読経記 三(一)
― 『大正新脩大蔵経』読書記 ―
《第三巻 本縁部上》
凡例 - 経典番号・経典題名・内容紹介の順で記述した。
- 経典番号は、原本の通し番号に従った。
- 経典題名は、常用漢字の表記に従った。
- ( )内は頁数であり、aが上段・bが中段・cが下段を表す。
- 記述に際しては、『大蔵経全解説大事典』(雄山閣1998)・『閲蔵知津』 (北京・綫装書局2001)等を参照した。
- 機種依存文字や、日本語文字コードにない漢字等は、「大正新脩大蔵経テキストデータベース」(SAT)の表記に従った。
- なお私見により、特に重要と思われる経典や巻を太字で示した。
No.0152 六度集経 八巻 康僧会訳
No.0153 菩薩本縁経 上・中・下巻 支謙訳
No.0154 生経 五巻 竺法護訳
No.0155 仏説菩薩本行経 上・中・下巻 失訳
No.0156 大方便仏報恩経 七巻 失訳
No.0157 悲華経 十巻 曇無讖訳
No.0158 大乗悲分陀利経 八巻 失訳
No.0159 大乗本生心地観経 八巻 般若訳
No.0160 菩薩本生鬘論 十六巻 紹徳慧詢等訳
No.0161 長寿王経 一巻 失訳
No.0162 金色王経 一巻 瞿曇般若流支訳
No.0163 仏説妙色因縁経 一巻 義浄訳
No.0164 仏説師子素駄婆王断肉経 一巻 智厳訳
No.0165 仏説頂王因縁経 六巻 施護訳
No.0166 仏説月光菩薩経 一巻 法賢訳
No.0167 仏説太子慕魄経 一巻 安世高訳
No.0168 仏説太子墓魄経 一巻 竺法護訳
No.0169 仏説月明菩薩経 一巻 支謙訳
No.0170 仏説徳光太子経 一巻 竺法護訳
No.0171 太子須大拏経 一巻 聖堅訳
No.0172 仏説菩薩投身飴餓虎起塔因縁経 一巻 法盛訳
No.0173 仏説福力太子因縁経 四巻 施護訳
No.0174 仏説菩薩睒子経 一巻 失訳
No.0175 仏説睒子経 一巻 聖堅訳
No.0175a 仏説睒子経 一巻 聖堅訳
No.0175b 仏説睒子経 一巻 聖堅訳
No.0176 仏説師子月仏本生経 一巻 失訳
No.0177 仏説大意経 一巻 求那跋陀羅訳
No.0178 前世三転経 一巻 法炬訳
No.0179 銀色女経 一巻 仏陀扇多訳
No.0180 仏説過去世仏分衛経 一巻 竺法護訳
No.0181 仏説九色鹿経 一巻 支謙訳
No.0181a 仏説九色鹿経 一巻 支謙訳
No.0182 仏説鹿母経 一巻 竺法護訳
No.0182a 仏説鹿母経 一巻 竺法護訳
No.0183 一切智光明仙人慈心因縁不食肉経 一巻 失訳
No.0152 六度集経 八巻 康僧会訳 ⇒【目次】
《参考文献》
『国訳一切経 印度撰述部34 本縁部六 菩薩本生鬘論下・他』
岡教邃・赤沼智善・成田昌信・常盤大定訳 大東出版社1997(1935)No.0152 六度集経 巻第一 布施度無極章第一
No.0152-00(1a)
釈尊が王舎国の鷂山中で阿泥察菩薩へ、六波羅蜜について説かれた。第一巻では布施に関する説話が集められている。(2001/10/16)
No.0152-01(1a)
古に菩薩が布施行を修めるのを見て、帝釈天は自分の位が侵されることを恐れ地獄の有様を現して脅した。しかし菩薩は全く怯まず、自分の志は成仏し衆生済度することであると教えた。(2001/10/17)
No.0152-02(1b)
古に菩薩が薩波達大王だった時、布施行に励むのを見た帝釈天が簒奪を恐れた。そこで自ら鷹となって鳩を追い、これを庇った代償に鳩と同じ重さの肉を体から割かせるという策略を立て、王の心がけを試した。しかし王は全く意に介さず、命を賭けて鳩を救おうとした。(2001/10/17)
No.0152-03(1c)
古に菩薩が貧困だった時、この肉体は仮のものだとして海の魚に投げ与えた。その後で国王に転生し、仁政を心掛けていた。しかし国内に飢饉が起り人民が困窮していたところ、訪ねてきた諸仏に救われた。(2001/10/18)
No.0152-04(2b)
古に菩薩が乳飲み子を持つ飢えた虎に逢い、彼らを救うため自らの体を捧げたという、捨身飼虎の故事が説かれている。(2001/10/19)
No.0152-05(2b)
古に菩薩が乾夷国の偏悦王だった時、国の繁栄を妬んだ逝心が王の首を取ろうとしたところ、樹神に阻まれて事なきを得た。(2001/10/19)
No.0152-06(2c)
古に菩薩が大国の王だった時、簒奪を恐れた帝釈天が策略を立てて国を奪った。その悪行から地獄に落ち、国は再び王に戻った。(2001/10/21)
No.0152-07(3b)
古に菩薩が大国の王だった時、ある資産家から私財・五家について進言を受け、仏教に目覚めた。(2001/10/21)
No.0152-08(3c)
古に菩薩が大資産家の仙歎だった時、布施行に励み徳を積んでいたのに、仲間の商人に白珠を奪われ井戸へ投げ込まれた。しかし却って彼らを庇い、王に懇願して罪を免除させた。(2001/10/21)
No.0152-09(4a)
古に菩薩が普施だった時、産まれてすぐ衆生の救済を誓い、十歳で出家し諸国を遍歴した。ある山奥で天神たちから三個の明月真珠を得て、衆生の救済に使おうとしたところ、海神等に奪われた。そこで海水を干す奇跡を示し、真珠を取り戻した。(2001/10/24)
No.0152-10(5a)
古に菩薩が長寿王だった時、仁政を布いていたのに隣国の侵略を受け、人民に危害が及ぼうとしていた。そこで王は国を譲り隠棲して、国難を逃れた。ところが貧しい梵志を救うため、賞金の掛った自分の首を差出し、火刑を受けることになった。その時、王は長生太子に決して仇討などしないよう遺言する。後年、太子が隣国王の側近になり狩猟へ出た際、山で家臣たちとはぐれて二人きりになった。しかし、その好機に父の遺言を思い出し、仇討を止め怨恨を赦すことにした。ここでは有名な長寿王の故事が、簡潔に説かれている。(2001/10/27)
No.0152 六度集経 巻第二 布施度無極章
No.0152-11 波耶王経(6a)
古に波羅㮈国の波耶王が仁政を布いていたのに、隣国の侵略を受けたので、人民に危害が及ばないよう自ら隠遁した。ところが自分を頼ってきた老梵志を憐れみ、その首に懸かった賞金で彼を救おうとした。隣国の王もこの経緯を聞いて改心し、後に波耶王の子を王位へ就かせた。(2001/11/2)
No.0152-12 波羅㮈国王経(6c)
古に波羅㮈国の迦蘭太子が、父王の死去に伴って弟へ国を譲り、妻を連れて隠遁した。彼女は淫らな性質で、太子が救った罪人と通じ、夫の殺害を計った。彼はこの難を逃れ、故国へ帰り、弟から譲位されて国王となった。後に乞食のため罪人を背負って来た妻へ、相応の罰を下している。(2001/11/4)
No.0152-13 薩和檀王経(7a)
古に薩和檀王が布施に勤め、八方で知らない者がなかった。そこで文殊菩薩は彼を試そうと若い婆羅門に変身して王を尋ね、夫妻が奴婢として自分に従うことを求めた。王は快諾して婆羅門に従い、夫妻は別れ別れになり辛苦を嘗める。しかしお互い決して心に怨恨など懐かなかったのを見届けて、文殊菩薩は彼らを称賛し、元の境遇に戻した。(2001/11/4)
No.0152-14 須大拏経(7c)
古に葉波国の須大拏太子が布施行に励んでいたところ、敵国の策謀に乗せられ国宝の白象を恵んでしまった。そのため父王から放逐され、妻子を連れて山に隠棲していた。そこへ老梵志が訪れ、子供を奴婢として貰い受けたいと願い出た。また、帝釈天も梵志に変身し、試みにその妻を貰いに訪れた。太子はこれらを快諾して、布施に対する志の高さを証した。この後で諸天の配慮から、太子は妻子とともに故国へ帰り、元の鞘に収まっている。(2001/11/5)
No.0152 六度集経 巻第三 布施度無極経
No.0152-15(11b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で比丘たちへ、古に和黙王が仁政を布いていた時、盗人の境遇を憐れんで、大赦令を出したと説かれた。(2001/11/10)
No.0152-16(11c) 仏説四姓経
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、人々が貧困を顧みず精一杯の供養をしたので、これを称賛された。(2001/11/10)
No.0152-17(12a)
古に富豪の維藍梵志が一生行った布施よりも、持戒の一信者に一日供養した方が幸多い。また自ら持戒するのは、諸仏へどれだけ供養するよりも幸多い。しかしそれも慈悲心で衆生へ接することには及ばないとしている。(2001/11/10)
No.0152-18(12b)
古に菩薩が鹿王だった時、国王の猟でしばしば鹿たちが殺戮された。鹿王はこれを嘆いて直接国王に会い、猟を止めてもらう代わりとして毎日一頭の犠牲を捧げると約束した。鹿たちはこれを守り、日々従容と命を捧げていた。ところがある日、孕んだ雌鹿の番になり、出産まで命乞いをした。しかし、誰も身代わりになる者がないので王は哀れみに堪えず、自ら犠牲になるため王宮へ行った。国王はこれを知り、涙を流して彼を放ち、それから鹿を殺すことを国禁とした。ここでは有名な鹿王の前世譚が、簡潔に語られている。(2001/11/12)
No.0152-19(13a)
古に菩薩が鵠鳥だった時、旱魃で餌が採れず自分の身を裂いて子に与えたという。(2001/11/13)
No.0152-20(13a)
古に菩薩が孔雀王だった時、国王が夫人の病を癒すため、猟師に彼の捕獲を命じた。そこで孔雀王は命乞いの代償に、夫人を始め国中の病を治したという。(2001/11/17)
No.0152-21(13c)
古にある高徳の梵志が山へ隠遁し、獣等が徳を慕い食物を供養した。ところが長年の内に供物が無くなり、梵志は他へ移ろうと考えた。そこで狐・獺・猿・兎が、彼を留めるため食物を探すことになり、兎は自身を火へ投じて供養しようとした。梵志はこれに感銘を受け、その山に留まったという、有名な月の兎の故事が説かれている。ただしここでは、兎は死なず、月へも昇っていない。(2001/11/17)
No.0152-22(13c)
古に菩薩が財産家だった時、友人の放蕩息子へ千金を与え更生させようとしたのに甲斐がなかった。しかしその時、たまたま説いた死鼠の譬を聞いて門前の孤児が感銘を受け、その教えに従い一財産を成したという。(2001/11/23)
No.0152-23(14a)
古にある寡婦が道人へ食施し、来世では子供を百人授かるよう願ったおかげで、絶世の美女に転生して王宮へ入り、百個の卵を産んだ。しかし他の宮女等が妬んで、大切な卵を川へ流してしまった。下流の国王はこれを見て奇特に思い保護したところ、百人の美丈夫に育ち隣国を征服した。そうして母のいる国にまで侵攻した時、彼女は子供たちに自分が本当の親であると告げ、戦を止めて親子が邂逅したという。(2001/11/23)
No.0152-24(14c)
古に菩薩が梵志だった時、啑如来を招いて七日間供養した。その際、幼い弟子が自ら燭台となって、仏をもてなしたという。(2001/11/24)
No.0152-25(15a)
古に菩薩が財産家だった時、市場で鼈が売られているのを見掛けその命を助けた。鼈は恩に報いるため洪水を予言し、速やかに舟で逃げるよう勧めた。やがて洪水が迫り、舟で漂う間に多くの生き物を助けた。その際に助けた者が後で裏切り、彼を国王に訴えたせいで捕まえられてしまう。しかし蛇の策略に従い太子の病を癒し、王の信任を得て広く徳政を布いたという。(2001/11/24)
No.0152-26(16a)
釈尊が前世で菩薩だった時、慈悲の心から衣に付いた虱を助け獣骨の上へ逃がした。その因縁により、現世で七日の供養を受けたと説かれた。(2001/11/24)
No.0152 六度集経 巻第四 戒度無極章第二
No.0152-27(16c)
古に菩薩が清信を懐く梵志だった時、国王が庶民の偽善を暴くため廃仏令を出した。しかし梵志はこれに屈することなく、命を賭けて信心を貫いたという。(2001/11/28)
No.0152-28(17a)
古に菩薩が象王だったとき、正妻に妙なる蓮華を与えたら、側室が嫉んで悶死した。彼女は美女に転生して国王の夫人となり、象王の牙を取るよう猟師に命じた。罠に掛った象王は、致命傷を受けながらも猟師の身を案じ、彼が去るのを見届けてから息絶えたという。(2001/11/29)
No.0152-29(17c)
古に菩薩が鸚鵡王だった時、国王が好んで鸚鵡を食べたので、深く貪欲について思惟し、断食行に励んだという。(2001/11/29)
No.0152-30(17c)
古に菩薩が法施太子だった時、国王の妾の誘惑を拒絶したせいで怨まれ、讒言により辺境へ追いやられてしまった。さらに妾の策略で、両眼を抉られることになったので、太子は身替りを立て行方を晦ました。後に妃の助けを受け、琴の奏者として王宮に変り果てた姿を現し、そこで王は初めて妾の謀略に気付いたという。(2001/11/30)
No.0152-31(18b)
古に菩薩が旱魃に遭った時、兄たちが妻を殺して凌ごうとしたので、山へ逃れ隠棲した。ところが妻は山中で跛の男と私通し、彼を殺そうとした。なんとか難を逃れた彼は、幸運に恵まれ王位に就く。そこへのこのこ乞食に来た妻を、命だけは助けて追い払ったという。(2001/12/2)
No.0152-32(18c)
古に菩薩が人夫をしていた時、烏が商人の白珠を強奪するよう勧めたのに、笑って応じなかった。(2001/12/2)
No.0152-33(19a)
古に菩薩が商人に雇われ海へ出たら、船が動かなくなった。そのとき海神が人身御供を出すよう告げたので、彼は快諾し船を降りた。ところが船は大魚に襲われ、彼だけ帰り着いたという。(2001/12/2)
No.0152-34(19a)
古に菩薩が墓守をしていた時、埋葬を手助けしても決して謝礼など取らなかったという。(2001/12/2)
No.0152-35(16b)
古に菩薩が行商に出た時、舅が狙っていた宝盤を先に入手したところ、彼は悔しがって悶死したという。(2001/12/2)
No.0152-36(19b)
古に菩薩が兄弟で異国へ行った時、国王が王女を与えようとしたのに兄は断った。そこで王女が怨み、肝を食ってやると言って呪った。それから転生して兄が猿に、弟と王女が鼈の夫婦となった。妻の願いで鼈が肝を奪いに行ったところ、猿は機転を利かして逃れたという。(2001/12/2)
No.0152-37(19c)
古に菩薩が財宝を求めて海へ出た時、鬼女の棲む国へ行き危うく難を逃れた。しかし帰国してから、追ってきた鬼女の魅力に王が虜となり、国を滅ぼしたという。(2001/12/3)
No.0152-38 太子墓魄経(20b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤獨園で比丘たちへ、墓魄太子の故事を説かれた。太子は聡明だったのに、十三歳以降、唖の如く一言も発しなかった。憂えた王が梵志に相談したら、これは不祥で生埋めにすべきだと唆した。真に受けた王が生埋めにしようとした時、ようやく太子は一言を発する。それによると過去世で太山地獄に落ちた苦しみを思い出し、無言の行に励んでいた。しかしいま王が自分を殺して、地獄へ落ちることを憐れみ、これを止めさせるため話すことにしたという。(2001/12/4)
No.0152-39 弥蘭経(21a)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で比丘たちへ、人間が五楽に飽くことのない譬として、古の弥蘭の故事を説かれた。彼は海で遭難し独り岸へ漂着して、宝城に住む美女たちから歓迎されたのに、満足することを知らなかった。そこで最後は鉄城の守鬼に捕えられ、六億年も苦しまなければならなかったという。(2001/12/9)
No.0152-40 頂生聖王経(21c)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で阿難へ、衆生が五欲に飽くことのない譬として、古の頂生転輪聖王の故事を説かれた。彼は天下を平定したことに満足せず、帝釈天の位を奪おうと考えたせいで、神通力を失い病に斃れてしまったという。(2001/12/9)
