晴耕
里山日記
2003
「上日寺のお仏名」 20031125 月はじめの8日(土)、上日寺で「仏名会」(ぶつみょうえ)が行われた。 「仏名会」とは『三千仏名経』に基づき、三千体におよぶ仏の名前を唱え、過去の罪障を懺悔する法要であり、真言宗では最も重んじられている年中行事のひとつらしい。かねてから見てみたいと思いながら、なかなか予定が合わず、参詣できなかった。 この日はうまく休みと重なったので、奥様共々ご近所の上日寺へ向うことにした。 ところで上日寺と言えば、樹齢千年を超える天然記念物の大銀杏が有名で、またこれがよく実をつける。この時期は境内中に、田舎の香水のごとき匂いが漂い、肌の弱い人などかぶれを恐れ、お寺に近寄れなくなるくらいだ。 しかしこの日は、写真の通り紅葉した樹から落ちた実をふんだんに使った、「銀杏御飯」がお昼に振舞われる。これがけっこうなお味で、お布施を気持だけ包めば、誰でも食べていい。法要に出ず、これだけ食べて帰ってしまう人も、多くいるらしい。 我々は初めてとあって、全日程まじめに参加し、庫裏で美味しく御飯をいただいた後は、時間まで晩秋の境内を散策していた。 1時半から本堂で、「お仏名」が始まった。 まず若住職が法要のいわれについて説明した後、鈴の音と共に7人ほどの僧侶が来場した。それから結界内で、前讃・仏名・中讃・理趣経・後讃・隨喜回向・諸真言・回向の順に1時間ほど法要が営まれる。この中で仏名はかなり簡略化されており、ほんとうに三千体の名前を唱えると、三昼夜ほどかかるらしい。 最後に千手寺住職の説教をいただき、3時頃にすべて終了した。 現代人の多くは、仏事などつまらない、抹香くさいと思いがちだ。 しかしこれを純粋にイベントとして見るなら、歴史ある重要な文化財の中で、奥深い思想のもとに営まれるこうした行事が、心ある人たちの興味関心を引かないわけがない。伝統の中で培われ洗練された方法で、正面から人々の幸福を願い執り行われているのだ。 これに比べると、あちこちで多くの経費を使い、人出を狙う以外、なんのコンセプトもないような「〜祭り」の方が、よっぽど無意味に感じられる。いちど先入観を捨てて、葬式以外に近くのお寺へ行き法要に参加すれば、ほかでは得られない貴重な体験になるだろう。少なくとも日常から離れ、心身が清められたような印象を、ちょっとは受けるに違いない。 晩秋らしく、このようにもの思いに耽りながら、「お仏名」で罪障を落とし(?)、さっぱりとした心地で家に着いた。
「石動山ゆかりの人々」 20031120 ちょっと前になってしまったが、10月25日(土)、久しぶりに石動山へ行ってきた。この日、去年あたらしく復元された大宮坊で、「石動山ゆかりの人々の集い」というイベントがあったからだ。 鹿島町をあげてのこの行事に、なぜか招待状が舞い込んだので、すぐ出席の返事を出した。どういう経緯か知らないけれど、いつの間にか石動山ゆかりの人間に、数えられていたらしい。拙サイトのトップ・ページにも石動山からの写真が掲載されている通り、かねてからこの霊山には愛着があったので、喜んで参加することにした。 しかし、何ごとにも障害は付きもので、氷見市側から石動山へ抜ける県道が、去年の地すべり以来、まだ復旧されていないらしい。そこで、市の土木課と県の土木事務所へ問い合わせたところ、いちおう市道に迂回路はあるものの、細い山道であり、じゅうぶん注意し通行して欲しいとのことだった。 これは雨など降れば、かなり悪路になりそうなので、ひたすら天気を祈るしかなかった。 当日は写真のごとく快晴の暖かい朝で、山へ行くには打ってつけの気候だった。けれども同行予定の奥様が風邪をひき、急に寝込んでしまった。参加の通知を出してしまったので、今回は涙をのんでもらい、ひとりで出かけることにした。 8時半に家を出て、宇波から平へ向う。この集落の近くで道路が分断され、大きく山道を回り、溜池のわきを通って、また県道へ出た。途中、急なカーブが多く、坂道もきつかったが、天気のせいかそれほどの悪路でもなく、9時過ぎに石動山へ着いた。 こんな時間からここへ来るのは初めてで、朝のひんやりとした空気が気持ちよかった。 10時から大宮坊の広間で、シンポジウムが始まった。
