は、便ち村に入り求めて衆生を度すべく、乱想を興さざること、彼の山林の如くして異り有らず(復当念仏身相功徳、持意忍辱亦不分散。有如是心者、便可入村求度衆生、不興乱想、如彼山林而不有異)」
 これは、念仏の原初形態とされる、「憶念の念仏」に関する記述となっている。しかし、ひろく念仏一般に敷衍して考えても、それほど的外れではないだろう。
 念仏して意識を保ち続け、よく堪えしのんで気を散らさない。このように心がけている者が、あちこちの村で人々を救っても、心がまったく乱れないのは、山中で独りいるときと変わらない。
 心が定まり、独りで修行するのも、人々を救うのも自由自在。これは念仏による、自利利他の理想像と言っていい。
 念仏すれば心定まり、独立独歩で、自利利他円満な境地を、存分に楽しむことができる。これは他ではなかなか得られない、すばらしい利益であろう。





  「三部作」 20101101   ⇒【目次】

 このところ浄土教の歴史について、あれこれ調べている。とりわけ念仏が、どのような変遷を経て今日まで伝えられてきたか、可能なかぎり明確に理解したい。
 しかし、意外にも念仏の歴史を、正面から研究している文献は、数少なかった。浄土教史に関する多くの研究書から、あちこち抜き出し、ようやく大まかな流れが把握できる程度だった。またこれまで念仏にどのような種類があり、それぞれどう違っていたかも、きちんと整理されていない。
 さらに念仏が、現代でも通用する教えなのかどうかも、さっぱり分からない。
 そこでこうした問題の、ごく一部でも自分なりに解決するため、次のような本を書いてみたい。
1.念仏の歴史
 念仏の発生から現代に至る流れを明らかにする。とりわけ日本浄土教における、念仏について詳述する。
2.念仏の方法
 歴史的にみて、どのような方法で念仏が行われていたか、明らかにする。とりわけ行法という観点から、念仏の種類を分けて考える。
3.現代の念仏
 現代日本で、種々の悩み苦しみを懐く人に、念仏はなんらかの救いとなるのか考察する。
 いずれもかなり重い内容であり、ほんとうにうまくまとめられるかどうか、ひどく心もとない。けれどもいま自分が、なんとしても知りたいことなので、力の許すかぎり解明して行きたい。





  「自浄其意」 20101020   ⇒【目次】

 浄土教がはたして、正統な仏教といえるかどうか、これまで少々疑わしく思っていた。
 釈尊より阿弥陀仏を尊び、現実の穢土より理想的な浄土を重んじる教えは、ほんとうに仏教なのだろうか。たとえば日本でよく比較の対象にされる、禅宗の教えをみれば、その違いは歴然としている。どう考えても禅宗のほうが初期仏教に近く、多くの人が言うように、真宗のような浄土の教えは、傍流にすぎないという印象をぬぐえない(→「真宗の根拠」20010914)。
 しかし最近ようやく、浄土教が真実の仏教である、と確信できるようになった。それは、有名な「七仏通戒偈」にみえる、「自浄其意」という一句による。
 七仏通戒偈
「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」
 —諸悪は作すことなく 衆善は奉じて行い 自ずからその意を浄くす これ諸仏の教えなり(「わたしの五聖教」20090515参照)
 この偈において、要点は「自浄其意」にあると言える。前半の「諸悪莫作 衆善奉行」は、あらゆる倫理思想で説く事柄であり、明々白々な事実にほかならない。最後の「是諸仏教」は、多くの仏(過去七仏)もこう教えていると、念を押しただけの意味しかない。
 したがって、諸仏がとくに教示したのは「自浄其意」だけであり、これが仏教の真髄といっても過言ではないだろう。このように仏教とは、「おのずからこころが浄らかになる」という点に尽きる。
 ところで浄土教とは、念仏してこころが浄らかになる教えにほかならず、「七仏通戒偈」の主旨とまったく一致し、まさに正統な仏教であると断言できる。





  「門余の釈」 20100927   ⇒【目次】

 『教行証文類(教行信証)』化身土巻「門余の釈」
「門余」といふは、門はすなはち八万四千の仮門なり、余はすなはち本願一乗海なり(『原典校註 真宗聖典』法蔵館 1960 371p)。
 これは善導の『観経玄義分』巻第一にある、
「門余八万四千」(大正蔵37巻246b頁)
という一句を解釈している。ふつう「門は八万四千に余れり」と読み、仏教の法門は八万四千以上ある、という意味になる。
 しかしここで親鸞聖人は、少々うがった解釈をして、「門」を八万四千の聖道門とし、「余」は浄土門をさすと説いている。そして聖道門は「仮門」(仮の教え)であり、真実の仏教は浄土門以外にないと論じている。
 今日、このくだりは真宗関係者の間で、聖人が浄土教の優越性を明言した言葉として、珍重されている。先日も某所で、高僧の書による掛軸を、拝見させていただいた。
 当時聖人は、聖道門である旧仏教から強い迫害を受けており、それに反発するのは当然であろう。また、旧仏教は鎮護国家を主な目的としており、個々の民衆を、直接救済しようとするものではなかった。そこで浄土教のみが、人々を救う真実の仏教である、と考えたのも無理はない。
 しかし時代状況が、まったく変わってしまった現代に至るまで、浄土真宗のみを唯一正しい宗教とし、他はみな下劣なものとみなすなら、一種のセクト主義と言われてもしかたない。
 そうした独善的な態度を、いつまでも墨守すれば、真宗はこれから衰退の一途をたどって、若い世代からまったく相手にされなくなるだろう。