No.0152-41 普明王経(22b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で比丘たちへ、普明王と阿群王の故事を説かれた。普明王の隣国にいた阿群王は、あるとき人肉を食べて病みつきとなり、密かに人狩りを命じるようになった。これが発覚して山中に逃れ、諸国の王を百人捕えて、故国へ帰れるよう樹神に祈願していた。普明王も捕われ人身御供にされようとしたとき、仏の教えを説いて阿群に悪行を悟らせた。次の生で阿群は師に唆され、百人を殺してその指を取れば仙人になれると教えられた。そこで後一人のところで釈尊が現れ、その愚行を止めさせ開悟へと導かれた。この経典は二つの部分に別れ、後半は『鴦掘摩経』(No.118-120)と等しい内容になっている。(2001/12/10)
No.0152 六度集経 巻第五 忍辱度無極章第三
No.0152-42(24b)
古に菩薩が墓場で隠棲した時、人々に蔑まれ撲られても決して怒らなかった。(2001/12/16)
No.0152-43(24b)
古に菩薩が睒という名だった時、穢土を嫌って老父母と共に山中へ隠棲していた。そこへ迦夷国の王が狩猟に来て、睒を誤射してしまった。これを知った父母が嘆き悲しんでいたところ、彼の人柄を惜しんだ帝釈天が神薬を与え生き返らせた。(2001/12/17)
No.0152-44(25a)
古に菩薩が山に隠棲する羼提和梵志だった時、狩猟にきた迦梨国王と出遭い、獣の行方を教えなかったせいで、体を切り刻まれてしまった。しかし彼は決して怨まず、むしろ慈悲の心で王の行いを憐れんだという。(2001/12/17)
No.0152-45(25c)
古に菩薩が貧家に産まれた時、子供のいない財産家に拾われ育てられた。しかしその家に男児が生まれたので、跡目を憂えた父親により、殺害されそうになった。ところが行き違いからその計画は台なしとなり、逆に弟が身替りとなってしまった。怒った父親は再び息子の殺害を謀り、外国へ出張を命じる。けれどもこれを知った梵志の娘の機転で救われ、二人はめでたく結婚することになった。(2001/12/17)
No.0152-46(26c)
古に菩薩が大国の王だった時、舅の隣国王が攻めてきたので国を譲り山中へ隠棲した。しかし邪龍が居て妃に惚れ、彼女を奪い去ってしまった。そこで猿王と協力し龍を退治した頃、舅が死に彼を慕っていた国民が探しに来て、共々故国へ還った。(2001/12/22)
No.0152-47(27b)
古に菩薩が山猿だった時、谷へ落ちた人間を救いに行った。しかしそれが仇となり、石で撲られ殺されそうになっても、決して慈悲心を失わなかったという。(2001/12/22)
No.0152-48(27c)
古に菩薩と阿難が龍に生まれ陸地へ遊んだ時、ある毒蛇が襲って来た。しかし慈悲の心から、決して害心を懐かなかったという。(2001/12/22)
No.0152-49(28a)
古に摩天羅国王の難は、世の無常を覚り道士となって山林に隠棲していた。ある時、猟師が山中の深い穴に落ち、烏と蛇まで巻き添えをくらった。道士はこれを憐れんで、縄を降ろし助けてやった。後日、恩返しとして烏がくれた珠を猟師に恵んだら、国宝を盗んだ犯人として捕えられてしまった。しかし烏の殺戮を恐れて黙秘し続け、危うく処刑されそうになった。そこで蛇を呼んで助けてもらい、ようやく難を逃れたという。(2001/12/23)
No.0152-50(28c)
古に拘深国王の抑迦達は、亀の怨から策略にはまり、愛娘を龍王へ嫁がせることになった。そうして生まれた槃達龍王は、世を捨て山へ隠棲した。ところがこれを知った術士に毒を盛られ、大道芸の見世物にされてしまう。そのうち彼を探していた家族と出遭い、母親の尽力でようやく開放される。しかし決して術士を怨まず、王に願いそのまま他国へ去らせたという。(2001/12/24)
No.0152-51 雀王経(29b)
古に菩薩が雀王だった時、歯に骨が支え瀕死の虎を助けたという。(2001/12/24)
No.0152-52 之裸国経(29c)
古に菩薩が伯父と二人で裸人の国へ貿易に行った時、郷に従い人々と歓楽を共にし大成功を収めた。しかし伯父は自らの習慣を変えようとせず、財産を奪われほうほうの体で帰ったという。(2001/12/25)
No.0152-53 六年守飢畢罪経(30a)
古に菩薩が大国の王だった時、高徳の梵志が誤って水を盗んだと自首してきたのに、多忙のせいで六日も放置し飢渇させた。そのため転生し成道の時期が来ても、六年間断食行を修め罪が消えるまで開悟できなかったという。(2001/12/26)
No.0152-54 釈家畢罪経(30b)
釈尊が舎衛国にいた時、外道の策謀で女犯の噂が流れた。王もこれを疑い、後で嘘と分かりひどく後悔した。そこで釈迦族と婚姻を結び、両国の修好をはかった。しかし、釈迦族側は恨みを忘れず、婢を嫁に遣った。男児が産れ、母親の国を尋ねたところ、成婚の因縁により釈迦族の者からひどい仕打ちを受けた。彼はこれを恨に思い、王位へ就くと釈迦族の討伐を決定した。釈尊はこれを知って、遠征軍の通り道で釈という名の枯木の下に坐し王を諌めた。しかし結局、遺恨が忘れられず、王は進軍し釈迦族を滅すこととなった。同様の経典が『増壹阿含経 巻第二十六 等見品第三十四』(No.0125-34・02)に見える。(2001/12/28)
No.0152 六度集経 巻第六 精進度無極章第四
No.0152-55(32a)
古に菩薩が凡人だった時、聞法のためなら全身に針を刺すことすら厭わなかったという。(2002/1/1)
No.0152-56(32b)
古に菩薩が獼猴王だった時、群を率いて苑へ入り果実を取ったところ、一網打尽にされかけた。そこで皆を逃がし、一身に替えて国王へ彼等の助命を嘆願したという。(2002/1/1)
No.0152-57(32c)
古に菩薩が鹿王だった時、狩に来た国王へ、群の助命を一身に替えて嘆願したという。(2002/1/5)
No.0152-58(33a)
古に菩薩が修凡という名の鹿王だった時、川で溺れた人を救い上げた。しかし彼が裏切り居所を曝露されて、王に狩られることになっても、慈悲心から決して恨みはしなかったという。(2002/1/6)
No.0152-59(33b)
古に菩薩が馬王だった時、対岸で商人たちが鬼女に喰われるのを見かね、危険を犯して助けに行ったという。この故事は、『中阿含経』(三十四)の『商人求財経』第二十(26-136)や、『増壹阿含経』(四十一)馬王品第四十五(125-45・01)にも見える。(2002/1/7)
No.0152-60(33c)
古に菩薩が魚王だった時、網に捕えられた魚たちを一身に替えて助けたという。(2002/1/8)
No.0152-61(33c)
古に菩薩が亀王だった時、夏蝉が落ちるのを見て不吉に思い、共に逃げようと誘ったのに、ある愚かな亀王は聞き入れず、象に踏み殺されたという。(2002/1/8)
No.0152-62(34a)
古に菩薩が鸚鵡王だった時、世を厭い位を棄てたという。(2002/1/9)
No.0152-63(34a)
古に菩薩が鴿王だった時、網で群ごと捕らえられた。しかし仏の戒めに従い節制して瘠せ細り、隙間から逃れたという。(2002/1/9)
No.0152-64 仏説蜜蜂王経(34b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で弟子たちへ、仏事に精進すべきであると教えられ、その例として古に一切度王如来の弟子だった、精進弁と徳楽正の故事を説かれた。徳楽正は仏の教えに従い修行しながら、どうしても睡眠を克服できずにいたので、精進弁が蜂王に化けて彼を鞭撻し、開悟へ導いたという。(2002/1/15)
No.0152-65 仏以三事笑経(35a)
釈尊が阿難の問に答え、なぜ魚売りの老人を見て笑ったか教えられた。(2002/1/16)
No.0152-66 小児聞法即解経(35b)
古にある比丘が読経しているのを聞いて、牛飼の子供が開悟した。しかし彼は虎に殺され、転生して長者の家に産まれた。母親が懐妊したとたん般若経を唱え始め、出産すると元に戻った。この奇瑞を見た比丘たちは、この子が大きくなったら衆生の師になると予言し、その教えを受けると誓った。(2002/1/17)
No.0152-67 殺身済賈人経(36a)
古に菩薩が商人たちと航海していた時、台風に遭い難破しそうになった。そこで彼は海神が死体を嫌うことから、自殺して嵐を鎮めようとしたという。(2002/1/18)
No.0152-68(36b)
古に菩薩が父無子だった時、仏教に深く帰依しており、無道な王に説教して改心させたという。(2002/1/18)
No.0152-69 調達教人為悪経(36c)
古に菩薩が天王だった時、民衆へ正しい仏教を広めていた。しかし調達も魔天王となり、欲するまま悪を行っても良いと教えていたという。(2002/1/18)
No.0152-70 殺龍済一国経(37a)
古に菩薩が篤信者だった時、ある大王が邪教を好み、龍の跋扈で国が乱れていた。これを見かねた菩薩は、自分が獅子になり、弟が象になって、ついに龍と刺し違えたという。(2002/1/19)
No.0152-71 弥勒為女人身経(37b)
古に菩薩が帝釈天だった時、友の弥勒が富家の妻に転生し、仏道を忘れていたので、商人に化け教導したという。(2002/1/19)
No.0152-72 女人求願経(38a)
古に菩薩が女人だった時、悋気な夫の妻となり、苦労していた。しかし母の懇ろな勧めで仏と会い、三つの優れた願を誓って、みな叶えられたという。(2002/1/19)
No.0152-73 然灯授決経(38c)
古に菩薩が寡婦だった時、仏の授記を得るために、投身までして男に変ろうとしたという。(2002/1/19)
No.0152 六度集経 巻第七 禅度無極章第五
No.0152-74(39a)
ここでは章の始めとして、禅とは何かについて概説している。(2002/1/21)
No.0152-75(39c)
ここではある比丘が坐禅に専念し、開悟した様子が説かれている。(2002/1/21)
No.0152-76(40a)
ここでは仏道を志す菩薩が、どのような動機で禅に入り、どのような心掛けで禅を修めるか詳説している。(2002/1/21)
No.0152-77(41a)
釈尊が出家以前に太子だった時、城から出遊し老人や死人を見て無常を感じた故事が説かれている。(2002/1/22)
No.0152-78(41b)
釈尊が太子として産れた時、転輪聖王か仏陀になると予言された。そこで王は三時殿を建て歓楽の限りを尽くしたのに、太子は無常を感じ出家してしまった。(2002/1/23)
No.0152-79(42a)
ここでは太子が成道し、釈迦如来となった時の様子が説かれている。(2002/1/25)
No.0152-80(42b)
釈尊が禅定に入っていた時、目の前を五百台の車が通ったのに、全く気付かなかったと聞いて、婆羅門の胞罽が賞賛した。(2002/1/25)
No.0152-81(43a)
釈尊が古に常悲菩薩だった時、世が無仏であることを常に悲嘆していた。そして天人の勧めに従い、一心に仏の所在を求めていたところ、あるとき仏が飛来し教えを授けてくれた。しかしふと気付くと仏は姿を消し、どこから来たのか全く分からなかったという。(2002/1/26)
No.0152-82(43c)
古に題耆羅と那頼という名の二菩薩が、国民の非道を嘆いていた。そこで二人はわざと争うふりをして日の出を止め、彼等の反省を促したという。(2002/1/26)
No.0152 六度集経 巻第八 明度無極章第六
No.0152-83(44b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で鶖鷺子の問に答え、古に菩薩が尼呵遍国の太子だった時の故事を説かれた。尼呵遍国の祖父王は、天上に昇ることを夢見て、梵志に騙され邪道へ陥っていた。これを知った孫の太子はその梵志を論破し、祖父王に説いて仏教へ帰依させたという。(2002/1/28)
No.0152-84 遮羅国王経(46b)
古に菩薩が遮羅国の太子だった時、容貌が醜かったため、妃の月光に逃げられてしまった。しかし彼は元来このことを予測しており、妃の国で色々画策して近隣の七国と婚姻を結ばせ、国の繁栄に大きく寄与したという。(2002/1/29)
No.0152-85 菩薩以明離鬼妻経(47b)
古に菩薩が青年だった時、親が結婚させようとしたら、色欲の禍を畏れて家出した。それから諸国を巡り色々誘惑されても、色欲に囚われることはなかったという。(2002/1/30)
No.0152-86 儒童受決経(47c)
古に菩薩が儒童という名の梵志だった時、学問成就し帰国したところ、定光如来が訪れると聞いた。そこで彼は仏へ散華し供養に努めたことから、九十一劫の後、能仁如来になると受決されたという。(2002/1/31)
No.0152-87 摩調王経(48b)
釈尊が無夷国にいた時、ふと微笑されたので、阿難がその意味を尋ねたところ、古の摩調王の故事を説かれた。彼は転輪聖王となって善政を布いた後、末世に再び南王として天上より降臨し国を治めた。諸天は皆これを称えたので、帝釈天が天上へ招聘し歓楽を尽したにもかかわらず、彼はそれを棄て去り衆生教化の志を貫いて帰国したという。(2002/1/31)
No.0152-88 阿離念弥経(49b)
釈尊が舎衛国の優梨聚中にいた時、比丘たちが昼食後に講堂へ集まり、無常について議論していた。それを釈尊が耳にして彼らを誉められ、古の拘猟王の時に阿離念弥長者が無常を感じて出家し、弟子たちを教え導いた故事について説かれた。(2002/2/1)
No.0152-89 鏡面王経(50c)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、比丘たちが梵志等の議論を聞いて不毛に思い、そのことを報告した。そこで釈尊は異学者たちの議論とは、群盲が象を撫でるようなものであるとして、古の鏡面王の故事を説かれた。(2002/2/2)
No.0152-90 察微王経(51b)
古に菩薩が察微という名の大王だった時、お忍びで街へ出たら、靴屋の翁に王様ほど楽な者はいないと言われた。そこで王は翁を酔わせ眠ったところで宮中へ連れ去り、戯れに玉座へ坐らせ国政を任せた。すると翁は疲労困憊し、眠りから醒めるやいなや前言を撤回したという。(2002/2/2)
No.0152-91 梵摩皇経(51c)
釈尊が舎衛国で比丘たちへ、善行に励むよう勧められた。これにちなみ前世で七年慈悲行を修めた功徳から梵摩皇となり、さらに天上などを転生した経歴について説かれた。(2002/2/2)
No.0153 菩薩本縁経 上・中・下巻 支謙訳 ⇒【目次】
《参考文献》
『国訳一切経 印度撰述部36 本縁部八 大荘厳経 菩薩本縁経』
美濃晃順訳 大東出版社1998(1930)No.0153 菩薩本縁経 巻上
毘羅摩品第一(52b)
古に地自在王という暴君がいた時、高徳の婆羅門が国政を輔佐し、事なきを得ていた。しかし彼が年老いて病のため急死したので、諸臣は替りに嫡子である毘羅摩を推挙した。招きに応じた毘羅摩は無常について説教し、王の悲嘆を除く。そこで正式に輔相として国政を見るよう依頼され、徐々に国民が善法に親しむよう導いて行った。そうして彼らの心が正しくなったのを認めたところで、仏道がひろく流布するように、慈悲心から大施を執行したという。(2002/2/8)
一切施品第二(55a)
古に一切施王が仁政を布いていたところ、国民の流失を恐れた隣国から侵略を受けることになったので、人々に危害が及ばないよう自ら深山へ隠遁した。ところがその令名を聞いて他国から流れてきた貧乏な老梵志を憐れみ、王は自分に懸かった賞金を彼へ与えようとした。そうして自ら縛に付き、自国を侵した隣国王の前に出た。その時、問われるままに泰然自若として自らの心境を説いたところ、彼の王は慙愧して玉座を退き、一切施王へ譲位したという。同様な故事が『六度集経 巻第二 布施度無極章 波耶王経』(No.0152-11)にも見える。(2002/2/10)
一切持王子品第三之一(57c)
※巻中へ続く。No.0153 菩薩本縁経 巻中
一切持王子品第三之餘(58c)
古に一切持王子が布施行に励んでいたところ、敵国の策により偽婆羅門へ国宝の白象を恵んでしまった。このため臣民が怒り、父王の許しを得て妻子を連れ深山に隠棲していた。その時、遠国から老婆羅門が訪れて、二人の奴婢が欲しいと願ったので、妻に黙って二子を与えた。また帝釈天も婆羅門に変身し、試みに妻を与えるよう求め、さらに両眼まで奪おうとした。王子はすべて快諾し、菩薩行を修める者の志が、いかに凡慮を超えたものであるか証した。同様の故事が『六度集経 巻第二 布施度無極章 須大拏経』(No.0152-14)にも見える。(2002/2/13)
善吉王品第四(61b)