とりわけ堅田氏が、石動山ゆかりの地を全国くまなく巡り、その現状について写真を交え紹介した話は、たいへん参考になった。当日も東北や関東などから参加者があり、石動法師の末裔が現在も各地で活躍されているという。会場は、百人ほどの聴衆でほぼ埋まり、12時過ぎまでなかなか盛り上がっていた。 それからお昼にうどんとおにぎり等が振舞われて、1時頃よりアトラクションの天平太鼓・七尾市多根町獅子舞があり、3時前にすべての日程が終了した。 500mを超える山なので、風は少々冷たいながら、終日やわらかな陽ざしがこぼれる、穏やかな秋の日だった。帰りは色づいた紅葉を眺めながら、今度はゆっくりと車を走らせ、山の空気を満喫しながらこころ豊かに下界へ降りてきた。 【後日談】 当日少々寒風に吹かれたせいか、意気揚揚と帰ってきた次の日から、風邪をうつされ寝込んでしまった。今回の風邪は、「徒然雑記」にも記したとおりずるくどく、ようやくこの頃セキも止まり、一段落した。ふう…。 「森寺城散策」 20031026
まだまだ本丸の下にも、大手口の石垣を降りてゆけば、いくらでも遺構が残されている。ただ今回は軽い気分で偵察にきた程度だったので、これ以上探索する元気がなかった。今度来る時は、弁当と水筒なぞリュックに詰めて装備を固め、一日かけてゆっくり山歩きをしたい。 大きいとは聞いていたが、ほんとうに森寺はひと山すべて城郭であり、また度々訪れて、山の空気と古の歴史を満喫してみたい。 「阿尾城で殿様に会う」 20031010 氷見市には、阿尾城(あおのじょう)という中世城郭の遺跡がある。 ここは灘浦の山並が富山湾へ突き出た岬の上にあって、氷見海岸のどこからでも見える名勝であった。市の教育委員会でも、以前から史跡として整備しており、一度ゆっくり探訪したいと思っていた。
昼下がりに、新しく通った海浜道路をゆっくり走りながら、城跡へ向う。 国道から細い村道へ入り、ちょっと行くと広い駐車場があり、鳥居が建っていて、横の石碑に「阿尾城址」と大書してある。ここは今、神社の境内であり、急な坂道を数10m登ったところに、立派な御宮が建っている。そこを通って、海側に行くと、ちょっとした公園ができていた。有磯海が一望にできて、なかなか良い景観だった。 しかし山道はまだまだ続き、さらに奥まで行くと、展望台があるらしい。ここまで来たら最後までと、くねくね曲がる細道を行くうち、なにやら役人らしい10人ほどの一隊に出くわした。 わが街の殿様である、市長御一行であった。 これが平地なら、サッとどこかに体を隠し、知らん顔を決めこむのだが、いかんせん両脇が断崖の山道で、かわしようがない。まっこうからのご対面となり、わが身の如き下賎者としては、実にきまりの悪い場面となった。 まあ悪いことをしていたのではなし、非番の時は上下の関係もないので、軽く一礼してすれ違った。
「ぶどう園」 20030910 8月の末頃に早々と、砺波市と婦中町の山境にある、「山藤ぶどう園」へ行ってきた。 ここは、富山県内唯一のワイナリーも併設されており、「立山ワイン」という銘柄で商品化されている。小ぢんまりとしたレストランの横にバーベキュー施設もあり、ぶどう棚の下で、存分に飲み食いすることができる。 ただし、9月の中頃にならないと収穫できる品種が揃わず、また新酒は仕込み始めたばかりで、11月に入らないと出荷されない。今回は、ちょっと様子を見てきた程度だ。 しかしそれでも「アーリースチューベン」「リザマート」「紅伊豆(べにいず)」など、ふつうのお店では手に入らない、珍しいぶどうを食べることができた。 値段は少々割高になるけれど、摘みたて完熟ぶどうの味・香りは、食べた者でないと分らないものだ。それがなんとここでは、22種類も収穫できるという。いままでうかつにも、ぶどう園というものが存在するとは知りながら、その実力を知らなかった。それが車で小一時間ほどしか離れていない砺波の山里に、いくつも点在している。 これから週末ちょっとドライブして、美味しいぶどうを22種、ぜひ制覇したいものだと思う。そして当然、締めくくりは、ワインの新酒とあいなるのであった。フフフ…。 「夏の収穫」(奥様筆) 20030804 例年にない長い梅雨で、畑の様子もなかなか見に行けない。 気にはなりながらも、放っておいたら、筆舌に尽しがたい惨状になっていた。草はいうに及ばず、すす竹は我がもの顔に背を伸ばし、緑の蛇などと恐れられる葛も、その蔓を伸ばし放題だ。ここで負けては、開墾の苦労が水の泡だ。 夫には、畑区域外のすす竹や葛を退治してもらう。私は、畑の中をはいずりまわって、露草やエノコロ草、タデなどの草をむしっていった。 開墾を始めて2年目になり、落ち葉や生ゴミ堆肥の効果が現れてきたのか、石ころだらけだった土も少しふかふかになったようだ。むしった草の根の跡から丸々と太ったミミズがでてきたりもする。ここであきらめてはいけない。3年目、5年目を愉しみにもくもくと作業を続けよう。