  「念仏者」 20100717   ⇒【目次】

 いやしくも浄土の教えをいただき、念仏している者なら、心が浄らかでなければ話にならない。
 念仏しながら、悪いことばかり考え、実行しているようでは、真剣さが足りないと言われてもしかたない。
 けっして怒らず憎まず、悪口も愚痴も言わず、いつも微笑んでおり、すなおでやさしく思いやりがあり、しかも性根がしっかりしている。
 言行に裏表がなく、終始一貫していて、まったくぶれることがない。
 たとえばこのような人柄に、少しでも近づいてはじめて、念仏が身につき、心が浄らかになったと言えるだろう。
 人格の変容がまったく見られないなら、念仏した証しにはならない。
 しかし、自分のごとき性悪な者にとり、これは遥か彼方にある理想でしかない。
 それでも一生をかけて、わずかでも実現できるよう、努めて行きたい。
 自分がまともにできることなど、念仏以外にはないのだから。





  「浄土教の本質」 20100709   ⇒【目次】

 浄土教とは端的に、心が浄らかになる教え、と言える。
 一心に称名念仏することで、瞑想の効果が生じ、あらゆる苦悩が緩和される。
 そうして心が落ちつき、人生への疑念が晴れて、浄らかな信心が起きてくる。
 仏教における信心とは、ふつうの意味での信仰と異なり、心が落ちつき浄らかになった状態をさす。
 要するに、念仏すれば心が浄らかになる、これが浄土教の本質であろう。
 それを別の方向から見れば、浄土教をいただくことで得られる、究極の利益とも言える。
 念仏すれば苦しみが少なくなり、信心すれば心が浄らかになる。
 ほんとうにそうなれるなら、人生最高の幸福であり、種々の胡散臭い現世利益などは問題にならない。
 またそれは「七仏通戒偈」で説かれている、「自浄其意」に相当し、仏教の最も本質的な教えにほかならない。
「人の世の 汚れに染まる この身でも 念仏すれば 心は浄まる」





  「現代の念仏」 20100601   ⇒【目次】

 あえて悲観的に言えば、
「人生とは、短い幸福によって時々妨げられる、苦痛の連続」
 —デズモンド・モリス『「裸のサル」の幸福論』新潮社2005 13p
 (「幸福論」20050924参照)
にすぎない。
 しかしその苦痛は、肉体的なものでも精神的なものでも、適切な方法を採れば緩和することができる。肉体的な方面では、科学の進歩、とりわけ現代医療により、過去に人類が患ってきた、苦痛の多くを解消できるようになった。また、精神的な方面では、古今東西の宗教や思想が、迷える人々の苦悩を、少しでも解決できるよう努めてきた。
 いずれも完璧にはほど遠いとはいえ、せっかく苦しみを和らげる方法があるのに、それを使わない手はない。

 後者の一例として、現代でも念仏により、数々の人生苦が克服できることについて、詳しく論じてみたい。いまはまだ準備不足で、自説をじゅうぶんに展開できない。ただその大まかな内容については、次のようにまとまってきている。

1.苦しむことについて
2.念仏することについて
3.信じることについて
 このうち1では、以前に「苦しむということ」という論文を著したことがある。これをいまの状況に合わせて、全面的に改訂し、苦しむことにどのような意味があるか明らかにしたい。
 2では、そうした苦しみを克服する方法のひとつとして、「自然の念仏」を提唱する。日常生活でかんたんに実践できるこの行法に、どのような精神的効果があるか、詳しく述べたい。これは疑いながら空念仏しても、ある程度効果があり、とにかくやってみることを勧める。
 3では、「自然の念仏」をほんとうに信じて行えば、心が浄まり、あらゆる人生苦を静める効果がある。盲信とはまったく異なる、正しい仏教の信心について解き明かし、念仏を信じることが、決して非科学的な態度ではないことを論じる。
 ちなみに私見では、念仏すれば人生苦が克服できると、納得して疑わないことを、信心決定という。

 以上のような3点を中心として、精神的な苦しみを懐いている人に参考となるような、実践方法の一例を紹介したい。
 そしていちおう、この小著の題名は、『現代の念仏』とする。