古に善吉王が菩薩行を志し、努めて衆生へ布施していた。これを快く思わなかった魔王の波旬が姿を現し、偽って布施をする者は地獄へ落ちると言った。しかし王は少しも怯まず、「願我従今独為施主常堕地獄。令諸衆生悉為受者生於天上」と答えて菩薩の心意気を示した。(2002/2/15)
月光王品第五(62c)
古に月光王が宮殿の財産を全て開放するという大施を行った時、ある老婆羅門が欺瞞であると勘違いして大いに怒った。そこで王の身命を惜しまぬ志を逆手に取り、頭を自分に布施するよう求めた。月光王は少しも動じず、蛇が脱皮するようなものだと言って、群臣の制止も聞かず首を与えることにした。しかし怒り狂った婆羅門は、王の頭髪を樹に縛り、誤って枝を切り落としただけで、首を得たと勘違いし、満足して帰った。(2002/2/16)No.0153 菩薩本縁経 巻下
兎品第六(64c)
古に菩薩が兎王だった時、兎たちのために仏法を説いていた。たまたまこれを聞いた婆羅門がひどく感嘆して、それから彼らと暮らすようになった。しかしこの時、旱のため食物に乏しく、婆羅門は遠方へ逃れようと考え別離を告げた。兎王はこれを聞いて悲しみながらも、餞別の供養をしようと申し出る。翌日、焚火をおこしてもらうと、すかさず彼は婆羅門に食べてもらうため、自身を火へ投じてしまった。驚いてすぐさま助け出したところすでに兎王は息絶えており、これを嘆いた婆羅門は、後世で師事するため彼を抱いてともに火中へ身を投げた。ここでは『六度集経巻三』など、多くの経典に見える兎の本生物語の、原初的な類話が説かれている。(2002/2/19)
鹿品第七(66c)
古に菩薩が金色の鹿王だった時、命からがら川で溺れた男を救い上げた。しかし男は家に帰ると悪心が起って、王の所へ行き彼の棲家を教える。これを聞いた王はさっそく狩に出て、男が鹿王を指差すやいなや、忘恩の因果応報のため両腕が落ちてしまった。驚いてその理由を質し顚末を聞くと、王は感嘆して以後鹿王に師事することを誓った。ここでは『六度集経巻六』(0152-58)など、多くの経典に見える鹿王の物語が説かれている。(2002/2/23)
龍品第八(68b)
古に菩薩が龍王だった時、金翅鳥が来襲し龍たちは恐怖に慄いた。そこで彼は皆のため単身でこれに向かい、諄々と仏の教えを説いた。すると金翅鳥も害心が消え去り、以後龍たちを襲わないと約束し、難を逃れることができた。ところが今度は悪人が来て、国王へ献ずるため龍王の皮を剥ぎ取ろうと企てた。彼はすぐに慈悲心を起し、これを哀れに思って苦痛に耐え忍んだ。(2002/2/24)
No.0154 生経 五巻 竺法護訳 ⇒【目次】
《参考文献》
『国訳一切経 印度撰述部39 本縁部十一 出曜経 法句譬喩経 生経』
江田俊雄・赤沼智善・西尾京雄訳 大東出版社1984(1930)No.0154 生経 巻第一
仏説那頼経 第一(70a)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある氏族出身の比丘が、残してきた美人妻の再婚話を聞いて、恋慕のあまり家へ帰ってしまった。これを知った釈尊は、その比丘を呼んで説教し愛欲から目覚めさせ、古に彼が方迹王だった時、同様に那頼仙人から教化を受けた故事について説かれた。(2002/3/5)
仏説分衞比丘経 第二(70c)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある比丘が乞食して娼家へ行き、歓待を受けて入り浸りになった。そこで釈尊は、彼と娼婦が前世では猿と鼈であり、相思の仲だった故事を説かれた。(2002/3/6)
仏説和難経 第三(71c)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、和難が人物を確かめず妄りに出家を許していたところ、ある博徒に騙され、持物を掠め盗られてしまった。釈尊はこれを聞いて、彼が前世でも同様に人を盲信し、裏切られた故事を説かれた。(2002/3/7)
仏説邪業自活経 第四(72c)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、和難が俗事ばかり説いて、仏法を少しも論じなかった。釈尊はこれを叱り、古に彼が愚かな仙人だった時のことを説かれた。(2002/3/9)
仏説是我所経 第五(73b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある長者がひどく吝嗇で、財産を貯めこみ何にも使わず死んでしまった。そこで釈尊は、彼が前世では我所という名の鳥であり、他者が木の実を取るたびに鳴きわめいていた故事を説かれた。(2002/3/9)
仏説野鶏経 第六(74a)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で比丘たちへ、古に大叢樹下で孕んだ雌猫が妻になると騙し、雄鶏を喰らおうと企んで、果たせなかった故事を説かれた。(2002/3/10)
仏説前世諍女経 第七(75a)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、調達(提婆達多)が如来を誹謗した。これを聞いた釈尊は、前世からの因縁であり、古に老梵志が娶ろうとした美女を若者に奪われ、深く怨んだ故事を説かれた。(2002/3/13)
仏説堕珠著海中経 第八(75b)
釈尊が王舎城の霊鷲山にいた時、比丘たちが講堂で、無数の劫に及ぶ精進を経て仏が成道されたと称えていた。釈尊はこれを聞き、古に菩薩が国民の貧窮を憐れみ、海中の宝珠を探しに出掛けた故事を説かれた。『六度集経巻一』(0152-09)にも類話が見える。(2002/3/16)
仏説旃闍摩暴志謗仏経 第九(76a)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、王宮で暴志比丘尼が仏の子を妊娠したと偽った。国王が怒って処刑しようとしたところ、釈尊は彼女を庇い、この一件が古に真珠の買付を巡る、仏の前身とある女の争いに起因すると説かれた。(2002/3/16)
仏説鼈獼猴経 第十(76b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、比丘たちがなぜ暴志比丘尼は仏を誹謗したのか議論していた。そこで釈尊は、彼女が古に鼈の妻であり、嫉妬から夫の友人だった猿王の、生肝を取ろうとした故事を説かれた。『六度集経』巻四(0152-36)に猿と鼈の類話が見える。(2002/3/17)
仏説五仙人経 第十一(77a)
釈尊が王舎城で比丘たちへ、古に四仙人とその侍者が山中で隠棲していた故事を説かれた。侍者がある時、疲れ果て四仙人へ食事の給仕を怠ったところ、ひどく叱られ絶望したあげく自殺してしまった。彼は転生して占師の子となり仲間と遊んでいたら、ある梵志に王相があると認められ、その予言通り王位へ就いた。梵志は功を誇り、王や群臣を蔑ろにしたせいで国から追放されてしまう。ところがある偶然から王が前世で履いていた寶屐を見つけ、四仙人に会い転生の経緯を聞いて奏上し、ようやく許されたという。(2002/3/18)No.0154 生経 巻第二
仏説舅甥経 第十二(78b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で比丘たちへ、古に王宮で織物をしていた、ある叔父と甥の故事を説かれた。彼らは宝物に心を奪われ、地面を掘り蔵へ忍び込む。成功もつかの間で、再び盗みに行ったとき、叔父が見つかり即座に馘られた。甥はその骸を弔うため、危険を冒し何度も王城へ入った。それから王が企てた謀の裏をかいて、王女の部屋に忍び込んで妊娠させ、男児が産れる。とうとう最後は王も彼の智謀を認め、正式に娘を嫁がせた。(2002/3/20)
仏説閑居経 第十三(79b)
釈尊が拘留国で梵志の長者へ、供養するに当らない沙門について説かれた。(2002/3/21)
仏説舎利弗般泥洹経 第十四(79c)
釈尊が王舎城の迦蘭陀竹園にいた時、舎利弗が病のため急死した。これを聞いた阿難が悲しみのあまり、今後修行に身が入らないと嘆いたので、釈尊はたしなめて無常の法を説かれ、むしろこれから一層修身し、仏法へ帰依すべきであると教えられた。舎利弗逝去の模様を述べた経典のひとつで、『雑阿含経 巻二十四』(0099-0638)等に類話が見える。(2002/3/21)
仏説子命過経 第十五(80c)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある人が一子を亡くし発狂していたので、愛別離の理を説き世の無常を悟らせた。(2002/3/21)
仏説比丘各言志経 第十六(80c)
釈尊が音声叢樹下にいた時、舎利弗の所へ高弟たちが集まり、各自が得意の法について語り合った。それから釈尊へ経緯を報告したところ、たいへん誉められ、各々の説にまったく誤りはなかったと保証し、さらに自説を披露された。『中阿含経 巻四十八 牛角娑羅林経』(0026-184)や、『増壹阿含経 巻二十九』(0125-37・03)などに類話が見える。(2002/3/24)
仏説迦旃延無常経 第十七(82c)
釈尊が阿和提国にいた時、迦旃延が比丘たちに世の無常を説いた。(2002/3/24)
仏説和利長者問事経 第十八(83b)
釈尊が那難国の波和奈樹間で和利長者と問答し、世間は虚仮であると悟らせた。(2002/3/24)
仏説仏心総持経 第十九(84a)
釈尊が檀 国 で安詳摩夷亘天・浄居身天子などへ、仏心を総持する(忘れない)方法について解説された。末尾には真言も掲載されている。(2002/3/26)
仏説護諸比丘呪経 第二十(84c)
釈尊が摩竭提国の羅閲祇城東である比丘へ、護身のための真言を説かれた。(2002/3/26)
仏説吉祥呪経 第二十一(85a)
釈尊が舎衛国で阿難へ、「神呪の王」の真言を説かれた。その時ヒマラヤ山に棲む大女神の設陀憐迦醯が、恐怖のあまり総毛立ったという。(2002/3/26)No.0154 生経 巻第三
仏説総持経 第二十二(85c)
釈尊が摩竭提国で成道された時、三千大千世界から一万の菩薩が仏前に集った。これに因んで釈尊は諸菩薩のため、諸仏の総持法について説かれた。(2002/3/29)
仏説所欣釈経 第二十三(86b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、所欣釈子が時節を弁えず乞食に出ていた。そこで阿難ら三人が優しく注意したのに、彼は暴言を吐いた。釈尊はこの一件を聞き前世も同様で、古に四人が猟師から鹿肉をもらった故事を説かれた。(2002/3/30)
仏説国王五人経 第二十四(87a)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、舎利弗ら四人が集い各自得意の法について語り合った。これを聞いた釈尊は前世も同様で、古の大船王に五人の王子がおり、各々能力を競い合った、という故事を説かれた。最後には福徳の備わった王子が最も優れて王位へ就き、その福徳王こそ釈尊の前身であった。(2002/3/30)
仏説蠱孤烏経 第二十五(88c)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で比丘たちへ、提婆達多と拘迦利が互いを誉めあうのは前世も同様で、古に狐と烏が誰も葬らない黄門(宦官)の屍を喰らいつつ、相互に褒め合った故事を説かれた。(2002/3/30)
仏説比丘疾病経 第二十六(89b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある比丘が病気で苦しんでいたのに、誰も看病する者がいなかった。そこで釈尊は自ら見舞に出かけ、彼を介抱された。(2002/3/31)
仏説審裸形子経 第二十七(90a)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある国の王子だった裸形の外道が、姉妹を四人派遣して、仏を試そうとした。しかし、かえって彼女たちは教えを授けられ、仏法へ帰依してしまった。これに因んで釈尊は、古に迦隣王が阿脂王を滅ぼすために四女を派遣し、返り討ちに遭った故事を説かれた。(2002/4/2)
仏説腹使経 第二十八(91b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で比丘たちへ、米価が騰貴し人民が飢えているので諸国へ遊行すると告げられた。これを聞いた阿難は波斯匿王を尋ね、僧団に供養するよう説得した。三月にわたる布施を受けた後で釈尊は、阿難がこのような功徳を積んだのは前世も同様で、古の梵達王の時にある梵志が乞食に来た故事を説かれた。(2002/4/3)
仏説弟子過命経 第二十九(92b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある比丘が愛弟子の夭折に遭って、悲嘆に暮れていた。そこで釈尊は、その弟子が天上に生まれ、聖諦を理解し成道したと教え、彼の憂いを解かれた。これは前世も同様で、ある仙人が愛した象を喪い、嘆き悲しんでいたのを、帝釈天が救った故事を説かれた。(2002/4/4)No.0154 生経 巻第四
仏説水牛経 第三十(93c)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で比丘たちへ、古に水牛王が水辺にいて、猿から辱められても耐え忍び、決して仕返ししなかった故事を説かれた。(2002/4/7)
仏説兎王経 第三十一(94b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で比丘たちへ、有名な兎王の故事を説かれた。古に山中へ隠棲した仙人と兎たちが仲よく暮らしていたところ、寒さが厳しくなり彼は山を降りることにした。兎王はこれを思い留まらせるため、自身を火中へ投じて仙人に供養したという。ただしここでは他の獣たちが見えず、月へ昇る結末にもなっていない。『六度集経 巻三 布施度無極経』(0152-21)や『菩薩本縁経 下』「兎品第六」(0153)などに類話が見える。(2002/4/7)
仏説無懼経 第三十二(94c)
ここでは古にいたある高徳な修行者の、行跡について述べている。(2002/4/8)
仏説五百幼童経 第三十三(95a)
釈尊が波羅奈国にいた時、五百人の幼児が河原で遊んでいたら、増水に遭い溺死してしまった。そこで釈尊は群集へ、これは薄幸な彼らの宿命であり、すでに兜率天へ転生しているから、心配するには及ばないと説かれた。(2002/4/8)
仏説毒草経 第三十四(95b)
古にある国で大樹が鳥の齎した毒草で枯れそうになり、天神の助言により通行人へ埋蔵金を与えて、猛毒の根を除いたという。後半部分では、この譬の意味も説き明かされている。(2002/4/9)
仏説鼈喩経 第三十五(96a)
古に体長六十里にも及ぶ鼈王が海辺で寝ていたら、隊商がその上で炊事を始めた。鼈王は身を焼かれる苦痛に耐えかねて海へ潜り、多くの人々が溺死してしまったという。後半部分では、この譬の謎解きがされている。(2002/4/10)
仏説菩薩曾為鼈王経 第三十六(96a)
古に菩薩が鼈王だった時、海辺で寝ていたら行商人が背中で炊事を始めたので、熱くてたまらず海へ入り火を消そうとした。潮が押し寄せ驚いて泣き叫ぶ彼らを哀れに思い、王は危害を及ぼすつもりはないと教えてやったという。(2002/4/11)
仏説毒喩経 第三十七(96b)
古に毒を商う家があり国中で嫌われ、遠方を尋ねてようやく嫁を迎えた。しかし彼女は正直な人柄で、嫁いだ後に姑から毒殺を命じられても決して応じず、最後は忌まわしい家業を棄てさせたという。(2002/4/12)
仏説誨子経 第三十八(97a)
古に母と二人暮らしで素行の悪い青年がおり、母から懇ろに教誨され、前非を悔い善行に励むようになった。国王はその評判を聞いて大臣に抜擢し、ある国と和睦を結ぶための使者として派遣した。首尾よく大任を果たした彼は、さらに厚く褒賞を賜ったという。(2002/4/13)
仏説負為牛者経 第三十九(98a)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、大牛が如来を見て暴れ、たずなを切り駆け寄ってきた。釈尊はただちにその宿命を知り、阿難へ古にある転輪聖王の頃、借金で身柄を拘束されていた男の故事を説かれた。(2002/4/15)
仏説光華梵志経 第四十(98c)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で阿難へ、比丘たちが古に維衛仏の世で、光華梵志の教えを受けた功徳により、いま仏弟子となり神通力を得たと説かれた。(2002/4/15)