― ちなみに北陸の梅雨は、7月末にようやく明けて、昨日・今日と連日35℃を 超える、猛暑となっております。(愚夫) 「碁石ヶ峰」 20030713 先週、久しぶりにゆっくり休みが取れ、石川県との境にそびえる碁石ヶ峰へ行ってきた。ここは隣県側の山頂がよく整備されており、けっこう遊べると聞いていたので、いつか行きたいと思っていた。 余川から氷見側の細い山道をウネウネ抜け県境を越えると、驚いたことにいきなり大池が現れた。貸しボートや釣り堀などもやっており、良いか悪いかは別にして、完全に公園化していた。同じ県境の石動山や臼ヶ峰でも、ある程度整備されているが、ここには遠く及ばない。山頂に発電用の巨大な風車もできていて、ちょっとあやしい風景だった。 この日、雨が降りそうな天気でそれなりに装備して来たのに、まったくそんな心配は不要だった。ちょっと肩すかしをくらった気になったけれど、まあとりあえず弁当出してお昼にし、池をひと回りすることにした。 すると土手のところで、いきなりわさわさとワラビが生えていた。あまり目につくところにあるので、もしかすると保護区のため山菜摘みが禁止なのかと疑ったほどだ。でもさすがにこの時期なので、先客が採った形跡もあり、それならと喜んで収穫することにした。 わずか10分ほどで、下図のように一袋ほどのワラビが採れ、思わず笑みがこぼれる。 しかしこの池ではそれだけでなく、周辺の松林にいろんなコケまで生えていたのだった。以下、「コケノート」の方もご一読ねがいたい。
「常虹の滝」 20030630 最近、園芸ネタばかりなので、久々に山の空気を浴びるため、遠出することにした。 岐阜県との境に細入村という、ほそぼそとした山里がある。ここにちょっとした滝もあり、それほど大きくはないものの、森に囲まれて美しく、なかなかの名所だったように記憶していた。 決して「流しそうめん」だけが目的で、行ったわけではない…。 しかし写真の如く、1時ごろ着いたにもかかわらず、無情にも「本日終了」という看板が出ていた。 「ほんとに今日やっていたのか?休業なら正直にそう書けよな」 と疑いたくなる。目的のひとつは、完全に裏切られてしまった。 でもこれであっさり帰るのでは、わざわざ2時間近くかけて来たかいもないと、空腹を忍んで滝を見てくることにした。
「ソラマメ」 20030606 うれしいことに今、我家のつつましい菜園で、ソラマメが豊作だ。 一昨年はじめて植えた時は、ほんのひとにぎりほどの豆しか獲れず、それこそ宝物の如く大事に、一粒一粒いただいたものだった。しかし、今年は畝一列、見事に実り、何回でも収穫できる。ただまあソラマメは周知の通り、上げ底・過重包装の豆で、ざるにひと盛り摘んでも、小皿1枚分ほどしか食べられない。 そこで我家では、ソラマメのこうした性格をふまえあの分厚い皮のまま、無造作にレンジで焼いて食べている。こうすると中でちょうど蒸焼きになり、単純に塩茹でするより甘味が強くてうまい。ぜひ、お試しあれ。
「奥様の菜園」 20030525 しばらくぶりに奥様から一筆いただいたので、そのまま掲載します(楽々)。 春の畑 じゃがいもを埋めた後、雨ばかり続いて、畑にはご無沙汰していた。 夫には、勝負を捨てていると呆れられた作物たちだが、ちゃんと芽を出していた。 健気である。しかし、季節柄か、草の勢いには眼を見張るものがあり、健気な作物たちのか弱い芽は、負けてしまいそうである。 晴れた休日、ホームセンターで3000円も投資した夏野菜の苗も植えなければならない。 ― 今年の夏野菜の内訳 ― パプリカ (赤、橙、黄各1本ずつ) なす (イタリアナス1本、ピンクデリシャス1本、パープルスター1本) トマト (ミニトマト2本、パスタトマト1本、中玉トマト1本) キャベツ 2本 きゅうり 1本 ズッキーニ 1本 害虫対策にアフリカン・マリーゴールド3本 その他に、ベランダには、トマト1本、水ナス1本、きゅうり1本、ゴーヤー1本、を植え付けた。日除けになるほど、茂ってくれるとよいのだが・・・。