  「浄土教の要点」 20100520   ⇒【目次】

 伝統教学で「念仏成仏これ真宗」と言われるとおり(「わたしの信条」20100205参照)、浄土教とは要するに、阿弥陀仏を念じれば(南無阿弥陀仏と称えれば)、浄土へ往生すると、信じて成仏する教えにほかならない。
 ただしこうした、神話的要素が濃厚な抹香臭い言葉を、いつまでも看板のように使っていると、そのうち現代人には見向きもされなくなってしまう。教えの趣旨をそのままにしつつ、いまの若い世代が拒否反応を起こさないような用語で、説き明かしていく努力を怠ってはならない。
 ちなみに私案により、浄土教の要点を現代の日常語へ置き換えると、次のようになる。
1.阿弥陀仏 → 自然の様相
 親鸞聖人の「自然法爾章」に、「ミタ仏ハ自然(じねん)ノヤウヲシラセムレウナリ」とあるとおり、阿弥陀仏とは、自然の様相(世界の法則・真理)を人々に知らせるための、材料のひとつであると考えられる(「わたしの五聖教」20090515参照)。
2.念仏 → 瞑想の方法
 念仏といえば今日一般には、「南無阿弥陀仏」と口で称えることのように思われている。しかし歴史を顧みるなら、そうした口称の念仏は、ずっと後代のものであり、本来は阿弥陀仏の姿をありありと眼前に観る、観念の念仏が主流であった。これは、仏教の代表的な瞑想法である止観行に含まれ、端的に言えば、念仏も瞑想の一種にほかならない。
3.浄土 → 究極の理想
 阿弥陀仏の極楽浄土に代表される、諸仏の浄土とは、誓願により建立されたものだった。たとえば西方の極楽浄土は、阿弥陀仏の四十八願による、仏国土にほかならない。阿弥陀仏の前身である法蔵菩薩が、あらゆる衆生を救済しようと願い、究極の理想を立て、苦しみがまったく存在しない、具体的な国土を完成させた。このように浄土とは、人間としての究極的な理想が、具体的な形に実現した状態、と言えるだろう。
4.往生 → 実現の意欲
 往生とは、現世を去って他の世界へ生まれることであり、浄土教においては極楽浄土への転生をさす。往生するためには、浄土へ生まれたいと心から願う意欲(欲生心)が必要で、それには真実の信心が不可欠になる。それは換言すれば、理想を求め実現させようとする、意欲にほかならない。
5.信心 → 疑問の消失
 仏教における信心とは、端的に言えば納得であり、あれこれ考え尽くした末、心に少しも疑いがなくなった状態をさす(「信心の諸相」20090408参照)。また疑いがなくなって、心が浄らかになることもいう。自分以外の対象物に、身も心も捧げた態度を意味するものではない。
6.成仏 → 人格の完成
 成仏とは、いわゆる「覚り」をひらいて、仏に成ることをいう。しかしこの「覚り」とは、なんとも漠然とした言葉であり、仏教の各宗派でも説明方法がまちまちで、意味内容がはっきりしない。何劫も転生して修行しなければ成仏できないなど、生身の人間では、とても実現不可能なことまで説く宗派もある。限られた人生で、そうしたものを目指すのはむだであり、ここではあえて簡単明瞭に、理想的な人格を完成した状態としたい。
 このうち3・4・6はまったく私見であり、異論も多いだろう。しかしひとつの解釈として、じゅうぶん成り立つと思う。1・2・5についてはたしかな論拠があり、事実と言ってもさしつかえない。
 したがって浄土教の趣旨を、現代的にひと言で表すなら、次のようになる。
「自然の様相を瞑想しつつ、人間として究極の理想が実現するよう、心から求めていけば、人生への疑問が消えすべてに納得して、人格が完成する」
 ただしこれは、あくまで叩き台にすぎない愚見であり、今後よく思索を重ねて、少しでもましなものに練り上げていきたい。
 ― 20111011脱稿 ― 





  「五種五法の読書」 20100510   ⇒【目次】

 つらつら反省するに、自分はかなりの活字中毒者で、本がなければ一日も過ごせない。
 仕事で本を扱い、趣味で読書し、毎日文字通り本に囲まれて生活している。こうして数十年過ごすうち、独自の読書法が形成され、近頃になって方法論が確立してきた。
 それは五種類の分野における、五つの方法で、それぞれ概略を示すと、次のようになる。
【方法】 1.積読 2.飛読 3.速読 4.熟読 5.精読
【種類】 1.娯楽 2.趣味 3.学習 4.学問 5.学道