仏説変悔喩経 第四十一(99a)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある居士が世の無常を思って出家し山中で修行していた。しかし彼は努めて精進しながら悟を得られず、還俗しようと考えた。樹神はこれを惜しんで比丘尼に化け空について説いたところ、彼はすぐに悟った。(2002/4/15)
仏説馬喩経 第四十二(99c)
古に長者が良馬を得て乗ろうとしたのに、暴れて抑えられなかった。彼は怒り家へ帰ってから、馬を鞭打ち餌も与えなかった。反省した馬は次から長者に逆らわず素直に走ると、適宜飲食させてもらい体力を回復できた。これは譬であって、仏が弟子を導く際もこのように鞭撻すると説かれている。(2002/4/16)
仏説比丘尼現変経 第四十三(100a)
古に差摩と蓮華鮮比丘尼が川へ水浴に来たところ、ならず者等が見て強姦しようとした。そこで彼女は眼を抉り出し、愚か者たちの色欲を誡めた。(2002/4/18)
仏説孤独経 第四十四(100b)
古にある孤児が独力で耕作し、長じて多くの収穫を得るようになり、それを皆へ分け与えていた。そのうち多くの人々が彼の近くへ集まり、ひとつの街ができたという。(2002/4/18)No.0154 生経 巻第五
仏説梵志経 第四十五(100c)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、朝早く托鉢に出てある梵志の家へ行ったところ、心からの歓待を受けた。食後に彼の家族へ詳しく仏法を説くと、即座に四聖諦を悟るに至った。そこで釈尊は比丘たちへ、古にこの梵志が所守という名で、国王から望みのままに褒美を賜った故事について説かれた。(2002/4/20)
仏説君臣経 第四十六(101b)
釈尊が王舎城の霊鷲山で比丘たちへ、如来が常に慈しんでいるにもかかわらず、提婆達多は遠い過去より害心を懐いて近付いてきたと説かれた。そこで古の波羅奈城に大猶という暗君と、密善財という賢臣がいた故事を説かれた。(2002/4/21)
仏説拘薩羅国烏王経 第四十七(102a)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、波斯匿王の四将が命を受けて遠征に出ようとしていた。釈尊は途中で挨拶に訪れた彼等を称賛して、古の沙竭国で同様に、烏王の命を受け鹿肉を求めに行った四烏の故事を説かれた。(2002/4/21)
仏説蜜具経 第四十八(102c)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある婆羅門が仏法を疎んじていたので、これを憐れみ自ら趣いて説教されたところ、直ちに善心を起こし帰依した。そうして彼は家へ帰り鉢に蜜を盛って仏へ捧げた功徳により、二十劫を経て蜜具という名の辟支仏になると授記された。またこれは前世からの因縁であり、古にある婆羅門が仙人へ蜜を施した故事について説かれた。(2002/4/22)
仏説雑讃経 第四十九(103b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある比丘尼の子が妄りに俗人と交わり戒律を乱したので、親から厳しく叱られた。釈尊はこれを聞いて古も同様であり、過去世で人家の近くに巣を作ることを好んだ烏の故事を説かれた。(2002/4/22)
仏説驢駝経 第五十(103c)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、遠方から新学が来てある比丘を騙し、衣鉢を盗んで夜逃げした。これを聞いた釈尊は、前世も同様で、古に草盧駝という名の梵志が、ある奴婢に騙された故事を説かれた。(2002/4/23)
仏説孔雀経 第五十一(104b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、比丘たちが集まって、仏が外道を滅ぼす徳について讃嘆していた。これを聞いた釈尊は、前世も同様で、古に智幻国の人々が烏を珍重していたところ、ある商人が持ってきた孔雀を見たとたん、もうだれも烏などありがたがらなくなった故事を説かれた。(2002/4/24)
仏説仙人撥劫経 第五十二(105a)
釈尊が王舎城の霊鷲山にいた時、錦尽手長者が舎利弗の教えを受けて、阿羅漢へ至らなくとも仏法に精通していた。比丘たちが不審に思ったので釈尊は、在家でも法に通じることができ、古に撥劫仙人が王女に懸想し神通力を失ったところ、王に教えられて回復した故事を説かれた。(2002/4/26)
仏説清信士阿夷扇持父子経 第五十三(105c)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある居士の子が父親と反目して外国へ行き、帰ってこなかった。これを聞いた釈尊は、前世も同様で、古に阿夷扇持という名の猿回しが、ある時ひどく折檻したせいで、猿が山へ逃げ去った故事を説かれた。(2002/4/27)
仏説夫婦経 第五十四(106b)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある居士が美人の妻を大切にせず、婢と睦み合ったので、妻が出家した。後でその婢が死に彼が復縁を望んでも、彼女は決して応じなかった。これを聞いた釈尊は、前世も同様で、古にある梵志の妻だった蓮華が、夫から蔑ろにされた故事を説かれた。(2002/4/27)
仏説譬喩経 第五十五(107a)
ここでは九種の経典がまとめて説かれ、各々の内容は次のようになっている。 [1]油売の女が授記される。[2]維耶離国の長者が仏を招請する。[3]首達が若い惟先を誹謗する。[4]老梵志が青年に後れをとる。[5]善知識の譬。[6]諸天は仏に及ばない。[7]狗の転生。[8]宝瓶の譬。[9]天上へ生まれる四事。とりわけ[3]において、釈迦如来(首達)が前世で阿弥陀如来(惟先)の徳を妬んで誹謗し、地獄へ落ちた故事が説かれており興味深い。(2002/4/30)
No.0155 仏説菩薩本行経 上・中・下巻 失訳 ⇒【目次】
No.0155 仏説菩薩本行経 巻上(108c)
[1]釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、比丘たちの怠惰な有様を見て、阿難へ精進の大事さを教え、古にある貧者が蜜を体に塗り鳥獣へ捨身しようとした故事を説かれた。
[2]釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、大金持ちの摩訶男摩が病死し、吝嗇で子もなく財産は没収された。これを波斯匿王から聞いた釈尊は、彼のように貪欲で地獄へ落ちないよう、古に迦那迦跋弥王が飢饉の際に、自分の食物まで布施した故事や、跋摩竭提夫人が自らの乳を割いて、飢えた女へ与えた故事などを説かれた。
[3]釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある婆羅門が仏に敬意を表し礼拝したので、この功徳により二十五劫の後、辟支仏になると授記された。
[4]釈尊が欝単羅延国にいた時、ある牧人が草を編んで天蓋とし仏に随行したので、この功徳により十三劫の後、辟支仏になると授記された。
[5]釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、師質大臣が舎利弗から説教されて無常を悟り、すぐに弟へ財産を譲り出家した。ところが弟は賊を使い殺害しようと企んだので、師質は腕を断ち切って命乞いし聞法したところ、解脱することができた。そこで釈尊は、古に婆羅達王が怒って辟支仏の腕を切り、後で懺悔した故事を説かれた。
[6]釈尊が阿耨達池で五百阿羅漢へ前世について語るよう勧めたところ、婆多竭梨は古に定光如来の遺法が絶えようとしていた時、知らずに仏塔を掃除した功徳で、光音天に生まれたと説いた。
[7]釈尊が初めて成道した時、衆生へ説法しても無意味であり、すぐに涅槃へ入る方が良いと思惟された。そこで梵天がこれを制止し、布教を促すため釈尊が前世において法のため捨身した故事を説いた。古に度闍那謝梨大王は婆羅門から法を聞くため、体の肉を抉りとって千灯をともしたという。(2002/5/11)No.0155 仏説菩薩本行経 巻中(113c)
[1]釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で須達へ、布施の功徳に大小あり、古の賢明な婆羅門だった比藍が、どのように盛大な布施を行ったか詳しく説かれた。しかしそんな布施も聞法の功徳には及ばないとされ、この教えを受けた須達は即座に阿那含果へ至った。ところがその後、家で灯をともし夜禅していたところ、波斯匿王の禁令に触れ投獄されてしまう。しかし諸天が訪れるなどの奇瑞が起きて釈放され、ついには王も非を悟り彼に陳謝した。(2002/5/13)
[2]釈尊が羅閲祇の比留畔迦蘭陀尼波僧伽藍にいた時、ある婆羅門が悪龍を調伏し、豊作を齎していた。しかし仏の入国以来、自ずと衆生が教化され、災害も起らなくなった。そこでついつい人々が、以前の恩義を忘れ軽んじたせいで、彼は怒って龍に化身し国土を滅ぼそうと願った。再び悪龍により甚大な被害が出たので、阿闍世王は釈尊へ調伏を依頼した。すぐに出向いて龍を誡め仏法へ帰依させたところ、悪鬼たちは毘舎離国へ逃げ込み、国民が疫病で苦しむようになった。急いで毘舎離国王は敵国へ使者を遣わして仏の来駕を懇望し、摩竭提国の許可も取りつけ最高の国賓として一行を迎えた。こうした歓待を受けたことに因み、古に修陀梨鄯寧転輪聖王の時、末っ子の太子が出家し辟支仏となった故事が説かれている。No.0155 仏説菩薩本行経 巻下(119a)
(前巻より続く)そこで釈尊が毘舎離国へ行くと、悪鬼等は摩竭提国へ逃げたので、変化して頭を二分させ両国を同時に見守ったところ、ついに悪鬼は悉く海へ去った。これに因んで釈尊は、古に梵天大王の太子だった大自在天が、人々の疫病を癒すため自らの血を採り、さらに両眼まで摘出した故事を説かれた。(2002/5/19)
[1]釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園にいた時、ある貧乏な婆羅門が供養する物を持たず、ただ敬意を込め一偈よんだだけで、辟支仏になると授記された。それは過去世も同様で、古に婆摩達多王の時、貧しい婆羅門が王の愛する白象を讃えた故事について説かれた。
[2]釈尊が波羅奈国の精舎で輔相の婆羅門とその夫人から招請を受け、食事が終って説教したところ、二人はたちどころに悟って出家した。それは前世も同様であり、古に婆羅摩達王の輔相だった比豆梨が、龍王の夫人から請われて、説教に赴いた故事を説かれた。(2002/5/21)
No.0156 大方便仏報恩経 七巻 失訳 ⇒【目次】
No.0156 大方便仏報恩経 巻第一
序品 第一(124a)
釈尊が王舎城の耆闍崛山にいた時、阿難がある梵志から瞿曇は言行一致せず、父母に忘恩の行いをしたと非難された。そこで釈尊へ、仏法では父母に孝養する教えがあるかと尋ねたところ、仏は微笑し顔面から四方の世界へ無量光を放たれた。(2002/5/29)
孝養品 第二(127b)
如来は輪廻転生の中で、一切衆生の父母となり、また一切衆生の子ともなった。その際、常に難行苦行し、捨てがたきを捨てている。古に波羅奈国で羅闍王の時、羅睺大臣が弑逆を謀り、王を殺しその子の命まで奪おうとした。これを知った末子の小王は、慌てて妻子を連れ隣国へ逃亡しようとしたところ、道を間違え糧食が無くなった。このままでは三人共倒れになり、王は苦悩の末に夫人を殺し父子で肉を分けようと考えた。しかし須闍提太子が反対し、自分の肉を割き父母に食べさせた。その結果、王は隣国から兵力を借りて羅睺大臣を討伐し、自国へ還ることができた。釈尊は前世で、このように父母へ孝養したと説かれた。(2002/5/31)No.0156 大方便仏報恩経 巻第二
対治品 第三(131a)
そのとき仏会に七十大菩薩が集っており、一菩薩の名前を称名するだけで、死後解脱できると説かれている。そうして解脱した衆生は、他に対し慈悲心を持って、人の嫌がることを避け布施に努めるようになる。
菩薩は久遠の昔、転輪聖王となり衆生への布施に努めた。ある時、王は大旱魃に遭い、人民が相食む惨劇を見て、家財をなげうち救済に努めた。しかしどのように物施をしても、生死の苦から助かる術はないと考え、真実の仏法を求めようとした。ようやく高徳の婆羅門を探し出して教えを乞うと、自身に千本の灯をともして供養するなら、法を説いても良いと言われた。王は喜んで体を穿ち、法のため婆羅門に千灯の供養をすると、「夫生輙死 此滅為楽」という半偈を授けられた。この苦行が帝釈天の耳へ入り、王を訪ね覚悟のほどについて尋ねた。そこで王は自分が真実の悟りを得られるなら、この傷は平癒すると誓ったところ、たちどころに快復したという。類話は『仏説菩薩本行経』巻上(No.0155)などに見える。(2002/6/5)
発菩薩心品 第四(135b)
釈尊は喜王菩薩の問に答え、知恩とは菩提心を起すことであり、報恩とは衆生に菩提心を起させることであると説かれた。さらに自身が初めて菩提心を起したのは、久遠の昔に煩悩が重く八大地獄へ落ち、ある罪人が苦しむのを見て慈悲心が芽生えた時であるとされた。(2002/6/6)No.0156 大方便仏報恩経 巻第三
論議品 第五(136b)
釈尊は母親の摩耶夫人に説法するため、九十日間忉利天へ赴いていた。それから閻浮提へ帰り大衆の前に姿を見せると、七宝塔が地中から涌出したので、弥勒菩薩がその由来を尋ねた。そこで釈尊は、前世で波羅奈国の忍辱太子だった時、父王の重病治癒のため命を捨て、自身の両眼と骨髄を提供したので、人々が七宝塔を建立し供養した。それがこの世で成仏した自分の前に現れた、と説かれた。
次に釈尊は、摩耶夫人が仏を産んだ因縁について説かれた。古に毘婆尸如来の時、波羅奈国に南窟仙人がいて、鹿の産んだ女の子を引き取って育てた。彼女は美しく成長し、大王から求婚され、王宮へ入って蓮華を産む。その花の下に五百人の男児がおり、一騎当千の勇者に成長して隣国を討伐した。しかしつくづくこの世の無常を悟り、出家して辟支仏となった。彼等を供養した功徳で、夫人は釈尊を産んだという。また、夫人が鹿から生まれた因縁にも、触れられている。
次に釈尊は阿難の問に答え、屎尿の中で蠢く人の如き虫の因縁について説かれた。また、均提沙弥が出家後すぐに道果を得た因縁にも触れられた。(2002/6/13)No.0156 大方便仏報恩経 巻第四
悪友品 第六(142b)
釈尊は阿難の問に答え、提婆達多が過去世でどのように仏の邪魔をしたか詳しく説かれた。古の波羅奈国王に善友と悪友という二太子がいて、善友は父母から愛護され、悪友はそれを妬み、兄を陥れようとしていた。善友は国民の生活苦を見て、国庫を挙げ支給しようと試みた。しかし物資はすぐに尽き、皆が潤うわけではなく、新たに財宝を得て人々へ施そうと考えた。そこで大臣に諮ると摩尼宝珠が有れば、衆生の欲求は悉くかなうと知り、大海へ出て龍王を訪ねようと志した。辛苦の末、福徳があって首尾よく龍王の宮殿へ至り、快諾を得て摩尼宝珠を手にする。しかしここで悪友太子の陰謀にはまり、両眼を潰され宝珠を奪われてしまった。それから善友は琴を奏で乞食しながら利師跋城へ行くと、王女に見初められ生活を共にする。彼女に自分が太子であると告白し、父母の元へ手紙を出して悪友の悪行を知らせる。そうしてめでたく帰国すると、弟から摩尼宝珠を取り戻し、衆生を潤したという。最後に釈尊は、自らこの経典を「仏報恩方便給足一切衆生」と名付けられた。
次に提婆達多は現世で阿闍世王を唆し、釈尊を殺害しようと様々な陰謀を企てた。ある時は五百頭の酔象を放ったり、またある時は爪に毒を塗って近づいたりした。結局そうした悪業のため、彼は阿鼻地獄へ落ちてしまう。しかし提婆達多の悪行には、釈尊の成仏を速める秘密の方便があり、ただ悪行のため地獄へ落ちたなどと、単純に考えるべきではないと説かれている。(2002/6/21)No.0156 大方便仏報恩経 巻第五
慈品 第七(148c)
釈尊が舎利弗へ、間もなく涅槃に入ると告げたところ、彼は悲嘆の末、如来に先んじて入滅した。大衆がこれを嘆き悲しんだので、釈尊は過去世も同様であり、古に波羅奈国の大光明王が、婆羅門の乞いに応じて、自分の首を授けることにした。その時、第一大臣が王の死を見るに忍びなく、先に自殺した故事を説かれた。
次に摩伽陀国の盗賊五百人が四兵に捕まって、両眼を抉られ深山へ放置された。そこで彼等が苦痛のあまり、南無釈迦牟尼仏と唱えたところ、釈尊が哀れみ負傷を癒されたという。