「朝日山の桜」 20030420 そろそろ桜もピークを過ぎて、花びらが散りはじめた。 今年は柴太朗の散歩のせい(おかげ?)で、開花から散り際まで毎日観賞できた。雨の日も風の日も、そして晴れた日もそれぞれ美しい表情があり、実に多彩な桜の姿を見ることができた。厳冬期につらい散歩をこなした、ご褒美なのだろうか。 新しいOLYMPUSのデジカメを買い、喜んで撮りまくった写真の中から、比較的できの良いものを数枚紹介したい。
ケーブルを使いシャッターを切る。それでもなぜか何枚も手ブレしてしまった。 これから夜間撮影では、決して三脚に触れないよう注意しなければならない。 「春の菜園」 20030323 まだ山菜の時期が来ないので山へも行けず、この連休中はただひたすら春の畑作に勤しんでいた。 なにをもの好きな…、などと言ってはならない。これでも少々道具を揃えれば、ちょっとしたレジャー気分にひたれるのだ(下図参照)。
その間に奥様は、セッセとなにか作物を植えていたようだ。 いっぷくしたとき聞くところによると、鞄の底に忘れられていた古いコカブラの種と、煮豆の残りのインゲンマメに、食用のジャガイモ(種イモではなく)などを植えたという…。今年は自家製の堆肥をかましたとはいえ、これでは端から勝負を捨てていると見られてもしかたない。大穴を狙い、できたらもうけもの、といったところだろうか。 しかしともあれ、小さいながらわが家の菜園で土をいじる一日は楽しく、心地のよい疲労を感じながら、後始末をして帰った。 「早春の里山」 20030316 近頃ようやく春らしくなってきて、里山で戯れる生活が戻ってきた。 先週は「コケ日記」に書きとめておいた通り、裏山を歩きまわり、さっそくいろいろ収穫できた。今週も天気に恵まれ、また奥様とお弁当片手で、犬の足跡ほどもあるわが家の菜園へ行った。さっそく奮発して買ったおニューの鍬で、4ケ所ほど畝を作る。去年からコンポストに仕込んでいた堆肥も、よく土と混ぜてなじませ、来週にでもジャガイモを植える計画でいる。 まあ、その日の天気を見てのことだが…。 まだ風は少々冷たいけれど、日差しはポカポカと暖かく、野外で戯れるにはもってこいの気候だった。そこでついつい調子に乗り、畑作に励んだ後、川端の土手で犬と散歩し、ちょっと足腰が疲れてしまった。 しかしそれも計算済で、 4時頃から「民宿いけもり」へ行く。広々とした湯船でゆっくり温泉に浸かって、体の汚れと凝りを洗い流し、ゆで蛸のように上気して家路についた。 やることはかなりオジン臭くても、氷見の里山周辺で今日も一日好天の下、子供の如く無心に遊びほうけてきた。 「わが家の小菜園」 20030218
杉ではなく「コニファー」であり、「ゴールド・クレスト」という名である、とのお叱りでした。 「雪読」 20030105 元旦とはうって変って、昨日から大雪となった。氷見でもなんと63cmの積雪があり、今夜もパウダー・スノーがシンシンと降っている。もしかすると明日、80cm位になるかもしれない。こんなに積もるのは、ほんとうに何年ぶりだろうか。 どこへも行けず、お勤め以外は家に籠もり読書している。 ところで最近、「里山」という言葉をよく耳にする。 しかしこれはそう古くからある語ではなく、どうも写真家の今森光彦氏あたりが広めたらしい。その代表作が『里山物語』(新潮社)であり、どこの田舎でも見られる日常の風景を、実に美しいアングルとライティングで捉えている。端的に言えば、谷間の水田に多くの虫たちが生きている事実を写しただけなのに、そこがひどく奥深い豊かな世界であることを、一目瞭然に再現している。まさしく日本の原風景といえるものだろう。 またこうした写真を撮りはじめた経緯が、『里山の少年』(新潮社)というエッセイ集にまとめられている。軽快な語り口で、淡々と写真家の半生にわたる様々な思い出が語られている。特に警鐘を鳴らすわけでもないのに、現在は愛する里山の風景が日々失われていることに触れていて、いま環境に対しどういう行動をとるべきか教えてくれる。 それぞれの土地で、ありふれた里山を愛しみ保持すること、それがいかに永い歳月の間、日本人が培ってきた重要な遺産か、おのずと理解させられる。 この春、雪どけの里山を歩きまわるのが、まちどおしくてしかたない。 |