 ※難易度順
【方法】
 1.積読:未読の蔵書
 ただ入手して、本棚に積んでおくもの。それでもふつう目次や序文くらいは見ており、だいたいの中身は分かっているので、読書の部類に入る。
 2.飛読:全蔵書
 最初から最後まで、すべての頁をぱらぱらめくるもの。章立てを把握し、気になる部分を流して読むので、概ね内容は把握できる。この方法により、入手した蔵書すべてに一度は目を通しておき、新本の乱丁や落丁、古書の線引きや書き込み等を、把握しておくのが好ましい。
 3.速読:実用書・専門書
 見開きの頁(2頁分)を、1分程度で流し読むもの。こうすれば300頁ほどの単行本でも、2時間半ほどで読める。内容を完全に把握することは難しいとしても、慣れてくると7・8割程度なら、じゅうぶん理解できる。
 4.熟読:専門書・文学書・古典
 文字を逐一追って、最初から最後の頁まで読むもの。内容を完全に理解するため、必要に応じて何度も読み返し、よく考えながら頁をめくる。重要な部分に、付箋や見出し等を付ける場合もある。
 5.精読:古典や原書
 辞典・索引や参考書等を使い、語義や用例を調べながら、精密に読み込んでいくもの。通常は読書ノートを取り、難解な部分に注や解釈を付けて、テキストの内容を解明する。さらに行間や紙背に含まれる意味まで、広く深く把握することを目的とする。
【種類】
 1.娯楽:お楽しみのための読書
 文学書や芸術書など、楽しむためにするもの。好きな本ほどじっくり楽しんで読むため、意外にしっかり「熟読」する場合が多い。とりわけ詩や小説などは、「速読」しても意味がない。
 2.趣味:各々の趣味で参考にするための読書
 実用書や専門書などで、趣味に対する知識を深めるためにするもの。通常は「娯楽」的な接し方で、お楽しみの要素が強い。しかし、好奇心や探求心にあふれ、深い領域まで入れば、「学問」と異ならなくなる。
 3.学習:お勉強のための読書
 試験・資格・語学等に必要な知識を、しっかり覚えるため、努力して「熟読」するもの。基礎学問を修得する際にも、同様な手法が必要になる。
 4.学問:学術研究のための読書
 学術分野の調査研究をするため、関係資料を渉猟して、多種多様な専門的知識を修得したり、新たな知見を得たりするもの。「速読」により必要な資料を調査し、「熟読」して完全に理解し、「精読」して研究する。
 5.学道:求道のための読書
 人生観・世界観を構築し、魂の向上をはかるための修行として行うもの。その最も端的な事例として、法然上人が大蔵経を何度も読破した後、ようやく善導の『観経疏』と出会い、浄土教に開眼したとされる故事が挙げられる(「わたしの五聖教」20090515参照)。
 まわりにいる、日頃ほとんど本を読まない人たちから、
「そんなに読書して、どうするのか」
などと、しばしば冷やかされる。
 しかし少なくとも学問の分野では、現在でも読書しなければ研究にならない。寸暇を惜しんで読書している研究者の成果により、これまで誰も知らなかった、多くの事実が発見されている。
 さらに自分の在り方について、いささかでも疑問を感じる人なら、数知れない先達が残した金口直説に、頁を繰るだけで接することができる、読書というものを、軽んじられるはずがない。
 先にいただいたご質問に対しては、
「それこそただ生きていて、物事になんの疑問も感じないお幸せな人だけが、本も読まずに過ごせるのだろう」
と、返答することにしている。
 ― 20110612脱稿 ―





  「念仏の種類と方法」 20100404   ⇒【目次】

 初期仏教以来、念仏は脈々と今日まで受け継がれてきた。古代インドから中国を経て、現代の日本へ至る仏教の歴史において、多種多様な念仏が行われている。
 日本の仏教史に限っても、各宗派に種々の念仏があり、例えば家永三郎氏は、
「源信の念佛は觀念の念佛であり、法然の念佛は口稱の念佛であつたのに對し、親鸞の己證は信の念佛を樹立したにあつた」(『中世仏教思想史研究』233p)
と言っている。
 そうした念仏の種類と、実際に行う方法について、日本仏教の事例を、大まかに挙げておきたい。

1.念仏の種類

 日本の仏教史に見られる念仏の種類を、時代順に並べその内容を要約すると、次のようになる。

(1)憶念の念仏
 初期仏教以来、国や時代を問わず、教義上もっとも基本的な要素として、仏を憶念する念仏は行われていた。例えば『阿含経』等において、三帰依の際、仏・法・僧の三宝を念じる、という言いまわしが多く見られ、ここに念仏が含まれている。

(2)観念の念仏
 天台宗などでは、身・口・意の三業を阿弥陀仏へ捧げる、各種の行法が行われていた。身(体)で礼拝し、口で称名し、意(心)で観想して、一心に阿弥陀仏へ帰依し、浄土へ往生することを求めた。この内、心で阿弥陀仏の相好をありありと観想する、観念の念仏が、最も重要であると考えられている。これを受け真言宗でも、一部の宗派で念仏が取り入れられた。
《1》止観念仏―常行三昧
 最澄が伝えた『摩訶止観』の中に四種三昧があり、阿弥陀仏を中心に据えた常行三昧が含まれている。これは九十日間、常に阿弥陀仏の回りを行道し、口に阿弥陀仏の名を称え、心で阿弥陀仏を念じるというものだった。この止観念仏における観は、観想の意味であり、仏を見るために行われる。止観行におけるような、自分の心をありのままに観察する、観の瞑想ではない。
《2》不断念仏―山の念仏
 最澄の後、円仁が唐の五台山で行われていた、五会念仏を導入した。五会念仏自体は、今日伝承されておらず、詳細は不明で、「念仏や礼讃の言葉を音楽的な曲調にのせて唱うもの」(『浄土教の展開』74p)だったらしい。これが不断念仏となり、「山の念仏」として流行し、比叡山を代表する年中行事になった。このような天台浄土教は、源信により大成され、念仏の百科全書ともいうべき、『往生要集』が刊行された。
《3》真言念仏―新義真言宗
 真言宗でも天台浄土教に対抗した浄土思想がみられ、例えば覚鑁等は「口に、阿弥陀の真言を唱え、手に根本秘印を結び、心に弥陀を観ずる」(『浄土教の展開』208p)行法を修めた。