次に毘舎離国の頑迷な婆羅門が、独子を亡くし発狂したところ、釈尊を見て正気に返った。また琉璃王が釈迦族を滅ぼし、捕虜を穴埋めにしたので、釈尊は神通力でそこを浴池に変えられた。
次に琉璃王が釈迦族を滅ぼし、美女を選び倡伎としてご満悦で帰還した。しかし女達が、釈迦族は争いを好まず故意に負けたと言ったので、王は慙愧し奴隷を呼んで、その手足を切断し墓場へ放置した。その時、彼女たちは苦痛に耐えかねて南無釈迦牟尼仏と唱えたところ、慈雨が降り手足は元に戻った。それから世の無常を思い、華色比丘尼のもとで出家した。比丘尼は弟子たちの生立ちを聞き、自分が経験した辛苦について語り、憍曇弥比丘尼に会って出家し、救いを得たと話した。そこで憍曇弥は一切の女人のため、阿難の口添えにより釈尊へ懇願して、出家を許してもらったと説いた。(2002/6/27)No.0156 大方便仏報恩経 巻第六
優波離品 第八(154b)
その時、大衆の中に下賤の出である優波離の出家を疑問視する者がおり、阿難がその理由を尋ねた。釈尊は如来に平等の大慈悲があり、出自で差別することはなく、また優波離は精進して持律第一の功徳を積んでいると説かれた。そこで大衆のため戒律について話すよう促したところ、優波離は釈尊と問答しつつその意義を明らかにしたいと告げた。以下詳しく三帰(帰依三宝)・五戒・禅戒・無漏戒・波羅提木叉戒等について言及されている。
戒律に関すること細かい問答が展開され、例えば飲酒戒は放逸になって他の四戒を犯すために定めている、などと説かれている。また、五道中の人道・四種人中の男女・殺生しない生業の者以外は受戒に値しないなど、戒律の欠格条項も規定している。ただしその内容には、黄門・二根など、今日から見れば差別としか考えられない、不適切な条件も盛り込まれている。(2002/7/8)
No.0156 大方便仏報恩経 巻第七
親近品 第九(161b)
古にある婆羅門の子が五百人の同伴と外国へ行ったところ、途中に五百人の賊が待ち構えていた。賊の中に知人がいて、偵察の際、襲撃の計画を密告した。婆羅門の子は皆の大罪を畏れ、自分一人が罪を負うためにその男を殺したという。
次に釈尊が竹園精舎にいた時、ある比丘が重病に罹っていた。しかし誰も看護する者がいなかったので、自ら足を運ばれ彼を快復させた。
次に釈尊は、知恩・報恩の四事について言及し、親近善友の例として古に毘婆尸如来の時、波羅奈国にいた堅誓という金色の獅子にまつわる故事を説かれた。彼は聞法を好み、日頃から比丘を敬愛していた。そこである猟師がこの習性を利用し、比丘に化けて接近し矢を放った。それでも堅誓は決して悪心を起さず、激しい苦痛を忍びつつ死んで行ったという。
次に菩薩の知恩・報恩行である、至心聴法・多聞総持・成就智慧について詳しく説かれた。それから如来の三十二相を列挙し、各々の相が成就する因縁も解説されている。最後に阿難の問に答え、この経名を「攝衆善本・大方便・微密行・仏報恩」と定められた。(2002/7/14)
No.0157 悲華経 十巻 曇無讖訳 ⇒【目次】
《参考文献》
『国訳一切経 印度撰述部 経集部五 悲華経・他』
赤沼智善・西尾京雄・中里貞隆・境野黄洋訳 大東出版社1984(1931)No.0157 悲華経 巻第一
転法輪品 第一(167a)
釈尊が王舎城の耆闍崛山で説法中に、弥勒など多くの菩薩が、突然座から立ち東南の方向へ合掌礼拝した。宝日光菩薩が理由を尋ねたところ、釈尊は蓮華世界で蓮華尊仏が、昨夜に阿耨多羅三藐三菩提を成就したからであると説かれた。(2002/7/19)
陀羅尼品 第二(168b)
釈尊が宝日光菩薩へ、あたかも西方の極楽世界のような蓮華世界の様子について説かれた。この世界は本名を栴檀と言い、過去に日月尊如来が出世した時、虚空印菩薩が蓮華尊如来になると授記され、また一切の仏法を包摂した陀羅尼も授けられたという。以上のように説かれたところ、十方の数え切れない世界に住する無量の菩薩たちが栴檀世界を訪れ、日月尊仏に拝謁した。それから釈尊は解脱怨憎菩薩の問に答えて、菩薩がどんな法を成就すれば一切の陀羅尼が修得できるか解説されている。これらの法を修めるなら五逆の重罪すら消滅するという。その時、弥勒菩薩が自分は古に娑羅王仏の時、一切の陀羅尼を修めすぐに解脱することもできたのに、本願があったせいで涅槃へは入らなかったと言った。釈尊はそれを認め、仏の職位を授けられた。また釈尊は衆生へ、「南無仏南無法南無僧」と称えれば、後生も安楽が得られると勧められている。(2002/7/22)No.0157 悲華経 巻第二
大施品 第三之一(174c)
釈尊が寂意菩薩の問に答え、五濁悪のこの世で成道した因縁について説かれた。古に諍念転輪聖王の時、宝海梵志が大臣を務めていた。その子が成長して悟りを開き宝蔵如来となった。そこで転輪聖王は如来を招いて三月供養し、大事なものでも惜しみなく奉げた。それから千人の王子も同様に供養した後、各々発心して願を立てた。しかし天上や富家などに転生することばかりを願い、悟りを求める者は誰もいなかった。その時、如来を招請した宝海梵志は、自ら悟りを開いて無数の衆生も済度できるよう発願したところ、夜に夢の中で光明を見た。その光で十方の諸仏が現れ、それぞれ手にした華を梵志へ与えた。またある王が全身血まみれになり、虫を喰らっている様子も見た。如来はこれらの夢を解き、諸仏が華を授けたのは成道の相であり、王が血まみれだったのは諍念王の発願が卑しいためであると説かれた。そこで梵志が阿耨多羅三藐三菩提を発願するよう勧めたところ、王は生死に未練があると言って応じなかった。この時、如来は見種種荘厳三昧に入り様々な浄土の相を見せたので、ようやく王も発願する気になった。それから梵志は、諸天や阿修羅などへも成道を勧めるため、教化しに行った。(2002/7/26)No.0157 悲華経 巻第三
大施品 第三之二(181b)
宝海梵志は次々と梵天・忉利天・夜摩天・兜術天・化楽天・他化自在天などを教化し、菩提心を発するように導いた。それから梵志は、自分が成道した後で一切衆生の苦悩を無くするため、化仏が現れるよう誓願を立てた。ところで諍念王は七年の間、瞑想して無数の世界を観じ、成道して清浄荘厳仏土を建立する願を起した。そこで再び梵志の勧めに従い、宝蔵如来へこのことを報告する。(2002/7/30)
諸菩薩本授記品 第四之一(183b)
宝蔵如来は、菩提心を起し不退転となった者を授記しようと考えた。まず諍念王は七年の及ぶ瞑想の後、地獄等の苦しみがない浄土を建設し、それから成道したいと発願した。また諸仏称名・至心発願などの願も立てている。如来はこれらの誓願を誉めて、王へ無量清浄という名を与え、後世において安楽世界を建立し、無量寿如来になると授記した。次に第一王子が発願し、衆生の苦悩を除くまで成仏しないと誓ったので、宝蔵如来は彼に観世音という名を与えた。第二王子も同様の願を立て如来から授記されている。第三王子は衆生が菩提心を起し、美しく荘厳され苦のない世界で悟りが開けるよう発願した。宝蔵如来はこれを誉めて、文殊師利という名を与えた。(2002/8/3)No.0157 悲華経 巻第四
諸菩薩本授記品 第四之二(188c)
宝海梵志は、次々と各王子へ発願を促した。第四王子は、第三王子(文殊師利)と同様な願を立て、金剛智慧光明功徳と改名し普賢如来になると授記された。第五王子は、虚空印と改名し蓮華世界で蓮華尊如来になると授記された。第六王子は、第五王子と同様な願を立て、虚空日光明と改名し日月世界で法自在豊王如来になると授記された。第七王子は、諸仏称名・至心発願などの願を立てて、師子香と改名し青香光明無垢世界で光明無垢堅香豊王如来になると授記された。第八王子は普賢と改名し、知水善浄功徳世界で智剛吼自在相王如来になると授記された。その時、会中の一万人が普賢菩薩と同様な願を立てたので、宝蔵如来は彼らへそれぞれ授記された。次に第九王子は、至心発願などの願を立て、阿閦と改名し妙楽世界で阿閦如来になると授記された。(2002/8/7)No.0157 悲華経 巻第五
諸菩薩本授記品 第四之三(196a)
第十王子は阿閦菩薩と同じ願を立て、香手と改名し妙楽世界で金華如来になると宝蔵如来から授記された。十一王子は香手菩薩と同じ願を立て、宝相と改名し月勝世界で龍自在尊王如来になると授記された。次いで五百王子が同時に虚空印菩薩と同じ願を立て、それぞれ授記されている。ここで如来の兄弟に当る宝海梵志の八十子も発願する。第一子は今のような世界で人寿八万歳の時に成道すると誓い、願愛世界で宝山如来になると授記された。第二子は第一子と同様な願を立て日華如来になると授記され、第三子以下も同様に誓願した。さらに三億人いた宝海梵志の弟子も発願する。第一弟子の樹提は菩提について問答した後、この不浄世界にいる衆生の無明な状態が正されるよう願い、和合音光明世界で宝蓋増光明如来になると授記された。ここで三億人中一千人を除き、同様な願を立てた。その千人の中で最も秀でていた比紐は、五濁悪世で成道することを誓い、袈裟幢世界で金山王如来になると授記された。また第一摩納の火鬘は娑婆世界で成道することを誓い、拘留孫如来になると授記された。第二摩納は第一摩納の次に成道することを願い、伽那迦牟尼如来になると授記された。第三摩納は人寿二万歳の時に成道することを願い、大悲智慧と改名し迦葉如来になると授記された。第四摩納は人寿八万歳の時に成道し、弥勒如来になると授記された。ここで五人いた梵志の侍者も、それぞれ仏に供養し願を立てた。(2002/8/11)No.0157 悲華経 巻第六
諸菩薩本授記品 第四之四(202b)
五人の侍者が成道を誓い授記された後、持力捷疾も発願し、火浄薬王と改名して楼至如来になると授記された。ここで宝海梵志は最後に自分も大誓願を立てることにし、これを聞いた衆生が奇特な心を起して、無量の諸仏・菩薩が称讃するようでありたいと思った。そこでまず今まで授記された菩薩の誓願から漏れた衆生も救えるように、無量の劫にわたり般若波羅蜜を修めるよう誓った。次に拘留孫如来など諸仏が成道した時代では、その下で教化に務めたい。それから無仏の時代に至って五濁悪世となり、衆生が無明に苦しみ寿命が百二十歳まで減少したら、兜率天から下生して転輪聖王の家に生れたい。成長したら菩薩樹の下で結跏趺坐し、瞑想三昧の苦行を修めつつ教化に務め、成道以前にも多くの衆生を救った後、阿耨多羅三藐三菩提を成就したい、と誓った。(2002/8/17)No.0157 悲華経 巻第七
諸菩薩本授記品 第四之五(209a)
また宝海梵志は、次のように誓った。成道後に一声説法したら、衆生がただちに仏法を理解し、無量の功徳を得て不退転とさせたい。また五逆罪を犯した者でも、種種に神通力を示し、涅槃に至らせたい。仏滅後、正法を千年、像法を五百年維持したい。遺った舎利へ供養した者は、不退転となるようにしたい。こうした五百の誓願を立てた後、宝海梵志はさらに自分が得た善根のすべてを地獄にいる衆生へ与え、人間に転生させたい。その内、依然として悪業の報いが消えない者がいれば、彼に代わって地獄の苦しみを受けたいと誓った。これを聞いた宝蔵如来は悪人まで救おうとする誓願を大いに誉めて、その通り成道すると授記された。その時、梵志が仏前で右膝を地に付けると、大地が六種に震動し大光明が一切の世界を照らした。十方の世界でこの奇瑞を見た菩薩が、各々の如来からその理由を聞き、恭敬し聴聞するため宝蔵如来を訪ねた。(2002/8/24)No.0157 悲華経 巻第八
諸菩薩本授記品 第四之六(216a)
その時、妙華世界の華敷日王如来が二菩薩の問に答え、宝海梵志の誓願について説き、月光浄華を持って聞法に赴くよう勧めた。そこで二菩薩は宝蔵如来を訪ねて礼拝した後、宝海梵志に見え持って来た華を奉げた。梵志は華を受け取り、如来に供養して授記を願ったところ、電灯三昧に入られた。それから宝蔵如来は、梵志の誓願を誉められ、不浄界で四精進法を修める者こそ分陀利華のような大菩薩であり、無量の諸仏が賞賛すると説き、右手で宝海大菩薩の頭を摩された。(2002/8/29)
檀波羅蜜品 第五之一(220b)
宝海大菩薩の問に答えて、宝蔵如来は諸々の三昧を逐一列挙された。(2002/8/31)No.0157 悲華経 巻第九
檀波羅蜜品 第五之二(222a)
宝蔵如来は続けて布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧・多聞等、菩薩における助菩提法や、無所畏荘厳瓔珞について説かれた。その時、釈尊は大衆へ、如来の説法により、無数の菩薩が本縁三昧助菩提法清浄門経を聞いて、無生忍を得たと告げた。それから宝蔵如来は涅槃へ入り、大悲(宝海)菩薩が七宝塔を建てて盛大に供養し、八万四千人と出家して、遺法を一万年守った。次に菩薩も涅槃へ入り、宝蔵如来の正法は途絶えた。ここで釈尊は、この大悲菩薩こそ自分の前身で、過去世にどのような檀波羅蜜(完全な布施行)を修めたか詳しく説かれた。それは過去・現在・未来にいた無数の菩薩中でも、八人を除けば誰も行わなかった苦行であり、自らの血肉を衆生のため喜捨する捨身布施行だったという。(2002/9/5)No.0157 悲華経 巻第十
檀波羅蜜品 第五之三(227c)
古に善等劫の時、五濁悪世の中で誓願の通り、転輪聖王となって衆生へ無分別に一切を布施した。その時、数人の婆羅門が王の肢体を求めたので、喜んで与えた。この苦行のため、後世では三十二相を備えることができたという。(2002/9/8)
入定三昧門品 第六(229c)
それから釈尊は寂意菩薩へ、いま十方世界にいる無数の仏たちは、自分がかつて勧化し菩提心を起させた者ばかりであると説かれた。ちなみにその時、東方の無垢功徳光明王仏は二菩薩の問に答えて、釈尊の説法により世界が六種に振動したと告げた。また古に釈尊から教えを受けたことに触れて、彼らに娑婆世界へ行き、月光無垢浄華を奉げるよう命じた。このように十方世界の如来が、それぞれ菩薩たちを派遣し、無量の大衆が釈尊の説法を聞くため耆闍崛山に集った。そこで釈尊は一切行門について説き、最後にこの経典を「解了一切陀羅尼門。亦名無量仏。亦名大衆。亦名授菩薩記。亦名四無所畏出現於世。亦名一切諸三昧門。亦名示現諸仏世界。亦名猶如大海。亦名無量。亦名大悲蓮華」と名付けられた。(2002/9/10)
No.0158[cf.0157] 大乗悲分陀利経 八巻 失訳 ⇒【目次】
No.0158[cf.0157] 大乗悲分陀利経 巻第一
転法輪品 第一(233c)
釈尊が王舎城の耆闍崛山で説法中に、弥勒など多くの菩薩が、突然座から立ち東南の方向へ合掌礼拝した。宝照明菩薩が理由を尋ねたところ、釈尊は蓮華世界で蓮華上如来が、昨夜に阿耨多羅三藐三菩提を成就したからであると説かれた。(2002/9/13)
陀羅尼品 第二(235a)
釈尊が宝照明菩薩へ、極楽世界のような蓮華世界の様子を説かれた。この世界は栴檀という名で、過去に月上如来が出世した時、虚空印菩薩が蓮華上如来になると授記され、また一切の仏法を包摂した陀羅尼も授けられたという。(2002/9/15)
入一切種智行陀羅尼品 第三(236c)
それから月上如来は、一切種智陀羅尼門の功徳を説かれた。この集会に十方世界から無量の菩薩たちが訪れ、月上如来に拝謁した。そこで釈尊は解怨菩薩の問に答えて、菩薩がどんな法を成就すれば一切の陀羅尼が修得できるか解説されている。その時、弥勒菩薩が古に娑隣陀羅闍如来の時、一切の陀羅尼を修めすぐに解脱することもできたのに、本願のため涅槃へ入らなかったと言った。釈尊はそれを認め、法王子職を授けられた。また釈尊は地獄の衆生へ、「南無仏南無法南無僧」と称えれば、人・天へ転生できると教えられている。(2002/9/18)
No.0158[cf.0157] 大乗悲分陀利経 巻第二
勧施品 第四(242a)
ここで釈尊は、五濁悪のこの世で成道した因縁について説かれた。古に離諍転輪聖王の時、国師であった海済婆羅門の子が成長して悟りを開き宝蔵如来となった。王は如来を招いて三月供養し、何でも惜しみなく奉げた。千人の王子も同様に供養した後、各々発心して願を立てた。しかし皆、天上などに転生することを願い、悟りを求める者は誰もいなかった。そこで如来を招請した婆羅門は、自ら悟りを開いて無数の衆生も済度できるよう発願したら、夢の中で光明を見た。光の中に十方の諸仏が現れ、手にした蓮華を彼へ与えた。また王が全身血まみれになっている様子も見た。如来はこれらの夢を解き、諸仏が華を授けたのは成道の相であり、王が血まみれだったのは発願が卑しいためであると説かれた。(2002/9/23)
勧発品 第五(245b)