(3)称名の念仏
 天台浄土教を発展的に継承して、他宗でも称名念仏を中心とした、いくつかの流派が現れた。その中には後世、一つの宗派を形成するに至ったものもある。こうした称名念仏の代表的な宗派に、融通念仏宗、浄土宗、時宗などがある。
《1》三論宗
 奈良仏教の三論宗において、永観は『往生拾因』に自ら「念仏宗 永観」と記したほど、徹底した念仏者だった。一心に称名することをひろく勧め、一日六万遍の念仏を実行した。ただし、観念の念仏も捨てたわけでなく、念仏思想にやや夾雑性が見られる(『浄土教の展開』190p)。三論宗ではこの他、珍海等も念仏者として名が高い。珍海は善導に依って信心を重んじ、法然の念仏思想に通じるものがある(『浄土教の展開』197p)。
《2》融通念仏宗
 天台系の念仏として、良忍が京都の大原で、ひろめたとされている。一人の念仏は一切の人に通じ、一切の人の念仏は一人に通じるという考え方に基づき、声明による音楽的な念仏が修められた(『浄土教の展開』217p)。
《3》浄土宗
 観念の念仏を重んじる天台浄土教から決別し、法然が善導の思想に依って、称名念仏を中心とした、専修念仏をひろめた(『浄土教の展開』268p)。日本の仏教史上、はじめて浄土教が、一つの宗派として確立する基礎を築いた。後世になり法然の浄土教から、様々な宗派が起こり、日本を代表する仏教思想が形成された。
《4》時宗
 浄土宗西山派の流れを受け、一遍は一切を捨てて六字の名号に帰し、念仏三昧に入れば、往生できると説いた(『一遍上人全集』320p)。遊行・賦算・踊り念仏など、独特の方法で念仏を全国にひろめている。

(4)信心の念仏
 法然の教義を受けて親鸞が、念仏の行も信心も阿弥陀仏から廻向されたものとし、本願の他力を信じる念仏をひろめた(『浄土教の展開』289p)。これは後に浄土真宗となって、多くの流派に分かれつつ、全国へ普及した。
 信心の念仏も、形態的には称名の念仏とほとんど変わらない。ただ念仏に対する考え方や、念仏する際の心がまえが、若干異なるにすぎない。しかしながら真宗は、現在浄土系仏教において、圧倒的に信者数が多く、これを別に分ける必然性がある。
 真宗における念仏の特徴を端的に示せば、信心決定した上で御恩報謝の念仏をする、ということになる。極論すれば信心さえ確かなら、実際に念仏をどう称えるかなど、あまり問題ではないように見える(「念仏の称え方」20091103参照)。
 念仏に信心が必要なのは、真宗の教義上で、ほとんど自明のこととされている。しかし現代日本で旧来のように、阿弥陀仏(の本願)を信じて称える念仏が、そのままでひろく人々に受け入れられるとは、少々考えにくい。

2.念仏の方法

 日本の仏教史上、天台宗がはじめて、念仏の行法を本格的に導入した。それは止観念仏と言われるものであり、比叡山の常行三昧として、今日まで伝承されている。
 本来、『摩訶止観』で説かれる止観行には、心の働きを静める止と、心をありのままに観察する観の瞑想が含まれる。しかし、常行三昧で行われる観の行法は、阿弥陀仏の相好を見る観念の念仏であり、観の瞑想とはやや異なる。
 現代の日本において念仏は、主に浄土系の宗派で盛んに行われている。形態的に、そのほとんどが称名の念仏(信心の念仏も含む)であり、精神を集中させ、仏や浄土の様相をありありと想う観念の念仏は、一部の行者を除き修められていない。
 こうした称名の念仏にも、実際に称える際は、大別して遅い方法と、早い方法があり、それぞれ効果が異なる。

(1)遅い念仏 ※一息に一念ほど ―止の作用(心を静める効果)
 ながい一息で、「南無阿弥陀仏」と一回称えるような、ゆっくりとした方法の念仏では、心を静めて行く、止の瞑想の要素が強い。仏教を瞑想という実践の体系から、総合的に論じた蓑輪顕量氏は、

「ただ念仏を口に唱えるといっても、その唱え方には、いくつかの方式があったと想像されますが、常行三昧では、ゆっくりと、が原則のようです。ここには心の働きを落ち着けていく止滅の道が生きていることは確実です」(『仏教瞑想論』119p)
と言っている。
 またこれは、古来の正統な仏教に受け継がれている、もっとも基本的な瞑想法でもあり、
「ゆっくり一定のリズムで唱えるというのが、実はもっとも瞑想の基本に忠実な唱え方です。常行三昧において、阿弥陀の名号をゆっくり唱えるということに、インド仏教伝来の止の基本がしっかりと流れているということができます」(同上)
と指摘している。
 現在、融通念仏宗で行われている「万部おねり」などでも、こうした遅い念仏が執り行われている(『仏教瞑想論』121p)。

(2)早い念仏 ※一息に十念・一日数万回ほど ―観の作用(自覚を促す効果)
 浄土宗や真宗など、いま称名念仏するほとんどの人は、一息に「南無阿弥陀仏」と十回称えるような、早い念仏を行っている。その根拠について曽我量深師は、
「『令声不絶具足十念称南無阿弥陀仏』(『観無量寿経』)と書いてありますから、これは一息に連続して十遍のお念仏を称えるのである。これは吾々は静かに息をしますというと、ゆっくりとお念仏を十遍称えることが出来る」(『真宗の眼目』14p)
と言っている。
 そうして中には、一日数万回も念仏するような篤信者もいる。伝記によれば法然等は、一日六万回ほど念仏を称えていたらしく、多ければ多い方が良いと考えられていた。
「故上人の仰られ候しは、在家のいとまなからむひとは一万・二万などをも申べし。僧尼なむどとて、さまをかへたらむしるしには、三万・六万なむどを申べし。いかにもおほく申すにすぎたる法門はあるべからず」(『法然上人絵伝 下』245p)
 ちなみに1日24時間のうち、3分の1を日常生活のために除き、16時間念仏したとする。この時間内に1万回から6万回まで行うと、毎回の秒数は各々次のようになる。
  • 1万回 … 5.76秒/回
  • 2万回 … 2.88秒/回
  • 3万回 … 1.92秒/回
  • 4万回 … 1.44秒/回
  • 5万回 … 1.152秒/回
  • 6万回 … 0.96秒/回
  •  ※16時間=57,600秒
     試してみると、10回念仏して9秒なら楽にでき、5秒が限界だった。毎秒1回を目安に念仏すれば、16時間ほどで6万回に達する。しかし実行するとなると、多くの困難が予想され、常人が日課にするのは不可能だろう。
     各々の力量に応じ、日常でこうした早い念仏をすると、どのような作用があるだろうか。
     管見の限りでは、この点について論じた文献がほとんどなく、自分の乏しい経験によるしかない。恥ずかしながらそれを披露すると、遅い念仏と同様に心を落ち着ける他、次のような効果があったと感じられた。
    (a)よけいな自我のはたらきを抑え、むだに頭を悩ませないで済むようになり、多くの苦しみから救われる(「念仏の効用」20070808)。

    (b)念仏が習慣になり、いつも名号が念頭にあると、その時々において心がどんな状態か、はっきりと捉えられる(「心の基準点としての念仏」20080121)。

    (c)落ち込んでいるとき、心の中が真っ暗になり、どこへ向かえば良いか分からなくなっても、念仏さえあれば、そこを基準として方向が定まる(同上)。

    (d)心の中に、自己や世界をありのままに見る基準点があり、迷いが少なく、自分を素直に受け入れることができる(「求めない念仏」20080202)。

    (e)念仏は妄想をうち破り、少なくとも目先の苦悩なら確実に除ける。それだけでなく、もし一心に念仏することで、妄想の根を完全に断てるなら、如来の智慧さえ得ることができる(「顛倒妄想から離れる念仏」20080811)。
     要するに、自分の心をありのままに観察し、自覚を促し、智慧を得る、観の瞑想に相当する効果があると考えられる。
     これは止観念仏(常行三昧)に見られるような、自分以外の仏や浄土を観想する、観念の念仏とはまったく異なっている。あくまで自分自身の中で、心のはたらきをよく観察し、真の自覚へ至るという、本来の止観行における、観の瞑想に他ならない。
     遅い念仏が止の瞑想、早い念仏が観の瞑想となって、仏教瞑想の真髄である止観行が、誰でもできる易行として実現すると言えば、念仏好きが高じた贔屓の引倒し、と誹られるだろうか。
    【参考文献】
     家永三郎『中世仏教思想史研究』法藏館1963
     石田瑞麿『浄土教の展開(現代人の仏教・仏典)』春秋社1967
     曽我量深『真宗の眼目』法蔵館1978
     大橋俊雄校注『法然上人絵伝 上・下(岩波文庫)』岩波書店2002
     橘俊道・梅谷繁樹訳『一遍上人全集』春秋社2001
     蓑輪顕量『仏教瞑想論』春秋社2008 ほか
        ―20110321脱稿― 





      「鬱病」 20100228   ⇒【目次】

     この2月中、ずっと鬱だった。毎朝、起きるのがつらく、夜も不眠気味だった。自分は無能で負け犬で、生きる価値などまったくない人間ではないか、という自責の念に、丸々ひと月もさいなまれた。
     これほど鬱々とした状態が長く続いたのは、ほんとうに何十年ぶりだろう。