そこで婆羅門が菩提心を発するよう勧めたら、王は生死に未練があり応じなかった。しかし如来の勧めでようやく王も発願する気になり、よく考えるため城へ帰還した。それから海済婆羅門は、諸天や阿修羅などにも成道を勧めるため、諸方へ教化しに行った。また婆羅門は自分の成道後、一切衆生の苦悩を無くするために、化仏が現れるよう誓願を立てた。ところで離諍王は、七年間も瞑想しながら菩提について思索したままだったので、婆羅門は再び勧請に赴くことにした。(2002/9/28)No.0158[cf.0157] 大乗悲分陀利経 巻第三
離諍王授記品 第六(249b)
そこで宝蔵如来は、菩提心を起して不退転となった者を、授記しようと考えた。まず離諍王は七年に及ぶ瞑想の後、地獄等の苦しみがない浄土を建設して成道したいと発願し、諸仏称名・至心発願などの願も立てた。如来はこれらの誓願を誉められ、王へ無量浄という名を与えて、後世に安楽世界を建立し、阿弥陀如来になると授記された。(2002/9/29)
三王子授記品 第七(251a)
次に第一王子が発願し衆生の苦悩を除くまで成仏しないと誓ったので、宝蔵如来は彼に観世音という名を与えた。第二王子も同様の願を立てて授記され、大勢至と改名した。第三王子は無量世界の諸仏を全て自分が勧化して菩提心を起させるよう発願し、曼如尸利(文殊師利)という名を与えられた。(2002/10/6)
四王子授記品 第八(253b)
海済婆羅門は次々に各王子へ発願を促すと、第四王子は第三王子(文殊師利)と同様な願を立て壊金剛慧明照尸利と改名し普賢如来になると授記された。第五王子は、虚空印と改名し蓮華上如来になると授記された。第六王子は第五王子と同様な願を立て、虚空顕明と改名し法自在富王如来になると授記された。第七王子は諸仏称名・至心発願などの願を立て、師子香と改名し光明無塵上身香月自在王如来になると授記された。(2002/10/7)
第八王子授記品 第九(255c)
その次に第八王子は普賢と改名し、師子奮迅金剛智如来になると授記された。(2002/10/8)No.0158[cf.0157] 大乗悲分陀利経 巻第四
十千人授記品 第十(256b)
その時、会中の一万人が普賢菩薩と同様な願を立てたので、宝蔵如来は各々へ授記された。(2002/10/9)
第九王子授記品 第十一(257a)
それから第九王子は至心発願などの願を立て、無悩(阿閦)と改名し阿閦如来になると授記された。(2002/10/10)
諸王子授記品 第十二(258c)
第十王子は阿閦菩薩と同じ願を立て、香手と改名し金華如来になると授記された。十一王子も香手菩薩と同じ願で、宝勝と改名し自在龍雷音如来になると授記された。また五百王子も虚空印菩薩と同じ願で、それぞれ授記されている。(2002/10/11)
八十子授記品 第十三(259b)
ここで如来の弟に当る海済婆羅門の八十子も発願する。第一子は今のような世界で人寿八万歳の時に成道すると誓い、宝積如来になると授記された。第二子も同じ願で照明華如来になると授記され、第三子以下も同様に誓願した。(2002/10/12)
三億少童子授記品 第十四(260b)
さらに三億人いた海済婆羅門の弟子も発願する。第一弟子の月忍は菩提について問答した後、この不浄世界にいる衆生の無明な状態が正されるよう願い、宝蓋勇光如来になると授記された。ここで三億人中一千人を除き、同様な願を立て各々授記されている。(2002/10/13)
千童子受記品 第十五(261a)
千人の中で最も優れた披由毘師紐は、五濁悪世で成道することを誓い、主山王如来になると授記された。また第一童子の月鬘は娑婆世界で成道することを誓い、迦羅迦孫駄如来になると授記された。第二摩納は第一摩納の次に成道することを願い、迦那迦牟尼如来になると授記された。第三摩納は人寿二万歳の時に成道することを願い、明智悲意と改名し迦葉如来になると授記された。第四摩納は人寿八万歳の時に成道し、弥勒如来になると授記された。ここで婆羅門の侍者五人も各々仏に供養し願を立て、成道を誓い授記された。その後で持大力も発願し、無垢明藥王と改名して楼至如来になると授記された。(2002/10/15)No.0158[cf.0157] 大乗悲分陀利経 巻第五
大師立願品 第十六(264b)
ここで海済婆羅門は、最後に自分も誓願を立てることにした。まず今まで諸菩薩が立てた誓願から見捨てられた衆生も救えるように、無量の劫にわたり般若波羅蜜を修めるよう誓った。次に迦羅迦孫陀如来など諸仏の世ではその下で教化に務め、無仏の五濁悪世となり衆生の寿命が百二十歳まで減少したら、兜率天から下生して転輪聖王の家に生れる。それから成長後、菩薩樹の下で結跏趺坐し瞑想三昧の苦行を修めつつ教化に務め、成道以前にも多くの衆生を救った後、阿耨多羅三藐三菩提を成就すると誓った。成道後は、一句説法しただけで衆生がただちに仏法を理解し、無量の功徳を得て、無間の悪業を犯した者でも多種の神通力を示して説法し涅槃に至らせる。こうした苦労を忍んだ後で涅槃に入り、正法を千年・像法を五百年維持させる。(2002/10/21)
立願舎利神変品 第十七(270a)
また婆羅門は、涅槃後に遺した舎利へ一度でも供養した者は、不退転となるように誓った。(2002/10/22)
歎品 第十八(271b)
こうした五百の誓願を立てた後、海済婆羅門はさらに自分の善根すべてを、地獄の衆生へ与えて人間に転生させる。それでも悪業の報いが消えない者がいれば、代わって地獄の苦しみを受けると誓って、授記を願った。(2002/10/23)No.0158[cf.0157] 大乗悲分陀利経 巻第六
感応品 第十九(272b)
その時、婆羅門が仏前で右膝を地に付けると、大地が震動し大光明が一切の世界を照らした。十方の世界でこの奇瑞を見た菩薩が、各々の如来からその理由を聞き、恭敬し聴聞するため宝蔵如来を訪ねた。その中で、上方等華世界の華敷照明如来は、二菩薩へ月楽無垢花を持って聞法に赴くよう勧めた。そこで彼らは多くの菩薩と共に宝蔵如来を訪ねた。(2002/10/26)
大師授記品 第二十(274c)
海済婆羅門は華を受け取り、如来へ供養して授記を願ったところ、電灯三昧に入られた。それから宝蔵如来は梵志の誓願を誉められ、不浄界で四精進法を修める者こそ、分陀利華のような大菩薩であると説かれた。(2002/10/28)
大師立誓品 第二十一(276b)
そこで大悲菩薩(海済婆羅門)が、再び願を立て衆生の救済に努めるよう誓ったところ、宝蔵如来は讃嘆し右手で菩薩の頭を摩して付法された。(2002/10/28)No.0158[cf.0157] 大乗悲分陀利経 巻第七
荘厳品 第二十二(278a)
海済婆羅門の問に答え、宝蔵如来は諸々の三昧を逐一列挙された。さらに布施などの、菩薩における資用法門や無畏荘厳について説かれた。その時、釈尊は大衆へ如来の説法により、無数の菩薩が不退転地を得たと告げた。それから宝蔵如来は涅槃へ入り、大悲菩薩(海済)が七宝塔を建てて盛大に供養し、八万四千人と出家して遺法を守り、最後に自分も涅槃へ入った。(2002/10/31)
眼施品 第二十三(280a)
釈尊はこの大悲菩薩こそ自分の前身であり、過去世にどのような檀波羅蜜(完全な布施行)を修めたか詳しく説かれた。それは過去にいた無数の菩薩中でも、八人を除けば誰も行わなかった苦行であったという。(2002/11/3)
身施品 第二十四(281c)
その一万年に及ぶ苦行とは、自らの血肉を無数の衆生のため喜捨する捨身布施行で、これを如来の檀波羅蜜という。(2002/11/4)
寶施品 第二十五(282c)
それから無数の劫が過ぎ、月明世界において閻浮提の灯明転輪聖王となり、一切の衆生を教化した。(2002/11/7)
医方施品 第二十六(283a)
また無数の劫が過ぎ、蒙昧世界において鬘香婆羅門となり、極重悪の衆生を教化した。(2002/11/7)
現伏蔵施品 第二十七(283c)
また古に除穢世界で五濁悪世の中、誓願の通り転輪聖王となって衆生へ無分別に一切を布施した。その時、数人の婆羅門が王の肢体を求めたら、喜んで割き与えた。この苦行のため、後世では三十二相を備えることができたという。(2002/11/8)No.0158[cf.0157] 大乗悲分陀利経 巻第八
菩薩集品 第二十八(285a)
それから釈尊はいま十方世界にいる無数の仏たちは、自分がかつて勧化し菩提心を起させた者ばかりであると説かれた。その時、東方の無垢徳明王如来は二菩薩へ、古に釈尊から教えを受けたと告げ、彼らに娑婆世界へ行き、月光無垢浄華を奉げるよう命じた。このように十方世界の如来がそれぞれ菩薩たちを派遣し、無量の大衆が釈尊の説法を聞くため耆闍崛山に集った。(2002/11/9)
入三昧門品 第二十九(288a)
そこで釈尊は一切法門行経について説き、これは十事を満足するものであると教えられた。(2002/11/10)
嘱累品 第三十(288c)
最後に無畏等持菩薩の問に答え、この経典に十種の名を付けられた。(2002/11/11)
No.0159 大乗本生心地観経 八巻 般若訳 ⇒【目次】
《参考文献》
『国訳一切経 印度撰述部 経集部六 大樹緊那羅王所問経・他』
常盤大定・深浦正文訳 大東出版社1984(1932)No.0159 大乗本生心地観経 巻第一
序品 第一(291a)
釈尊が王舎城の耆闍崛山にいた時、三万二千の比丘や八万四千の菩薩など、多くの衆生に囲まれていた。その時、釈尊は宝蓮華師子座に坐して、有頂天極善三昧に入られた。そして胸間から大光明を発し、光の中に菩薩が仏道を修行する、種種の様子を映写された。これを見た師子吼菩薩は、光中に顕示された意趣が深いことを讃え、長文の偈を表した。(2002/11/17)No.0159 大乗本生心地観経 巻第二
報恩品 第二之上(296b)
釈尊が三昧から起きられ、弥勒菩提へ衆生を仏智に入らせる心地妙法を説こうとされた。その時、王舎城の長者五百人が、父母の恩をないがしろにする菩薩行を好まないと言った。そこで釈尊は彼等をたしなめ、恩には父母恩・衆生恩・国王恩・三宝恩の四種ある。その内、三宝恩が最も重要であり、衆生はここから日光のような大利を受けながら、盲人のようにそれを知らないと説かれた。また、三宝は最高の珍宝の如く衆生へ利益を与え、これに報いるためには三種十波羅蜜を修めるべきであると教えられた。(2002/11/23)No.0159 大乗本生心地観経 巻第三
報恩品 第二之下(301a)
その時、王舎城の東北にあった小国・増長福の智光長者が、性悪な息子に手を焼き、説教してもらうため聞法に訪れた。釈尊はこれを歓迎され、今まで説いてきたことを、再び長文の偈で教示された。凡夫は四恩を知らないため、迷って背徳の行いをしている。四恩とは父母恩・衆生恩・国王恩・三宝恩のことで、まず慈父の恩は山の如く高く、慈母の恩は海の如く深い。また全ての衆生は、永い輪廻転生の中で父母であったから、互いに大きな恩を受けている。そして国王から受ける恩にも、絶大なものがある。しかし最大の恩は三宝によるものであり、衆生の救済はこれ抜きには考えられない。こうした教えを聞いた長者は、歓喜して報恩の方法を聞いたところ、釈尊は十波羅蜜を修行するよう勧められた。(2002/11/30)No.0159 大乗本生心地観経 巻第四
厭捨品 第三(306b)
四恩の法を聞いた智光長者は、感激して仏へ礼拝し三宝に帰依することを誓った。ただここで、愚かな出家者より在家の菩薩が勝れているのではないか、と疑問を呈した。釈尊はこれに答えて、それでも出家の方が遥かに勝っていると断じ、在家の難点を逐一列挙された。在家の生活は、微火が草木を焼くようなものであり、また山窟にある財宝、毒入りの食べ物、止まない大風や、牝馬口海が四海を焼き尽くす様などにも譬えることができる。まさしく煩悩の発生源であり、ここで暮らす限り日々無数の苦悩が競って起ると説かれた。これを聞いた長者は、深く在家が諸悪の根源で牢獄の如きものと見なし、出家を切望するようになった。釈尊はこれを誉められ、一日でも出家すれば永遠に悪趣から離れ、仏に会い成道できるようになると教えられた。(2002/12/4)No.0159 大乗本生心地観経 巻第五
無垢性品 第四(312c)
そこで智光長者はただちに出家した後で、これからの心がまえについて尋ねた。釈尊はこれに答え、自分がどのような因縁で出家できたか反省し、衣服に執着せず、托鉢を重んじ、粗末な医薬で甘んじ、阿蘭若行(森林住行)を修めるべきであると説かれた。(2002/12/8)
阿蘭若品 第五(315c)
その時、常精進菩薩は、修行者が阿蘭若行を修めると速やかに成仏できるのに、森林で暮らす衆生はなぜそうならないのかと尋ねた。釈尊はこれに答えて、彼らは三宝を知らず、善悪も弁えず、貪欲なままなのに対し、菩薩は三宝が解脱に至る法と熟知しているからであると説かれた。また菩薩は、父母をはじめ諸々の衆生に代わり修行しているのであり、開悟の暁にはみな済度する願を立てつつ、阿蘭若行を修めていると教えられた。(2002/12/9)No.0159 大乗本生心地観経 巻第六
離世間品 第六(317c)
その時、楽遠離行菩薩が阿蘭若で修行する者は、どのような大利益を得ることができるか詳しく解説した。在俗ではあまたの恐怖に耐えなければならないのに対し、阿蘭若ではそんな心配など一切なく、速やかに解脱できるという。(2002/12/13)
厭身品 第七(321a)
さらに弥勒菩薩は、すでに出家した者がどのように修行すれば良いか尋ねたので、釈尊はこの有漏身(肉体)を、三十七種の不浄が満ちたものと観じて、厭うべきであると教えられた。(2002/12/15)No.0159 大乗本生心地観経 巻第七
波羅蜜多品 第八(322b)
また弥勒菩薩は、どうして阿蘭若で修行することのみを称讃し、他の行は評価されないのか尋ねた。これに答えて釈尊は、菩薩に在家と出家があるとはいえ、菩薩の九品中、上根の三品はみな阿蘭若に住するからであると説かれた。そこで菩薩は布施・持戒・忍辱・精進・禪定・般若・方便善巧・願・力・智等の波羅蜜多を行じ、八万四千の法門で衆生を済度するという。(2002/12/18)
功徳荘厳品 第九(324c)
また弥勒菩薩が、阿蘭若ではどのような功徳を修めれば良いかと尋ねたところ、釈尊はまず煩悩の根源が自心であると観ずるように教えられた。さらに修めるべき四種・八種の功徳を、逐一列挙されている。最後に自分の入滅後五百年経ち、仏法が滅びようとした時、多くの衆生が阿蘭若で無上道を修め、天上へ転生し弥勒菩薩と見え、来世に大宝龍華菩提樹下で解脱すると授記された。(2002/12/21)No.0159 大乗本生心地観経 巻第八
観心品 第十(326c)
ここで文殊菩薩が以上の教説を総括し、心・地とは何か尋ねた。釈尊はこれに答えられ、三界においてただ心が主であり(三界唯心)、心を地と名づけ、そこで解脱を成就する。また心は縁によって現れるもの(空性)で不可得であり、法界は無垢・平等であらゆるものを差別しない。解脱を求める者は、このようにとらわれず心を観じるべきであると教えられている。ところでここに「如衆河水流入海中。盡同一味無別相故」とあり、「正信偈」の一節と似た語が見える。(2002/12/23)
発菩提心品 第十一(328b)
また文殊菩薩は、三世が空性ならどのように菩薩心を発すれば良いか尋ねたので、釈尊は六十二種の邪見を除き、これに捉われないよう努めるべきであると説かれた。またその具体的な修行法である月輪観についても解説されている。(2002/12/28)
成仏品 第十二(329b)
また釈尊は文殊菩薩へ、月輪観を修めたら、さらに三大秘密法も観ずるべきであると説かれた。それは具体的に心秘密・語秘密・身秘密のことであり、それぞれの修法を解説されている。とりわけ身秘密法において、第一智印(大妙智印)の結び方まで言及している。(2002/12/29)
嘱累品 第十三(330c)
最後に釈尊はこの大乗心地観経を文殊菩薩ほか会衆に付嘱し、一切の衆生を済度するよう促された。またこの経典を奉ずることで得られる無量の功徳についても、詳しく解説されている。(2002/12/29)
No.0160 菩薩本生鬘論 十六巻 紹徳慧詢等訳 ⇒【目次】
《参考文献》
『国訳一切経 印度撰述部33 本縁部五 仏所行讃・撰集百縁経・菩薩本生鬘論上』
平等通昭・赤沼智善・西尾京雄・岡教邃訳 大東出版社1971(1929)
『国訳一切経 印度撰述部34 本縁部六 菩薩本生鬘論下・他』
岡教邃・赤沼智善・成田昌信・常盤大定訳 大東出版社1997(1935)No.0160[cf.0152] 菩薩本生鬘論 巻第一
投身飼虎縁起 第一(332b)
釈尊が般遮羅大聚落で比丘たちへ、過去世で苦行した時の舎利を見せ、その因縁を説かれた。古に大車王の頃、摩訶薩埵王子が竹林で飢えた虎の母子を見て、慈悲心から身を投げてこれに与えたという。ここでは『金光明経』などに見える、有名な捨身飼虎の故事が述べられている。