     今にして思えば、どうやら軽い鬱病に罹っていたらしい。
     昨年は妻が半年ほど入院し、かなり強い精神的なストレスを、ずっと受け続けていた。夏バテも盛りをすぎ、秋になってから罹ることが多いように、しんどかった一年が終わり、ほっと安心して、いわゆる「荷おろし鬱病」にでもなったのかもしれない。
     本来なら病院へ行き、専門の医師に診てもらった方が、精神的苦痛を薬で緩和でき、早く落ち着けたのだろう。しかし田舎住まいで、適当な病院が市外にしかなく、また2月中、仕事もひどく忙しかったので、休みが取れなかった。

     なんとか気晴らしに努め、今ようやく最悪な状態から脱した。けれどもやはり鬱とは、すごく辛いものだった。
     世界に自分の居場所が、なくなってしまったような妄想が現れ、もうこれ以上は生きていけないと強く感じる。公私にわたりこれまでやってきたことが、すべて失敗だったように思われる。また自分は無知無能であり、この先なんらまともな仕事ができない、という考えにとらわれる。これまで難なくこなしていた仕事が、不安に駆られてできなくなる、等々。
     不幸中の幸いか、希死念慮がそれほど強く出ず、緊急に病院へ行き診てもらうべき容態でもなかったため、ひと月ほど独りで鬱々としていた。とりわけ落ち込みがひどかった時や、危険な想念に支配されそうになった時などは、ゆっくり息を調えつつ一心に念仏し、かろうじて正気を保っていた。
     それでも家族や知人には、いま自分は鬱状態であり、重症化すれば、すぐ病院へ行くと宣言しており、それほど迷惑はかけなかったと思う。

     3月に入り、症状がやや快復したので、関係文献を漁り、今後の対策を練っている。
     しかしこれまでメンタルヘルスには、かなり気を使っていたはずなのに、まさか自分が、鬱病のようになってしまうとは思わなかった。専門医の診断を受けていないので、精神病の域に入っていたかどうかは明らかでない。
     けれども鬱状態のとき、心がいつも梅雨空のようで、なにをしても気晴らしにならなかった。時々暴風雨のような、ひどい気落ちに見舞われ、ただ起きていることさえも困難だった。こうした症状が、ひと月以上も持続した。
     やはり、頭の中がふつうでなく、かなり病的な状態だったに違いない。
     精神的な病気は、考え方や気の持ち方を変えたり、各種の瞑想を試してみたりする程度の、家庭療法的な手段で、対処できるものではない。脳内の損傷や機能的な障害を、薬物に頼らず治療するのは、まず不可能だろう。
     宗教や思想が有効なのは、精神衛生に関することまでであり、やはりほんとうの病気は、医学しか治せない。過剰な精神主義は、かえって心身の病気を治療する際に、悪影響を与えるものだと、身に染みて痛感した。




      「念仏の歴史」 20100207   ⇒【目次】

     これまでは主に浄土真宗の枠内で、あれこれ念仏について思索してきた。
     しかし歴史的に見れば、真宗の他にもいろいろなかたちの念仏がある。むしろ真宗は念仏の歴史上最後の方に現れていながら、きわめて流行したために、他を駆逐してしまったかのような印象すらある。
     しかしそれなら他宗派の念仏には、顧みるべき要素がないかといえば、決してそうではない。かえって現代人にとっては、ほとんど信心しか説かない真宗の念仏は、かなり理解しにくいものになっている。一度虚心に念仏の歴史をよく調べ直してみれば、意外に多くの発見があるかもしれない。
     とりわけ、日本で行われた念仏の源流ともいえる、天台浄土教に重点を置いて、時代を追いその歴史を研究したい。ここでそうした「念仏の歴史」の、大まかな項目を列挙すると、次のようになる。

    【飛鳥時代】
     阿弥陀信仰が伝来した。ただそれは死者の追善供養を目的としており、念仏はまだ一般的に普及していない。

    【奈良時代】
     南都六宗において念仏が研究される。とりわけ三論宗で浄土教学が盛んだった。ただし実践面ではまだ充実していない。

    【平安時代】
     天台宗において浄土教が発達し、僧侶が中心となり念仏が実践された。
     [天台宗]
    □最澄が常行三昧(念仏しながら行道する)を含む、四種三昧を提唱する。
    □円仁が比叡山に常行三昧堂を建立し、唐・法照の五会念仏を行う(不断念仏)。
    □良源が臨終を重視した、観念の念仏を行う。
    □源信も臨終を重視し、観念の念仏と口称念仏を併用する。また念仏の百科事典ともいうべき『往生要集』が完成する。
    □良忍が京都の大原で融通念仏を説く。
     [真言宗]
    □覚鑁が念仏と真言を融合させた、高野山浄土教を興す。
     [三論宗]
    □永観が口称念仏を推進し、一般民衆へ慈善事業や布教を行う。
    □珍海が善導の『観経疏』に見える「就行立信釈」を所論の中心とする。

    【鎌倉時代】
     □法然が『選択本願念仏集』を著し、浄土宗を開く。
     □親鸞が『教行証文類』(教行信証)を著し、浄土真宗の開祖となる。
     □一遍が民衆に踊り念仏を勧め、時宗の開祖となる。

    【参考文献】
     □井上光貞『新訂 日本浄土教成立史の研究』山川出版社1956
     □大野達之助『上代の浄土教』吉川弘文館1972





      「わたしの信条」 20100205   ⇒【目次】

     仏教の瞑想法として、念仏が有効であり、成仏へ至る道であると信じる。
    1.「念仏成仏これ真宗」とある通り、一心に念仏すれば成仏できる、と納得して疑わない。
    ※「念仏成仏これ真宗」は、親鸞作「浄土和讃 大経意」で引用されている唐・法照の言葉(「信心の諸相」20090408参照)。念仏も、止・観の要素を含む、仏教の瞑想であり、この実践により成仏できる。ただしその際、浄土へ往生するという過程が、必須であるとは考えない。

    2.念じる対象の仏は、親鸞聖人が「自然法爾章」で説かれたような、阿弥陀仏とする。
    ※『浄土三部経』等で描写されているような阿弥陀仏や浄土が、実体を持ちどこかの世界に存在するとは考えない。阿弥陀仏は、止による瞑想の対象物として念じ、そうして心が静まって行くにつれ、自己をありのままに観る自覚が生じる。

    3.念仏すれば心が浄まり、そうして浄まった心が信心であり、心が浄まれば成仏できる。
    ※「七仏通戒偈」に見える「自浄其意」という一句は、仏教の要諦を表したものに他ならない(「わたしの五聖教」20090515)。念仏に含まれる、止・観の要素により心が浄まり、最終的には他宗派同様、まちがいなく成仏できる。




      「念仏という瞑想法」 20100130   ⇒【目次】

     以前から気になりながらも積読したままだった、蓑輪顕量氏の『仏教瞑想論』(春秋社 2008)を、ようやく読了した。いささか、衝撃的な本だった。
     仏教を瞑想という実践の体系から理解しようと試みられており、古代インドから現代に至る歴史的な展開と、実際の方法について、平明に述べられている。仏教の瞑想とはどのようなものか、その本質と変遷が分かりやすくまとめられており、たいへん参考になった。

     インドでは伝統的に心を静めて行く「止滅の道」と、心を高揚させて行く「促進の道」という、二つの瞑想があった。仏教では前者が重んじられ、心を何かに結びつけて「三昧(サマーディ)」に入り、そのはたらきを静めて行く「止(サマタ)」の瞑想となった。
     しかしそれだけでは充分でなく、「三昧」から出ればまた様々な感情が生じてしまう。そこで人間の感覚をそのまま観察することにより、心のはたらきに気づき、感情的な行動を消滅させる「観(ヴィパッサナー)」の瞑想が発明された。仏教では古代から現代まで地域を問わず、何らかの形でこの「止観の瞑想」が実践されていた。

     ところで日本の念仏は、比叡山の「五会念仏」にはじまり、これは別名「止観念仏」と称されていた。念仏には本来、心のはたらきを静める「止」と、それをありのままに観察する「観」の要素があった。
     ちなみに「五会念仏」とは、一歩ずつ歩きながら「南無阿弥陀仏」と、ゆっくり唱えるようなものだったらしい。ゆっくり一定のリズムで念仏を唱えることにより、心が落ち着き「止」の瞑想になる。
     ただ日本に伝承されている仏教は、どの宗派も「止」を重んじており、「観」はあまり正面に出ていない。それは各宗派の教義を学ぶ、学解の中に吸収されており、また「止」を実践することで、自然と「観」に入って行けるので、ことさらに言わないためらしい。
     「南無阿弥陀仏」と声に出す称名の念仏でも、心の中で阿弥陀仏の姿を想う観念の念仏でも、ともに「止」の瞑想であり、これを実践して行く中で、「観」の瞑想の要素も満たされて行く。

     『仏教瞑想論』の要旨を、念仏に重点を置いて見ていくと、概ね以上のようになる。
     現代日本では浄土真宗等の影響か、念仏が短絡的に往生と直結し、浄土へ生まれるための方便としてしか、捉えられていないように見える。それが現世でどのような意味があるかは、ほとんど理解されていない。しかし仏教における瞑想の歴史をふまえて考えるなら、念仏にも確かに「止」から「観」へ至るはたらきがあり、心に生じる具体的な悩み苦しみを解消する有効な手段だった。それも実践する際は、仏教史上もっとも易行であると定評のある瞑想なのだ。
     このように本来、「念仏とは瞑想である」と肝に銘じ、皆で魂の平安を目指しながら、日々実践したい。ただ瞑想的にやり過ぎて、いわゆる「観念の念仏」に逆戻りし、修行に励むという態度が表に出るようなら、まさしく本末転倒になる。あくまで「称名の念仏」の中で、これまで置き去りにされてきた要素も再評価し、善いところは取り入れながら、より現代に対応した念仏の在り方を模索したい。