ところで、この経典は前後に別れ、前半では釈尊の前世譚などが、十四話掲載されている。(2003/1/2)
尸毘王救鴿命縁起 第二(333b)
古に尸毘王の在世時、帝釈天が老衰し死期も近く、正法の途絶えたことを憂えていた。そこで近臣の毘首天は、尸毘王が菩薩に他ならないと報告したところ、帝釈天は王を試すため自ら鷹となり、毘首天が化けた鳩を王宮へ逃げ込ませた。この時、王は鳩を救おうと自分の体を刀で割いて鷹に与えたという。ここでは『六度集経』巻一(0152-02)等に見える、有名な尸毘王の故事が述べられている。(2003/1/3)
如来分衛縁起 第三(334a)
釈尊が摩竭提国にいた時、阿難が盲目の父母に代わり乞食する小児を見て感動し、これを報告した。そこで釈尊は孝行の功徳を称讃し、善生の故事を説かれた。古に提婆王の在世時、善住太子が隣国から侵略され父王の国へ逃げた。その途中に食料が尽き、子の善生が自分の体を奉げ、父母の飢渇を凌いだという。(2003/1/3)No.0160[cf.0152] 菩薩本生鬘論 巻第二
最勝神化縁起 第四(334c)
釈尊が摩竭提国にいた時、洴沙(頻婆沙羅)王は弟が外道に帰依していたので、改宗させるため仏の招来を勧めた。そうして釈尊の説法を聞いたところ、彼は直ちに仏法へ帰依したので、外道たちが面目を失い神通力で対決しようとした。しかし到底如来に及ぶものではなく、惨敗して入水自殺したという。(2003/1/5)
如来不為毒所害縁起 第五(336c)
釈尊が王舎城にいた時、阿闍世王の厚遇を外道たちが妬んで、申日長者を唆し、偽って仏を招請させ、落し穴を掘り、食事に毒を混ぜて殺害しようとした。しかしそんな悪企みは一切如来に通用せず、誰一人損なうことはなかった。(2003/1/6)
兎王捨身供養梵志縁起 第六(337b)
古に菩薩が兔の王となり、いつも仏法を説いていた。これを聞いたある婆羅門が感銘を受け、久しく留まり教えを受けることにした。しかしやがて飢饉に遭い、食を確保するため別れを告げる。王は悲しんで、餞別に自らを火中へ投じ、婆羅門を供養しようとした。急いで助け出したところ、すでに王は死んでおり、婆羅門は嘆いて後を追い焼身したという。ここでは『六度集経』巻三(0152-21)等に見える兎の故事の、類話が述べられている。(2003/1/6)No.0160[cf.0153] 菩薩本生鬘論 巻第三
慈心龍王消伏怨害縁起 第七(338b)
古に菩薩が龍王だった時、金翅鳥が来襲し龍たちは恐怖に慄いた。そこで彼は、単身で立ち向かい諄々と仏教を説くと、金翅鳥の害心が消え、以後龍を襲わないと約束した。そこで王は龍たちへも、慈悲心や八戒の重要さを説いた。しかし今度は悪人が来て、国王へ献ずるため龍の皮を剥ぎ取ろうとした。このとき龍王は慈悲心を起し、決して彼等を害さず苦痛に耐え忍んだという。ここでは『菩薩本縁経(下)』龍品第八(0153)等に見える、龍王の故事が説かれている。(2003/1/12)
慈力王刺身血施五夜叉縁起 第八(339c)
釈尊が舎衛国の祇洹精舎にいた時、比丘たちがなぜ五大比丘は初転法輪の際、直ちに解脱できたか不審に思った。そこで釈尊は古に慈力王だった時、飢えた五夜叉に自ら血を施した故事を説かれた。(2003/1/12)
開示少施正因功能縁起 第九(340a)
釈尊が舎衛国の祇陀林給孤独精舎にいた時、ある商人が財宝を求め船出する際に、信心から僧を供養した。そこで釈尊は、危険な時に三宝を念ずれば救われると教えられた。数日して商人は海神に遭い航行できなくなったので、三宝を念ずるとたちまち智慧が湧き、難を避けることができたという。(2003/1/13)No.0160[cf.0154,0159] 菩薩本生鬘論 巻第四
如来具智不嫉他善縁起 第十(341a)
釈尊が王舎城にいた時、足跡から蓮華が生えて化仏を出すという奇跡を示された。これを見た浄飯王は感激しその因縁について尋ねたところ、釈尊は邪見に覆われた須達長者の老母を救うためであると説かれた。彼女は三宝を蔑ろにし、長者が盛大に僧を供養すると悪し様に詰ったので、羅睺羅を派遣し転輪聖王に変身させ、老母を帰依に導いたという。(2003/1/17)
仏為病比丘灌頂獲安縁起 第十一(342b)
釈尊が王舎城の竹林精舎にいた時、ある比丘が重病に陥り近寄る者がいなかったので、自ら赴き看護された。そうして快復した後、過去世で彼から受けた恩について言及されている。『生経 巻第三』(0154)「仏説比丘疾病経 第二十六」などにも、類話が見える。(2003/1/17)
称念三宝功徳縁起 第十二(342c)
釈尊が釈迦族の民衆と観仏三昧を行じていた時、五百人が仏身を瘠せた婆羅門の様にしか見ることができなかった。釈尊は慰めて、それは仏を軽んじた因縁によるとされ、仏名を称し懺悔すれば罪業が消えると教えられた。(2003/1/18)
造塔勝報縁起 第十三(343c)
釈尊が阿難へ、造塔供養の功徳について解説された。(2003/1/18)
出家功徳縁起 第十四(343c)
釈尊が王舎城にいた時、福増長者が年老いてからその功徳を聞き、熱心に出家を希望したので許可された。しかし年少の比丘にからかわれ入水自殺を図ったところ、目乾連に助けられ、遊行へ出て因果応報の恐ろしさを深く知り、ついに阿羅漢果へ至ったという。(2003/1/20)No.0160 菩薩本生鬘論 巻第五(344c)
この巻から、後半部分に入る。「菩薩施行荘厳尊者護国本生義辺」という経論の、第十一章から十三章までが収められている。しかし以前の十章が散逸して、どの経に対する論なのか不明であり、原文のまま読むといくらか記述が飛躍しているような印象を受ける。その内容は、広大な菩薩行について詳述したもので、煩悩からの遠離、顚倒した邪見、布施の功徳等々が説かれている。(2003/1/24)No.0160 菩薩本生鬘論 巻第六(348a)
この巻には、第十四章から十八章までが納められている。その内容は、持戒して精進すること、説教により顚倒した煩悩から離れること、菩薩の寂静たる相貌を見て煩悩を静めることなどが説かれている。(2003/1/27)No.0160 菩薩本生鬘論 巻第七(352a)
この巻には、第十八章の残りと、第十九章が納められている。その内容は平等な智慧で顚倒した貪欲を終息させること、菩薩は静寂な態度で衆生を教導すること、などが説かれている。(2003/1/31)No.0160 菩薩本生鬘論 巻第八(354b)
この巻には、第二十章と二一章の一部が納められている。その内容は貪瞋痴を遠ざけ真実十二分法を聴聞すべきことや、最上の福徳等について説かれている。また清浄な様子について、無我国の最勝王の政治に譬え描写している。(2003/2/4)No.0160 菩薩本生鬘論 巻第九(358b)
この巻は章立てが混乱しており、どこで第二一章と二二章が分かれるかはっきりしない。内容は、災禍を除き吉祥が増す道や、円満で真実の相貌、真実の勝因・勝義などについて説かれている。(2003/2/6)No.0160 菩薩本生鬘論 巻第十(361c)
この巻には、第二二章と二三章が納められている。その内容は、顚倒した我見が真実を遮るから、菩薩は自性に従い安居していることや、真如とは何かなどについて説かれている。(2003/2/9)No.0160 菩薩本生鬘論 巻第十一(363c)
この巻には第二三章の残りと二四章が納められている。その内容は餓鬼に堕する原因や、相貌が寂静であることの功徳などについて説かれている。(2003/2/10)No.0160 菩薩本生鬘論 巻第十二(366a)
この巻には、第二五章と二六章が納められている。その内容は、苦悩が空であり、究極は寂静であることや、流転する衆生も菩薩の教誨で智慧が生じること、などが説かれている。(2003/2/13)No.0160 菩薩本生鬘論 巻第十三(369c)
この巻には、第二七章と二八章の前半が納められている。その内容は煩悩の無い行いや、正見に従う無学の境地などについて説かれている。(2003/2/14)No.0160 菩薩本生鬘論 巻第十四(373b)
この巻には、第二八章の残りと二七章が納められている。その内容は施行を修め迷いを断つことや、円満な布施の功徳などについて説かれている。(2003/2/17)No.0160 菩薩本生鬘論 巻第十五(377b)
この巻には、第三十章が納められている。その内容は、清浄・寂静である智慧により、迷いから離れることや、清浄行を修め解脱に至ること、などについて説かれている。(2003/2/19)No.0160 菩薩本生鬘論 巻第十六(381b)
この巻には、第三一・三二・三三章が納められている。その内容は、菩薩の相貌により憂苦から離れられること、清浄な自性から円満な力が生じること、顚倒した在り方では果報が得られないこと、などが説かれている。
またこの経典は第三四章以後が散逸し、詳細は不明になっている。(2003/2/24)
No.0161[cf.26-72,152-10] 長寿王経 一巻 失訳(386a) ⇒【目次】
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で比丘たちへ、古に菩薩が長寿王だった時の故事を説かれた。王は、仁政を妬んだ隣国の侵略を受け、人民に危害が及ぼうとしていたので、自ら隠遁して国難を逃れた。ところが王を頼って来た、貧しい梵志を救うため、賞金の掛った自分の首をさし出し、火刑を受けることになった。その時、王は長生太子に、決して仇討などしないよう遺言する。後年、太子が隣国王の側近になり狩猟へ出た際、山で家臣等とはぐれ二人きりになった。しかしその好機に父の遺言を思い出し、仇討を止め怨敵を赦すことにした。
ここでは、『中阿含経 巻十七』「長寿王品 長寿王本起経第一」(No.0026-072)や『六度集経 巻一』「布施度無極章第一」(No.0152-10)に見られる、有名な長寿王の故事が説かれている。(2003/3/1)
No.0162[cf.155] 金色王経 一巻 瞿曇般若流支訳(388a) ⇒【目次】
釈尊が舍婆提城(舎衛国)の祇陀樹林給孤独園で比丘たちへ、布施の果報をよく知る者は、毎食前に少し食べ物を分けて施すものであるとされ、これに因んで金色王の故事を説かれた。古に王は、莫大な富を持ち、善政を布いて国も繁栄していた。しかしある時、占星術に詳しい婆羅門が、この先十二年も旱魃に見舞われると報告した。そこで王は、国中の穀物を一箇所に集めて備蓄し、これを均等に配給すると、何年国民が飢餓をしのげるか計算させた。その結果、十一年しかもたないことが分かり、全国民が餓死する危機に陥った。なす術もなく十一年と十一箇月が経過し、もう国中の食物が尽き果て、最後に一食分の御飯しか残らなかった。
その頃、ある菩薩が縁覚の悟りを得て、
「愛に因るが故に苦を生ず。 是の如く応に愛を捨つべく 当に独処に楽しむべし。 猶犀の一角の如く(因愛故生苦 如是応捨愛 当楽於独処 猶如犀一角)」
という偈をとなえた。そこでこの辟支仏は、今から衆生の済度に志すことにし、誰の供養を受けようか神通力で探した。すると国中の飢饉で、金色王が一食を持つだけであると分かったので、直ちに王のもとへ趣き乞食することにした。王は、仏の来臨を歓迎しつつ、すでに施す食べ物がないことを悩んだ末、死を覚悟で最後の一食を仏へ供養した。その時、雲が起きて、涼風が吹き、天から種々の食物が、雨の如く降ってきたという。
ここでは『仏説菩薩本行経 巻上』(No.0155)の第二話等に見える、迦那迦跋弥王が飢饉の際に、自分の食物まで布施した故事が詳説されている。(2003/3/4)
No.0163 仏説妙色因縁経 一巻 義浄訳(390c) ⇒【目次】
釈尊が室羅伐城(舎衛国)の逝多林給孤独園にいた時、説法を聴聞する人々の真剣さに驚いた比丘たちがその理由を尋ねたので、妙色王の故事を説かれた。古に王は善政を布きながら、仏法を求める志も篤く、常々真実の教えを説いてくれる者がいないことを憂いていた。その時、帝釈天が王を試みるため夜叉に化け、人肉を提供するなら法を説くと申し出た。これを聞いた王の妻子は直ちに自ら犠牲となり、また王自身も喰われることを了承した。夜叉はそこで、
「愛に由るが故に憂を生じ 愛に由るが故に怖を生じ 若し愛を離るれば 憂無く亦怖無し(由愛故生憂 由愛故生怖 若離於愛者 無憂亦無怖)」
と偈を説くと、王は即座に悟り体を奉げた。これを見た帝釈天は喜び、妻子を元の体に戻し、その志を褒め称えた。(2003/3/7)
No.0164[cf.152-41,160] 仏説師子素駄婆王断肉経 一巻 智厳訳(392a)
古に素駄娑王が猟の途中、山で迷い、前世の因縁から牝獅子と交わり子ができた。彼が即位して師子素駄娑王となり、後に人肉を食べ病みつきとなり、密かに人狩りを命じるようになった。これが発覚して反乱が起こり、師子素駄娑王は邪神の助けで難を逃れた代償として、諸国の王を百人捕え犠牲に奉げることになった。聞月王も捕われ人身御供にされようとしたとき、仏の教えを説いてその悪行を悟らせたという。
⇒【目次】
この経典は偈で述べられており、最後に散文で尸毘王の故事にも言及されている。素駄娑王については『六度集経 巻四』戒度無極章第二「普明王経」(No.0152-41)と、尸毘王については『六度集経 巻一』(No.0152-02)や『菩薩本生鬘論 巻一』「尸毘王救鴿命縁起 第二」(No.0160)等と関連がある。(2003/3/9)
No.0165[cf.39,152-40] 仏説頂王因縁経 六巻 施護訳 ⇒【目次】
No.0165[cf.39,152-40] 仏説頂生王因縁経 巻第一(393a)
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園時にいた時、憍薩羅(倶薩羅)国主勝軍大王が訪れて、先人が菩提を求める際、どのような行いをしたか尋ねた。そこで釈尊は、古に布沙陀王の頭上にできた腫物から生れたという、頂生王の故事を説かれた。王は生来福徳に恵まれ、即位すると七宝が備わり、転輪聖王となって四海を統治した。それから、夜叉神・禰舞迦の導きで、三十三天へ昇ることになった。(2003/3/12)No.0165[cf.39,152-40] 仏説頂生王因縁経 巻第二(395c)
頂生王は三十三天に向って遠征する。これに因んで途中にある四天王の居城と、諸天の暮らしについて詳述している。(2003/3/16)No.0165[cf.39,152-40] 仏説頂生王因縁経 巻第三(398a)
四天王と帝釈天は、頂生王の福徳を認め来駕を迎えることにした。またここでは、三十三天にある善見城や宝車園の景観を詳述している。(2003/3/17)No.0165[cf.39,152-40] 仏説頂生王因縁経 巻第四(400b)
ここでは三十三天にある、麤堅池・雑種園・雑種池・歓喜園・歓喜池などの名勝と、波利質多羅倶毘陀羅樹の景観について詳述している。(2003/3/18)No.0165[cf.39,152-40] 仏説頂生王因縁経 巻第五(402b)
ここでは三十三天に住む、愛囉嚩拏・善住二象王の威力や、善法堂などの景観について詳述され、また頂生王と帝釈天が面会した様子にも言及している。ところでこの時、にわかに阿修羅の軍勢が攻撃してきた。(2003/3/19)No.0165[cf.39,152-40] 仏説頂生王因縁経 巻第六(404b)
阿修羅の軍勢は強く、五重の防衛線が破られ、三十三天まで押しよせて来たので、帝釈天が出陣することになった。この時、頂生王は代役をかって出、阿修羅の軍勢をかんたんに破ってしまう。そこで王は、自分が征服してきた国々を顧み、最後に天主になろうという欲念を起した。その途端に神通力を失い、元の王宮へ墜落して重病に罹り、臨終を迎えてしまった。
そこで釈尊は憍薩羅国王へ、人間の欲望に限界がないことを説かれ、併せてこの頂生王が自分の前身であったことを明らかにされた。
この経典の異訳として、『仏説頂生王故事経』(No.0039)『中阿含経巻十一 王相応品 四洲経第三』(No.0026-060)『仏説文陀竭経』(No.0040)『六度集経巻四 戒度無極章第二 頂生聖王経』(No.0152-40)などがある。(2003/3/21)
No.0166[cf.153-5] 仏説月光菩薩経 一巻 法賢訳(406b) ⇒【目次】
釈尊が王舎城の竹林精舍にいた時、ある比丘の問に答え、舎利弗と目乾連が仏前で、入滅を欲した因縁について説かれた。古に月光王が宮殿の財産を、全て開放する大施を行った時、悪眼婆羅門が王の頭を、自分に布施するよう求めた。月光王は喜んで捨身しようとしたので、大月・持地の二大臣は見るに忍びず、先に自尽した。それから王も、来世での成仏を願いつつ、無憂樹の下で自刃した。この二大臣が、舎利弗と目乾連の前身であったという。
この経典の異訳に、『菩薩本縁経巻中 月光王品第五』(No.0153)がある。(2003/3/23)
No.0167[cf.152-38,168] 仏説太子慕魄経 一巻 安世高訳(408b) ⇒【目次】
釈尊が舎衛国の祇洹阿難邠坻阿藍で比丘たちへ、古に慕魄太子だった時の故事を説かれた。太子は生まれながら無数の前世を知り、十三歳まで一言も発しなかった。憂えた王が婆羅門に相談すると、国益のため生埋めにするよう唆した。王がその言に従い穴を掘るに及んで、ようやく太子は自分が唖でなく、思うところがあり沈黙していたと打ち明けた。喜んだ王が国へ連れ帰ろうとしたら、これを断り、過去世で地獄に落ちた経緯を説いて、出家し学道することを選んだという。
この経典の異訳に『六度集経巻四 戒度無極章第二 太子墓魄経』(No.0152-38)などがある。(2003/3/24)
No.0168[cf.152-38,167] 仏説太子墓魄経 一巻 竺法護訳(410a) ⇒【目次】
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で比丘たちへ、古に墓魄太子だった時の故事を説かれた。太子は、十三歳まで一言も発しなかったので、王が婆羅門に相談すると、国益のため生埋めにするよう唆した。王の命で深い穴が掘られ、その前に連れられて、ようやく太子は自分が唖でないと告白した。過去世で地獄に落ちた恐怖を思い出し、世事を避け沈黙していたのであり、そのまま王位を継がず出家したという。
この経典は『仏説太子慕魄経』(No.0167)の、抄訳となっている。(2003/3/28)
No.0169 仏説月明菩薩経 一巻 支謙訳(411a) ⇒【目次】
釈尊が羅閲祇(王舎城)の耆闍崛山で申日長者の子・月明へ、在家者が出家を志す時は、疾逮善権方便・善知識共会・財宝与共・行法施飯食の四願等を懐くべきであると教えられた。それに因み、古に諦念願無上王如来の滅後、智力王の太子・智止が、至誠意比丘の疱瘡を治すため、自らの髀肉を断ち血肉を供養した故事を説かれた。(2003/3/29)
No.0170[cf.26-31・132] 仏説徳光太子経 一巻 竺法護訳(412a) ⇒【目次】
釈尊が王舎城の霊鳥頂山で賴吒和羅の問に答え、菩薩が功徳を得て解脱しようとする時、何を行えば良いか詳しく説かれた。菩薩には何種かの、行うべき四事法と自堕落へ陥る四事法があり、その内容を逐一列挙している。
またこれに因んで、頞真無王の太子・徳光の故事について言及された。太子は、王宮での歓楽に一切染まらず、むしろこうした生活を敵視して、仏行に励んでいた。そんなある夜、空中で仏を讃嘆する天人たちの声がして思わず落涙し、吉義如来へ自分を救ってくれるよう切願した。するとただちに如来は、太子を光明中の蓮華上へ摂取し、菩薩行について詳説し解脱へと導いた。その後、太子は三宝への供養に努め、吉義如来の滅後、仏塔を造り法要を行ってから、出家し沙門となった。
この頞真無王は無量寿如来の前身で、徳光太子は釈尊の前身であり、菩薩が正覚を得るためには、このような行を修めるものであると教えられた。最後に自ら経名を付けて、「離痴願行清浄。当学当持正士所楽。決菩薩行具足諸義」とされた。
この経典に関する類話は、『中阿含経巻三一 大品 賴吒惒羅経』(No.0026-132)などに見える。(2003/4/6)
No.0171[cf.152-14] 太子須大拏経 一巻 聖堅訳(418c) ⇒【目次】
釈尊が舎衛国の祇洹阿難邠坻阿藍で阿難へ、過去世においてどのような檀波羅蜜を行じたか、つぶさに説かれた。
古に葉波国湿波王の太子であった須大拏は、出遊した際、貧困な民を見て哀しみ、国庫を開け放って布施しようとした。その時、敵国ではこれに乗じて、国防の要であった白象を奪おうと策謀した。そこで八人の道士を派遣し象を乞うと、直ちに譲ったので、国民が驚き王へ訴えた。王は驚いて糾問し、勝手に象を与えた事実を確かめると、太子を檀特山へ十二年放逐することにした。
太子は妻子を連れて山中へ行くと、阿州陀道士に就いて住居を定め、学道に励むことにした。その時、鳩留国のある貧乏な婆羅門が、妻に唆され太子の子を奴僕として貰いうけるために、遠方から訪ねてきた。太子はこれを断れず、妃の悲嘆も顧みないで二子とも与えてしまう。後に婆羅門がその子を売りに出すと、国民が王へ注進し、孫を買い取って対面する。それから太子へも召還の使者を出して、元の鞘に納まったという。
この経典の異訳として『六度集経巻二 布施度無極章 須大拏経』(No.0152-14)などがある。(2003/4/14)
No.0172[cf.160-1,663-4] 仏説菩薩投身飴餓虎起塔因縁経 一巻 法盛訳
釈尊が乾陀越国の毘沙門波羅大城で阿難へ、栴檀摩提太子による捨身飼虎の故事を説かれた。
(424b) ⇒【目次】
古に乾陀摩提国・乾陀尸利王の太子だった栴檀摩提は、広く国民へ布施しようとして王に断られ、悩んだ末に宝物ばかりでなく自分自身すら売り払って、貧しい人々に恵んだ。そうして他国へ行き、買い手の老婆羅門に僕として仕えていたところ、その国の王が癩病を病んだので、牛頭栴檀を献上し快復させた。その功績で奴僕から開放されると、父母を思い故国へ手紙を出した。しかし帰国の途中で、五通神仙道士・勇猛の教えを聞いて発心し、山へ籠もって修行することになる。
そうして多年にわたり山中で修行していたところ、大雪の折り断崖の下で飢えた母虎が虎子を抱え、身動きが取れなくなっているのを発見した。太子は絶好の機会が訪れたことを喜び、さっそく勇猛道士に捨身する決意を伝えた。そこで引き止められても堅い志は変らず、衆生を救済し菩提を達成する誓願を立て、速やかに断崖から投身したという。
この経典の異訳として、『菩薩本生鬘論巻一 投身飼虎縁起第一』(No.0160-1)や『金光明経巻四』(No.0663-4)などがある。(2003/4/20)
No.0173 仏説福力太子因縁経 四巻 施護訳 ⇒【目次】
No.0173 仏説福力太子因縁経 巻第一(428a)
釈尊が安陀林にいた時、比丘たちが集り世間の人は何を修めると利益が多いか議論していた。阿難は色相・聞二百億は精進・阿泥樓馱は工巧・舍利子は智慧と、各々説が分かれた。そこで釈尊に判定を願ったところ、四説の中では智慧が優れているとされながら、それより福力を修める方が勝っていると教えられた。またこれに因み、古に眼力王の第五太子だった福力の故事を詳しく説かれた。
色力・精進・工巧・智慧太子の後で福力太子が懐妊すると、天から突然、宝物が降り注ぐなど、種々の瑞相が現れた。それから十月が過ぎて太子が生れたところ、大地が振動し七宝が雨の如く降ってきた。(2003/4/27)No.0173 仏説福力太子因縁経 巻第二(430b)
福力太子が四兄と園遊へ行き、そこにいた餓鬼たちへ望むままに食べ物を与えたところ、彼らは満足して命終し、天上へ転生した。
それから兄弟たちは、色力・精進・工巧・智慧・福力の中で、何を修めたら最も利益が多いか議論し、それぞれお忍びで各自が信じる行を試すことにした。そこで福力太子が、貧乏人の家へ行くと、自ずから財宝が充満した。またある国で罪人が断肢に処され苦しんでいるのを見て、自らの手足を切り彼の四肢に繋げた。その後で誓願を立てたところ、自らの四肢も元に戻った。(2003/4/28)No.0173 仏説福力太子因縁経 巻第三(432c)
後にその国で、老いた王が世継に恵まれず、灌頂すべき太子を決めていなかった。みな一致して、福力太子が王位に就くことを望んだので、太子はこれを承諾した。
こうした出来事を聞いた四兄は、福力太子の業績が最も優れていたことを認め、彼のもとへ行き福力を褒め称えた。さらに父王も年老いて讓位することを希望したので、福力太子は二国を兼ね治めることになった。(2003/4/30)No.0173 仏説福力太子因縁経 巻第四(434b)
そこで釈尊は比丘たちへ、福力王とは自分の前身であると明かされた。
それから比丘の疑問に答えて、さらに彼が過去世で無能勝如来の時、得勝という博徒だった故事も説かれている。得勝は博打で財産を失ってから、ある法師の説法を聞くと、浄信が起きて有り金を布施した。その福力で財宝を得、さらに布施行を積んで、後には王位を継いだという。(2003/5/1)
No.0174[cf.175,152-43,203-1] 仏説菩薩睒子経 一巻 失訳(436b) ⇒【目次】
釈尊が比羅勒国で比丘たちへ、過去世で自身が一切妙菩薩だった時、盲目の長者夫妻を憐れみ、天上から下生してその子・睒となり孝養に尽した故事を説かれた。
睒が十歳になると、長者一家はかねてからの望み通り、山中へ入り隠棲することにした。睒は庵を結んで父母の生活の面倒を見て、なに不自由なく暮らしていた。しかしそこへ迦夷国の王が狩猟に来て、睒を鹿と間違え誤射してしまった。王は道人を射てしまったことを痛恨に思い、手当を尽したにもかかわらず致命的な深手であり、睒は父母の老後を頼んで息をひきとる。王は約束通り父母の元へ謝罪に行き、皆で嘆き悲しんでいたところ、彼の人柄を惜しんだ帝釈天が神薬を与え生き返らせたという。
最後に釈尊は、自分が速やかに正覚を得たのは、前世でこのような孝行を積んだからであるとされ、父母の恩が重いことを教えられた。
この経典の異訳に、『仏説睒子経』(No.0175)『六度集経巻五 忍辱度無極章第三』(No.0152-43)『雑宝蔵経巻一』(No.0203-1)などがある。(2003/5/4)
No.0175 仏説睒子経 一巻 聖堅訳 ⇒【目次】
No.0175[cf.174,152-43,203-1] 仏説睒子経(438b)
釈尊が比羅勒国で比丘たちへ、過去世で慈慧菩薩だった時、盲目の長者夫妻を憐れみ、下生して睒と名のり孝養に尽した故事を説かれた。睒が十歳になると、長者一家は望み通り、山中で隠棲することにした。睒が庵を結び父母の面倒を見ていたところ、迦夷国王が狩猟に来て睒を誤射してしまった。王はこれを痛恨に思い自ら手当したにもかかわらず、睒は父母の老後を頼んで息をひきとる。王は父母の元へ謝罪に行き、皆で嘆き悲しんでいたら、彼の人柄を惜しんだ帝釈天が神薬を与え生き返らせたという。
この経典の異訳については、前経を参照。(2003/5/6)No.0175a 仏説睒子経(440a)
この経典の内容は、前経とまったく同じであり、字句にいくらか相違が見られる程度に過ぎない。(2003/5/11)No.0175b 仏説睒子経(442a)
この経典の内容も、前経とまったく同じ。(2003/5/12)
No.0176 仏説師子月仏本生経 一巻 失訳(443c) ⇒【目次】
釈尊が王舎城の迦蘭陀竹園で頻婆娑羅大王へ、婆須蜜多尊者が金色の獼猴たちと戯れていた因縁について説かれた。古に然灯如来の滅後、比丘たちはそれぞれ山中で修行していた。そこでひとりの阿羅漢が坐禅していたところ、ある獼猴が礼拝して教えを受け、三帰依を行った。この功徳で命終後、天上に転生したという。
この獼猴こそ今の婆須蜜多尊者であり、来世では弥勒菩薩の次に成仏し、師子月如来になると授記された。併せて金色の獼猴たちの前世が、破戒の比丘尼であった故事にも言及されている。(2003/5/14)
No.0177[cf.152-9] 仏説大意経 一巻 求那跋陀羅訳(446a) ⇒【目次】
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で比丘たちへ、古の歓楽無憂国にいた、大意太子の故事について説かれた。彼は産まれてすぐ衆生の救済を誓い、十七歳で布施する資財を求め大海へ船出した。そうして銀・金・水精・瑠璃城の王から、随意に宝物が得られる明月珠をもらい帰国することにした。その途中で海神に珠を奪われそうになったところ、四天王の力を借り大海の水を取り除いて奪還した。それから帰国し、思いのままに衆生へ大施を行ったという。
この経典の異訳として、『六度集経巻一 布施度無極章第一』(No.0152-09)などがある。(2003/5/15)
No.0178[cf.172,179] 前世三転経 一巻 法炬訳(447c) ⇒【目次】
釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園で阿難へ、前世に身命を捨てて布施した故事を説かれた。
古に優波羅越国・波羅先王の治下で、ある娼婦が餓死寸前の母子を見てやむなく自分の乳房を割いて与えた。その功徳で男子となり、国王に推挙され善政を布く。しかしそれで飽きたらず、自らの体を百鳥に奉げたという。それから裕福な婆羅門の家へ生まれ、幼くして出家し山中で坐禅に励んでいた。そんなある時、餓死寸前の妊娠した虎を見て、ただちに捨身し母子を救ったという。
この経典の類話が『仏説菩薩投身飴餓虎起塔因縁経』(No.0172)や、『銀色女経』(No.0179)などに見える。(2003/5/18)
No.0179[cf.172,178] 銀色女経 一巻 仏陀扇多訳(450a) ⇒【目次】
釈尊が舎衛国の祇陀樹林給孤独園で比丘たちへ、前世に身命を捨て布施した故事を説かれた。
古に蓮華王の治下で、国色であった銀色が餓死寸前の母子を見てやむなく自分の乳房を割いて与えた。その功徳で男子となり、銀色王となって善政を布き臨終を迎える。それから転生して童子となり、菩提心を発し自らの体を衆鳥に奉げた。また婆羅門の家へ生まれ、出家し山中で苦行に励んでいたところ、餓死寸前の妊娠した虎を見て、ただちに捨身し母子を救ったという。
この経典の類話が『仏説菩薩投身飴餓虎起塔因縁経』(No.0172)や、『前世三轉経』(No.0178)などに見える。(2003/5/19)
No.0180 仏説過去世仏分衛経 一巻(452a) ⇒【目次】
ある過去仏が弟子を連れ托鉢する姿を見て、感動した妊婦が自分の子の出家を願った。後に彼女がその通り出家させた時、三種の奇瑞が現れたのでいわれを尋ねたところ、仏は子が成仏する証しであると説かれた。(2003/5/21)
No.0181[cf.152-58] 仏説九色鹿経 一巻 支謙訳 ⇒【目次】
No.0181[cf.152-58] 仏説九色鹿経(452b)
古に菩薩が九色の鹿だった時、川で溺れた人を救い上げた。そこで居場所を誰にも教えないよう念を押したのに、その男は褒美に目がくらみ、王へ注進する。鹿は軍勢に囲まれ逃げられなかったので、自ら王と談判して事実を伝え、ようやく命が助かったという。
この経典の異訳が、『六度集経巻六 精進度無極章第四』(No.0152)などに見える。(2003/5/24)No.0181a 仏説九色鹿経(453b)
この経典の内容は、前経とまったく同じであり、字句にいくらか相違が見られる程度に過ぎない。(2003/5/26)
No.0182 仏説鹿母経 一巻 竺法護訳 ⇒【目次】
No.0182 仏説鹿母経(454a)
古にある母鹿が、子のため食物を探していたところ、誤って罠へ落ちた。そこで猟師に懇願し小鹿が飲食の方法も知らないので、教えて戻って来ると告げた。猟師が憐れんで放してやると、母鹿は約束通り小鹿に別れを告げ、死を厭わずに帰って来た。驚嘆した猟師がこのことを国王へ告げると、みな感激して以後禁猟になったという。(2003/5/28)No.0182a 仏説鹿母経(455a)
古にある母鹿が、子のため食物を探していたところ、誤って罠へ落ちた。そこで猟師に懇願し小鹿が飲食の方法も知らないので、教えて戻って来ると告げた。猟師ははじめ疑いながらも、その誠意に打たれ放してやると、母鹿は約束通り小鹿に別れを告げ、死を厭わずに帰って来た。驚嘆した猟師が、それを国王へ告げると感激して、邪宗を廃し仏法へ帰依する宣令を、国民へ布告したという。
この経典は前経の物語を増補し、わかりやすい展開になっている。(2003/5/31)
No.0183 一切智光明仙人慈心因縁不食肉経 一巻 失訳(457c) ⇒【目次】
釈尊が摩伽提(摩竭提)国にいた時、迦波利婆羅門の子・弥勒の相貌が衆より抜きん出ており、仏と匹敵するようだった。これを疑問に思った梵志の問に答えて、釈尊は一切智光明婆羅門の故事を説かれた。
古に勝花敷世界で弥勒仏が出世した時、一切智光明婆羅門が議論に負けて出家し、深山へ入って仙人となった。その頃、天候が不順で托鉢もままならず、仙人は七日も食物が得られなかった。兔王母子がこれを見るに忍びず、自らの体を火に投じて供養する。仙人は衝撃を受け、来世で決して肉食しないことを誓い、兔王の後を追って自らも焼身したという。
その時の兔王が釈尊で、仙人が今の弥勒であり、仏滅後五六億年経て成仏すると授記された。そうして最後に阿難の問に答え、この経典を『白兎王菩薩不惜身命爲無上道』『一切智光明仙人慈心因縁不食肉経』と名付けられた。(2003/6/1)